『夏をゆく人々』

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上原輝樹

2014年の第67回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、日本では今年(2015年)のイタリア映画祭で『ザ・ワンダーズ(仮題)』(原題:Le meraviglie)として上映され好評を博した『夏をゆく人々』が、夏の終りの気配が漂う今、絶妙なタイミングで公開されている。アリーチェ・ロルヴァケル監督の長編2作目にあたる本作は、主人公の少女ジェルソミーナ(マリア・アレクサンドラ・ルング)の視点を通じて、イタリア中部トスカーナ地方の人里離れた地で養蜂業を営む家族の姿を、大人たちが直面しているほろ苦い現実と過ぎ行く夏の淡い時間の中に、豊かな自然描写と愛くるしい子供たちの嬌声を響かせながら描き出した、ひとりの少女の成長譚である。

4人姉妹の長女ジェルソミーナは、家業である蜜蜂の扱いに関しては父親(サム・ルーウィック)から全幅の信頼を得て頼りにされているが、思春期に差し掛かった彼女は、"外"の世界への憧れを強め、一家の中で強権的に振る舞う父ヴォルフガンクと、徐々にそりが合わなくなってきている。母親のアンジェリカ(アルバ・ロルヴァケル)は、幼い子どもたちに寄り添いながら、楽ではない田舎暮らしの中、日々奮闘している。"68年"の政治の季節に闘争に身を投じた過去を持つヴォルフガングは、政府が進めている地域振興策や農薬の使用を推奨する農業政策に不満を抱いているが、現実は彼らの生活に否応無しに変化を押し付けてくる。そうした状況に追い込まれた鬱憤を晴らすかのように、ヴォルフガンクは家の中でも始終声を荒らげる。アンジェリカが、子どもたちを連れて外に遊びに行った時、「お父さんがいないと、落ち着くわね」と、ふと漏らす言葉が印象的だ。

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自伝的要素を含む本作の脚本・監督を務めたアリーチェ・ロルヴァケルは、そんな少し困った父親のことも、全裸で寝る"大きな子ども"のような姿や、子どもたちへの、粗雑だが、彼なりに愛情の籠った視線を投げかける様を丁寧に掬い上げることで、何とも憎めない善人として、スクリーンに描き出している。68年の政治の季節を過ごした大人の、左右の別はともかく、硬直したイデオロギーの居たたまれなさが、娘の視点から浮かび上がってくるところが、切ないと同時に、新鮮でもある。

去年の東京国際映画祭で、『来るべき日々』を携えて来日したロマン・グーピル監督に筆者がインタヴューをした時のこと、かつて、68年の闘争において最前線で活動していたロマン・グーピルが、「自分が高校生の時は、学校を中退して活動に精を出したものだった、とお父さんは言うけれども、今のお父さんは、学校に行きなさい、宿題をやりなさいと僕に言うようね、と息子から言われてしまった。」と苦笑混じりのエピソードを披露してくれた、その時の感覚が想起される。あらゆる種類の"闘い"が、時の流れとともに風化し、若い世代の、真新しい視点のもとに晒されていく。そうした時間の流れをニュートラルな感覚で捉えた視点が新鮮だ。

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父親が守ろう、囲い込もうとする家族のもとに、外の世界から二人の訪問者がやってくる。かつて、エトルリア文化が栄えた地とされる、この地にTV番組のスタッフが取材に訪れたのだ。先史時代の文化とともに、ワインとチーズを楽しみましょう!という観光PRの一環として、地元の産業に従事している人々を番組に登場させて、面白い出し物をした家族には賞金が与えられ、事業をPRする時間が与えられる。このコンテスト番組「ふしぎの国」の司会を務めるのが、モニカ・ベルッチが演じるTVタレントのミリーだ。たまたま、番組のロケを目撃した一家の子どもたちは、今まで見た事もないミリーの神秘的な出で立ちにすっかり目を奪われてしまう。中でも、外の世界への憧れを強めていたジェルソミーナの場合は特別で、この"未知との遭遇"を契機にコンテストに応募することになり、TV番組を利用した一連の仕掛けを快く思っていない父親を困らせていくことになる。

