(上原輝樹) |
2015.5.12 update |
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『新学期 操行ゼロ』(Zéro de conduite) 監督:ジャン・ヴィゴ フランス/1933年/41分/デジタル・リマスータ版/モノクロ/英語字幕付 休みが終わり新学期、いたずら盛りの少年たちたちが寄宿舎に帰ってくる。学校は規則づくめで、食事はいつもインゲン豆料理。寄宿学校の寮生たちの反抗が始まる。羽毛の雪の舞い散る中、革命が宣言され、驚くべき自由の風が吹き始める。教育行政に対する批判と取られ、12年間上映禁止となった本作は二十九歳で夭折した天才映画作家ジャン・ヴィゴの代表作。 「ある意味、『新学期 操行ゼロ』は『アタラント号』以上に稀有な作品といえるだろう。なぜなら文学においても、映画においても、幼年時代にささげられた傑作はほんの僅かしかないからだ。そうした傑作が私たちの心を二重の意味で揺さぶるのは、美学的なエモーションが個人的で親密なる伝記的なエモーションに付け加わるからだ。子供についての映画はすべて、ある「時代」についての作品であり、半ズボン姿、学校、黒板、ヴァカンス、そうした人生の最初のエピソードに私たちを立ち返らせてくれる」フランソワ・トリュフォー |
『僕の小さな恋人たち』(Mes petites amoureuses) 監督:ジャン・ユスターシュ 出演:マルタン・ロエブ、イングリット・カーフェン、ジャクリーヌ・ドュフランヌ、モーリス・ピアラ フランス/1974年/126分/35ミリ/カラー/日本語字幕付 13歳のダニエルは、祖母と一緒にフランス南部の小さな村ベサックに暮らし、友人たちとちょっとしたいたずらに興じながら穏やかな日々を過ごしている。ある日ナルボンヌに住む母親に引き取られ、バイクの修理屋で働き始める。年長の若者たちと知り合い、ダニエルにも少しずつ性の目覚めが訪れる。 「ピアラの映画では、幼少期の男の子は剥き出しにされ、トリュフォーの映画では、少年は極端に感じやすい。ユスターシュの映画では、すべての感情が抑えられ、外見上は取るに足らないが、内面において、登場人物は衝撃を感じている。登場人物は表明することなく衝撃を吸収する。そのことによって、ユスターシュはルノワールのみならずブレッソンに通じ、超然という理念を彼と共有する。」ジャン・ドゥーシェ、『カイエ・デュ・シネマ』 |
『海辺のポーリーヌ』(Pauline à la plage d') 監督:エリック・ロメール 出演:アマンダ・ラングレ、アリエル・ドンバール、パスカル・グレゴリー フランス/1983年/95分/デジタル・リマスター版/カラー/英語字幕付 夏のノルマンディーで15歳の少女ポーリーヌは、従妹のマリオンとヴァカンスを過ごす。恋愛関係にある大人たちの行き違い、誤解、やきもちが15歳の少女の目を通して、ときに滑稽に、ときにみずみずしく描かれる。6人の登場人物の恋愛遊戯を、ヌーヴェル・ヴァーグの巨匠エリック・ロメールが洒脱に描く連作映画 〈喜劇と格言〉の第3作。紺青の空と海、官能的な紫色の紫陽花や女性たちの褐色の肌など、記憶に刻まれる本作の色彩の美しさについて、ロメールは撮影監督のネストール・アルメンドロスにマティスの絵画「ルーマニア風ブラウス」(ポーリーヌの部屋にそのポスターが貼ってある)を見せ、白とそこに青、赤など鮮明な色を配するアイディアを伝えたとのこと。第33回ベルリン国際映画祭で監督賞と国際批評家賞を受賞。 |
