『クリスマス・ストーリー』

鍛冶紀子
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ジャン・ヴィゴ賞を受賞した『二十歳の死』(91)以来、着々とその評価を高め、「トリュフォーの再来」と呼ばれるアルノー・デプレシャンが、これまでも幾度か取り上げてきた「家族」を真正面から描いた傑作。なかなか公開の声が聞こえてこなかったので半ば諦めていたのだが、2年の年月を経てようやくの日本公開となった。

とにかくすこぶる面白い。これまでの作品の要素を多分に活かした群像劇。家族ひとりひとりに光が当てられ、それぞれの関係性やその背景、個々の悩みや不安が明らかになっていく。しかもそれらが絡み合い、そして変化が起きていく。家族とは、精神的にこうも不自由で面倒なものかと苦笑させられる一方、やはり頼りになるのは家族なのか...と物理的(より正確に言えば身体的)に納得させてくれる。

デプレシャン組と呼ばれる俳優たちはもちろん、今回新たに加わったアンヌ・コンシニが良い。時に少女のようにも見え、時に疲れ果てた年配のようにも見える顔。頼りないほどに細い身体とのバランス。どちらかというとカラッとした印象のあるデプレシャン組の中、ひとりジメッとした陰鬱さを放って存在感を見せた。

そしてやはりエリック・ゴーティエのキャメラ!時に風のように揺らめきながら、時に真摯なまなざしのように、「家」という閉じられた空間を、朝には朝の、夜には夜の光を使って美しく撮った。家族が繰り広げる醜態とは裏腹に、聖夜の映像はとてもロマンティック。

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家族皆に光が当たる分、ストーリーが何層にも重なり、ともすれば分かりにくくなってしまいそうだが、そこはさすがデプレシャン。章を設け、独白や手紙を上手く使うことで登場人物たちの心理を端的に表したり、映画や本を効果的に登場させたりしながら、つまりデプレシャンがよく言う「アイディア」を巧みに活かして、見事に物語をまとめあげた。そのため、立体的な把握が可能な「脳での理解」は意外にもすんなり進み、150分間飽きることがない。しかし、平面的な説明が求められる「テキストでの解説」は非常にむずかしい。何とかストーリーの主軸だけでも書き出してみよう。

ヴュイヤール夫妻の長男ジョゼフは幼くして血液のガンに冒される。骨髄移植が必要なのだが、両親も妹も適合しない。骨髄の適合を期待されながら生まれてきたのが次男のアンリ。しかしアンリはその期待に応えることができず、生まれながらにして「役立たず」のアンリとなる。
それから数十年。今度は母ジュノン(カトリーヌ・ドヌーブ)が同じ病気にかかる。時期はクリスマス。長女のエリザベート(アンヌ・コンシニ)は精神的に不安定な息子ポール(エミール・ベルリング)を伴って、三男のイヴァン(メルヴィル・プポー)は妻のシルヴィア(キアラ・マストロヤンニ)と従兄のシモン(ローラン・カペリュート)と共に両親の元にやってくる。6年前にエリザベートに"追放"を言い渡されて以来、家族と疎遠になっていたアンリ(マチュー・アマルリック)も恋人のフォニア(エマニュエル・デゥヴォス)を連れて帰宅する。
久しぶりに家族で囲んだ食卓で、「役立たず」のアンリはジュノンと骨髄が適合したことを告げる。次いでエリザベートが静かに、息子のポールも適合したのだと言う。アンリを激しく嫌うエリザベートはアンリからの移植に猛反対。しかしジュノンにはまだ幼いポールを治療に巻き込むには抵抗がある。そもそもジュノンは骨髄移植に対して不安があり、受けること自体を悩んでいるのだ。果たしてジュノンはアンリからの移植を受けるのか?それぞれが不安を抱えながら、クリスマスの日を迎える。

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既に気付かれた方もおられるだろうが、本作の登場人物の一部を私たちは既に知っている。まず今回の舞台であるヴュイヤール家。デプレシャンの前作「キングス&クイーン」において、マチュー・アマルリック演ずるイスマエルのファミリーネームもヴュイヤールだったことを覚えているだろうか?そしてイスマエルを疎む長女の名前はエリザベートであり、今回のヴュイヤール家の長女であり弟のアンリと激しく反目しあう姉の名もまたエリザベートという。さらに父親に至っては名前が同じアベル・ヴュイヤールであるばかりか、「キングス&クイーン」「クリスマス・ストーリー」共に演じているのはジャン=ポール・ルションなのだ。さらに、「クリスマス・ストーリー」のヴュイヤール家の祖母の名はアンドレ。「キングス&クイーン」でヴュイヤール家の祖母には名前がなかった。だが、演じた俳優の名はアンドレ・タンジーという。