フェリーニ映画の祝祭的雰囲気すら湛えるミリーを演じるモニカ・ベルッチが実に素晴らしい。ここ数年の彼女の出演作を想起してみると、バフマン・ゴバディの『サイの季節』(12)といい、フィリップ・ガレルの『灼熱の肌』(11)といい、彼女の存在が、筋の良いアートフィルムの成立を大いに助けていると思わせる節もあり、本作においても、その存在感は際立っている。ここ数作のベルッチを見ていると、至極当然のことだが、ただ"美しく"映るために女優が存在しているわけではないということを改めて認識させてくれる。いずれの作品においても、多くを語ることなく、空虚を身に纏ったポップアイコンとして、その"スター性"すら内面化したかのような特異な存在感が見るものを惹き付ける。

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この家族を訪れるもう一人の訪問者は、働き口になることを期待した父親が「少年更生プラン」のプログラムから一時預かりを引き受けた、14歳の少年マルティン(ルイス・ウイルカ・ログローニョ)だ。マルティンは、ヴォルフガンクの期待とは裏腹に、言葉を発することが出来ない、人から身体に触れられることを極度に恐れる繊細な少年だったが、とても美しい音色で口笛を吹き、一家を驚かせる。中でもジェルソミーナは、彼の豊かな感受性と、恐らくは、その美しい外見にも心を惹かれたのだろう、二人の距離は徐々に縮まっていく。

TV番組が立ち上らせる古代エトルリア文化のフェイクな再現をサイケデリックな時代感で見事に表現した美術、マルティンとジェルソミーナが披露する素晴らしい個人芸、その時代、その場所を確かに生きたと思わせる現実感溢れる一家の肖像、そうしたこの映画が映し出す数々の美点の中でも印象深いのは、洞窟の中を捉えた反復するショットの存在だ。TV番組が洞窟の中をロケとして使い、映画のキャメラが、洞窟の上面を這うように飾られたチープなエレクトリックの電飾の列を、長い横移動の撮影で捉えていく。そして映画の終盤、再び洞窟に入ったキャメラは、ジェルソミーナとマルティンの二人が紡ぐ夢のシルエットを、前回と同じポジション、同じ横移動のキャメラワークで捉えていくのだ。二千数百年前にはそこに文明が存在していたと思われる遺跡を飾る安いネオンと、洞窟をスクリーンに見立てて投影した二人の夢の幻影は明確な演出意図の下に対比され、人間の夢見る力能の素晴らしさを見るものの脳裏に焼き付けながら、まさに、映画そのものの"儚さ"で消え去っていく。映画作家アリーチェ・ロルヴァケルの確信犯的手腕が光る、ワンダーな演出だ。

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Comment(1)

Posted by PineWood | 2015.09.02

古代エトルリアの女神の銀色のヘアーのTV 番組のアイドル(モニカ・ベルッチ)が髪飾りを少女に渡す。夢を与えてくれるシーンは魔術のように続く。優勝の夢は熊に扮装ハム親爺のチームにいくものの…。かつらを取って銀色のヘアーを渡してくれた女神の黒髪と黒い瞳の美しさもTV 番組用の顔を忘れた本当の魅惑なのだろう。頑固な父が駱駝をプレゼントしてキーキー言って走り回る妹たち、島の洞窟の中の影絵、少年の口笛で蜜蜂を口から出す魔術をする少女、光を飲む儀式をする子どもたち、駱駝を大金で買った父とは暮らせないと嘆く母…。ブンブンという蜂の囁きで始まり いつか全ては幻の如く百年の孤独の中に大きな家が佇んでいた。真夏の夜の夢或は絵本の中のワンダーワールド!ビクトル・エリセ監督の(蜜蜂の囁き)、テオ・アンゲロプロス監督の(蜂の旅人)、そしてトルコ映画のユフス三部作の(蜂蜜)(卵)などを思い浮かべていた。

『夏をゆく人々』
英題:The Wonders

8月22日(土)より、岩波ホールほか、全国ロードショー
 
監督・脚本:アリーチェ・ロルヴァケル
撮影:エレーヌ・ルヴァール
編集:マルコ・スポレンティーニ
製作:カルロ・クレスト=ディナ、カール・バウムガルトナー、ティツィアーナ・ソウダーニ、ミヒャエル・ヴェバー
出演:マリア・アレクサンドラ・ルング、サム・ルーウィック、アルバ・ロルヴァケル、ザビーネ・ティモテオ、アンドレ・M・ヘンニック、マルガレーテ・ティーゼル、モニカ・ベルッチ

© 2014 tempesta srl / AMKA Films Pro ductions / Pola Pandora GmbH / ZDF/ RSI Radiotelevisione svizzera SRG SSR idee Suisse

2014年/イタリア/111分/カラー
配給:ハーク

『夏をゆく人々』
オフィシャルサイト
http://www.natsu-yuku.jp
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