『冷たい水』(L'Eau froide d') 監督:オリヴィエ・アサイヤス 出演:ヴィルジニー・ルドワイヤン、シプリアン・フーケ、ラズロ・サボ、ジャン=ピエール・サルサン フランス/1994年/92分/35ミリ/カラー/日本語字幕付 1972年、パリ近郊の同じ高校に通うジルとクリスティーヌはそれぞれ学校や親とうまく行かずにいる。森の廃墟で火が焚かれ、ドラッグを吸い、音楽とともに盛り上がる仲間たちの中で、クリスティーヌは旅に出ようとジルに打ち明ける。後半の森でのパーティーのシーンはジャニス・ジャップリン、CCR、ニコ、ボブ・ディラン、ロキシー・ミュージックなど当時の曲によって構成されている。 「この映画が持つであろう意味についての直感がひらめいたのはおそらく、思い出を脳裏に駆け巡らせながら、自分の感情を捨て、登場人物たちによって我を忘れた時でしょう。最初のページに、私はほとんど考えることなく、『冷たい水』というタイトルを走り書きしていました。」オリヴィエ・アサイヤス |
『少年たち』(Petits frères) 監督:ジャック・ドワイヨン 出演:ステファニー・トゥリー、イリエス・セフラウイ、ムスタファ・グマーヌ、ナシム・イゼム、ラシド・マンスーリ フランス/1999年/92分/35ミリ/カラー/日本語字幕付 *東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品 義父との口論のあと、13歳のタリアは家出をする。飼い犬のキムも一緒に連れて行くことを決め、友人が住むパンタンへと向かう。低所得者団地でタリアは、いたずら好きな同年代のアラブ系の少年たちに出会う。実は、少年たちは、彼女の信頼を得たあと、キムを盗み、闘犬として売りさばこうという計画を立てていた。裏切りや人種差別、恋、そして苛立ち......、『小さな赤いビー玉』、『少年とピストル』、『ポネット』に至るまで幼年期、思春期の若者たちを彼らの立場から、彼らに寄り添いながら描いてきたジャック・ドワイヨン監督が、パリ郊外で現在形を生きる少年少女の姿を見事に捉えている。フレンチ・ヒップホップ界で人気のオキシモ・プッチーノが音楽を手がけている。 |
『少女』(La Puce d') 監督:エマニュエル・ベルコ 出演:イジルド・ル・ベスコ、オリヴィエ・マルシャル、ジョアン・ル・ベスコ、カトリーヌ・ベルコージャ フランス/1998年/42分/35ミリ/カラー/日本語字幕付 14歳のマリオンは、母親、姉、弟とノルマンディーで夏のヴァカンスを過ごす。彼女は海水浴場で彼女の父親と同年代のマルクに出会い、パリでの再会を約束する。マルクのもとを訪れたマリオンは、そこで始めて愛を交わすことになる。2015年カンヌ国際映画祭オープニングで最新作『La Tête haute(昂然と)』が上映される女性監督ベルコがパリ高等映画学院(フェミス)の卒業制作作品として撮った短編。 「処女喪失は、おそらく映画に撮るのに最も難しい行為のひとつであろう。トリュフォーがそうであったように、エマニュエル・ベルコは、心揺さぶるほどの的確さでその解決策を見出している。」ジャン=ミシェル・フロドン、「ル・モンド」 |
『身をかわして』(L'Esquive d') 監督:アブデラティフ・ケシシュ 出演:サラ・フォレスティエ、オスマン・エルカラス、サブリナ・ウアザニ フランス/2004年/117分/35ミリ/カラー/日本語字幕付 クリモは、パリ郊外のHLM(低所得者向け公営団地)に住む15歳の少年だ。いつかヨットで世界の果てまで行くことを夢見ている。仲間たちと代わり映えのない毎日を過ごしていたクリモは、活発でちゃめっけのある同級生のリディアに恋心を抱くようになる。彼女はマリヴォーの戯曲を公演するための練習に夢中。なんとかリディアの気を引こうと、クリモはアルルカンの役を演じることを決心するが...。昨年日本でも『アデル、ブルーは熱い色』が注目されたケシシュの長編二作目。 「演劇が人生に属しているように、人生も演劇に属しているのだというルノワール作品の大いなる教訓のひとつを確認している。」ジャン=フランソワ・ロジェ |