ここまでの一致が偶然であるはずはなく、デプレシャンが「キングス&クイーン」で描き、明らかにしてきた人生の機微を、「クリスマス・ストーリー」のヴュイヤール家の面々にオーバーレイさせようとしていることはおそらく間違いない。実際、名前の一致がひとつのトリガーとなってスクリーンに映るヴュイヤール一家を観ながら、これまでのデプレシャン作品のさまざまなシークエンスを思い出し、眼前のスクリーンのそれと記憶のそれとを関連づけずにはいられなかった。おそらくアンリの父・アベルもまた祖母・アンドレの養子であろう。

物語の終盤。アベルが泣いてばかりのエリザベート(劇中、エリザベートは半分以上で涙を流している)に、本の一節を読んで聞かせる場面がある。それはニーチェの「道徳の系譜」の一節なのだが、本作のテーマは、まさにルサンチマンであり、キリスト教道徳への懐疑ではないか。

エリザベートはまさにルサンチマンの人だ。エリザベートにとっての強者は実はジョゼフであるのだが、彼はすでにこの世におらず、代わりに「役立たず」として生まれてきたアンリを悪の元凶として憎んでいる。しかし、力なき者のルサンチマンが故にアンリへの否定が良心の疚しさとなり、エリザベートは常に苦悩している。

アンリは原罪を背負う人、つまりそれもまたルサンチマンの人である。ジョゼフへの骨髄移植という強い希望の元に命を与えられたわけだが、彼はその期待に応えられず「役立たず」となってしまったわけで、キリスト教道徳で言うところ、彼は生まれながらにして罪を背負わされてしまった。彼を解き放つ恋人がユダヤ教徒であるのは、もちろん必然であったのだ。

兄ジョゼフの死によってルサンチマンを抱えてしまった二人が、母ジュノンが同じ病にかかることで、ルサンチマンから解放されていく。ラストシーンで私たちは初めてエリザベートの穏やかな顔を観ることができるのだが、その後ろには新たな1日を告げる朝日が輝いていた。


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Comment(1)

Posted by PineWood | 2015.11.20

流麗なカメラワーク、そしてドキュメンタリー・タッチの水みずしい演出、トリュフォー監督の映画を見ているようなー。クリスマス・イブのトキメキはユダヤ教徒にとっては異質のように家族の中ででの確執と和解という主題は目眩く織り成されていく。断片的に矛盾を孕み先が全く読めない展開にたじろいでしまうが、トリュフォーの(恋愛日記)のような、それも家族の其々の随想集、各人の万華鏡なのだろう…。単一のストーリーが有るわけでは無いが、病気の治癒を巡って家族の、親子孫そして恋人の姿が浮かび上がるのだ。表情、手の動き、顔の向きなどの細部に拘るデプレシャン監督の美学と言えようか。

『クリスマス・ストーリー』
原題:Un conte de Noël

フランス映画祭2010上映作品
2010年秋 恵比寿ガーデンシネマ他全国順次ロードショー

監督:アルノー・デプレシャン
製作:パスカル・コーシュトゥー
脚本:アルノー・デプレシャン、エマニュエル・ブルデュー
撮影:エリック・ゴーティエ
美術:ダン・ベヴァン
衣装:ナタリー・ラウール
編集:ロランス・ブリオー
音楽:グレゴワール・エッツェル
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ジャン=ポール・ルシヨン、マチュー・アマルリック、アンヌ・コンシニ、メルヴィル・プポー、エマニュエル・デュヴォス、キアラ・マストロヤンニ、ローラン・カペリュート、イポリット・ジラルド、エミール・ベルリング

2008年/フランス/150分
配給:ムヴィオラ

(c)Jean-Claude Lother/Why Not Productions

『クリスマス・ストーリー』
オフィシャルサイト(仏語)
http://www.bacfilms.com/site/conte/


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