『すべてが許される』(Tout est pardonné) 監督:ミア・ハンセン=ラヴ 出演:ポール・ブラン、コンスタンス・ルソー、マリークリスティーヌ・フリードリッヒ フランス/2006年/フランス=オーストリア/105分/デジタル/カラー/英語字幕付 ウィーンで妻のアネットと幼い娘パメラと暮らすヴィクトールは、仕事もせず、自堕落な生活を送っていた。パリに戻るが状況は変わらず、ついにアネットはヴィクトールと別れ、彼の前から姿を消す。それから11年後、17歳になったパメラは、パリで母と暮らしている。ある日、同じ街に父が暮らしていることを知り、会いに行くことを決意する......。新作『EDEN』の日本公開が待ち遠しいミア・ハンセン=ラヴが、自伝的要素をもとに25歳の若さで撮った長編処女作。その年の最も優れた新人に送られるルイ・デリュック賞受賞。ギヨーム・ブラックの『女っ気なし』(2011年)、そして黒沢清のフランス製作作品『銀版の女(仮題)』に出演している独特な魅力を放つコンスタンス・ルソーが主演している。 |
『いかしたガキども』(Les Beaux gosses) 監督:リアド・サトッフ 出演:ヴァンサン・ラコスト、アントニ・ソニゴ、アリセ・トレモリエール、ジュリ・シェブラン フランス/2009年/90分/35ミリ/カラー/英語字幕付 14歳のエルヴェ、性欲はその年の男子並みにあるのに、見た目はぱっとしなく、女の子にモテない。ある日、なぜなのかクラスで一番の美人オロールに気に入られる。ポルノ映画とオナニー好きなエルヴェの親友キャメルは、オロールと寝るよう焚き付ける。主演のヴァンサン・ラコストはミア・ハンセン=ラヴの『EDEN』、ブノワ・ジャコ新作『小間使いの日記』など出演作が目白押しの人気若手俳優。 「(...)これは、娯楽と繊細さ、陽気さと苦痛、中高生の心情とタッチの精密さを調和させた稀な映画である。本作は、味気ない現実と、ありきたりな展開ながら、それによって観客を喜ばせることができる少年のように新鮮な作品である。」ジャック・マンデルボーム 「ル・モンド」 |
『美しいひと』(La Belle personne) 監督:クリストフ・オノレ 出演:レア・デイドゥ、ルイ・ガレル、グレゴワール・ルプランス=ランゲ フランス/2008年/97分/デジタル/カラー/日本語字幕付 ジュニーは、母をなくして従兄弟のマチアスの一家のもとに身を寄せ、パリの高校に転校する。ジュニーはおとなしいオットーと付き合い始めるが、イタリア語教師ヌムールと出会い、強く惹かれ合う。ジョニーはヌムールへの想いを隠し、オットーへの貞節を守ろうとするが、誤解から悲劇が生まれる......。 「才能あふれる若き俳優たちの口から飛び出す台詞は、驚くほどに適切である。(...)クリストフ・オノレは登場人物に言語、つまり豊富な動詞と言葉という見事な贈り物を与えることで、彼らを偉大にしている(アブデラティフ・ケシシュの『身をかわして』やローラン・カンテの『パリ20区、僕たちのクラス』も同様)。」ファビアン・レイル 「クリティカ」 |
『輝くすべてのもの』(Tout ce qui brille) 監督:ジェラルディーヌ・ナカシュ、エルヴェ・ミムラン 出演:レイラ・ベクティ/ジェラルディーヌ・ナカシュ/ヴィルジニー・ルドワイヤン フランス/2009年/100分/35ミリ/カラー/英語字幕付 エリーとリラは姉妹のよう。子供の頃から互いをよく知り合い、なにもかも分かち合い、別の人生を一緒に夢見ながら、パリから10分ほど離れた、同じ郊外に暮らす。小さな混乱と大きな嘘で何とかして、二人は何もかも可能な世界に飛び込もうとする。だけど、輝くすべてのものは......。 「脚本もよく書かれ、俳優も素晴らしく、リズムもよい『輝くすべてのもの』は効率がよく面白い、小さなマシーンのようだ。本作は、『セックス・アンド・シティ』以降の紋切り型のガーリーの対極で、純粋なるバディ映画のキャンバス上にてほとんど男性的とも言える女性同士の友情を描き、女の子ものジャンルを改革している。」ジャン=マルク・ラランヌ 「レザンロキュプティーブル」 |
『トムボーイ』(Tomboy) 監督:セリーヌ・シアマ 出演:ゾエ・エラン、マローン・レヴァナ、マチュー・ドゥミ フランス/2011年/82分/35mm/カラー/日本語字幕付 *東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品 少年のような格好をした10歳の少女ロールは、引っ越してきた先でミカエルと名乗り、近所の子供たちに自分を男の子だと思い込ませる。日々をともに過ごすうち、同年代の少女リザはロールに好意を抱き始める。リザの自分への好意をどう受け止めるべきなのか、ロールは葛藤する。『水の中のつぼみ』でデビューし、最新作『ガールフッド』が昨年のカンヌ国際映画祭で高い評価を得た女性監督セリーヌ・シアマの長編二作目。 「緊張感があり、謎めいている本作は、サスペンス映画のあらゆる手法を用いている。セリーヌ・シアマは、非常に構築されたドラマトゥルギーを、その骨組みを見せずに用いることに大変長けている。」ジャン=マルク・ラランヌ、「レザンロキュプティーブル」 |
『5月の後』(Après mai d') 監督:オリヴィエ・アサイヤス 出演:クレモン・メタイエ、ローラ・クレトン、フェリックス・アルマン フランス/2012年/122分/デジタル/カラー/日本語字幕付 70年代初頭、パリ。高校生のジルは政治闘争の波にとらわれていると同時に創作活動にも没頭している。恋の出会い、芸術的な発見をしながら、イタリア、そしてロンドンへと旅するジルとその仲間たちにも、波乱に満ちた時代の中で自分の場所を選択すべき時がくる。やはり自伝的作品である『冷たい水』の続編的作品。本作に先立って書かれた自伝的エッセー『5月の後の青春』の邦訳(彦江智弘訳 boid)も刊行されている。 「急ぎ足で通り過ぎながらも、私は、青春を送ったあの時代に、ポエジーのようなものを感じていました。あまり知られていないこの時代について、その時に感じたことによって、いつかもっと豊かな映画を作れるのではないかと思っていました。」オリヴィエ・アサイヤス |
『ラヴ・アット・ファースト・ファイト』(Les Combattants) 監督:トマ・カイエ 出演:アデル・エネル、ケヴィン・アザイス、アントワーヌ・ローラン、ブリジット・ルアン フランス/2014年/98分/デジタル/カラー/英語字幕付 アルノーは家業の手伝いをしながら仲間たちと穏やかな夏休みを過ごすはずだった。マドレーヌに出会うまでは...。彼女は美しいながらも、つっけんどんで、がっちりした筋肉に身をつつみ、世界終末予言を唱える。なんの覚悟もないアルノーと最悪の状況に備えるマドレーヌ。頼まれてもいないのに、彼はいったいどこまで彼女に着いていくのだろう。これはラブストーリーなのか、サバイバルストーリーなのか。それとも、その両方なのかもしれない。カンヌ国際映画祭2014年で高く評価され、セザール賞で7部門受賞、ルイ・デリュック賞新人賞を受賞したトマ・カイエの長編処女作。 「社会および映画界のしきたりすべてが爆発したようだ。これこそフランス映画が待ちわびたコメディーなのではないか。」ジャッキー・ゴールドバーグ、「レザンロキュティーブル」 |
『ションベン・ライダー』(P.P. Rider) 監督:相米慎二 出演: 藤竜也、河合美智子、永瀬正敏、坂上忍、原日出子 日本/1983/118分/35ミリ/カラー *東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品 ガキ大将のデブナガにいつもいじめられていたジョジョ、ブルース、辞書の中学生3人組。今日こそは仕返しを誓った矢先、そのデブナガが何者かにさらわれてしまう。3人はデブナガの行方を追うがヤクザの抗争に巻き込まれてしまう......。少年少女たちを描いたロードムービーで、奇跡的な瞬間に溢れた相米慎二の代表作の一本。のちに一流の俳優に成長する永瀬正敏、坂上忍、河合美智子の若さ溢れる魅力が相米によって引き出されている。 「相米にあってのキャメラは、不器用さの印象をもいとわずに、逡巡するかとみればいきなり思い切りの良さを発揮する少年少女の予測できない振る舞いに根気よく寄り添うように動く。」蓮實重彦 |
『台風クラブ』(Typhoon Club) 監督:相米慎二 出演:工藤夕貴、三上祐一、三浦友和、大西結花、寺田農 日本/1985/115分/35ミリ/カラー *東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品 夜、東京近郊の地方都市の中学校のプールに5人の女子生徒たちが泳ぎにやってくる。彼女たちは先に来ていた男子生徒に気づき、イタズラをするが度が過ぎて溺死寸前の状態に追い込んでしまう。翌朝、台風の接近がニュースで告げられる。台風の接近とともに、言いようのない感情の高ぶりを見せる中学生たちのやり場のない不安や欲望描きだした青春映画の傑作。第一回東京国際映画祭ヤングシネマ部門大賞・都知事賞受賞作品。本作で相米慎二によって見出された若い才能のひとり工藤夕貴、そして『ションベン・ライダー』の永瀬正敏はここでの演技をジム・ジャームッシュに評価され、同監督の『ミステリー・トレイン』(1989年)に出演することになる。 |
『ユリイカ』(Eureka) 監督:青山真治 出演:役所広司、宮崎あおい、宮崎将、斉藤陽一郎、国生さゆり、光石研 日本/2000年/217分/35ミリ/モノクロ 福岡県のある地方都市でバスジャック事件が起こり、運転手の沢井と、中学生の直樹と小学生の梢の兄妹のみ生き残る。それから2年後、沢井は、ふたりきりで暮らしていた兄妹と彼らの従兄の秋彦と一緒に共同生活を始める。時を同じくして、町では連続通り魔殺人事件が発生。疑いの目を向けられた沢井は、小さなバスを手に入れ、直樹たちと旅に出る......。第53回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞及びエキュメニック賞受賞作品。 「青山が検証しようとしているのは、追放、喪、死者たちの記憶から出発して、映画自体がその力を再び駆使し、逃走線を再び描き、砂漠化した空間=時間に入り込み、有限、あるいは無限なる枠を作り直す映画の持つ力なのだ。」ティエリー・ジュス、「カイエ・デュ・シネマ」 |
『ごめん』(Gomen) 監督:冨樫森 出演:久野雅弘、櫻谷由貴花、三田篤子、河合美智子、國村隼 日本/2003年/130分/35ミリ/カラー/英語字幕付 大阪に住む小学6年生の男の子セイは、授業中に突然、精通を体験。思いもよらぬ体の変化に戸惑うばかりのある日、彼は京都に住むナオコに一目惚れ。ところがなんと彼女は中学2年生、"年上の女"だった......。児童文学界の異才ひこ・田中の同名小説の映画化で、大阪と京都という近くて遠い距離、年齢の差、境遇の違いなど、様々な「距離」を体当たりで越えていくセイ、それを受け止めていくナオコ、ふたりの登場人物、そしてそれを演じる俳優たちが徐々に成長していく過程が刻まれていて素晴らしい。音楽は大友良英が担当。 |
『ほとりの朔子』(Au revoir l'été) 監督:深田晃司 出演:二階堂ふみ、鶴田真由、太賀、古舘寛治、大竹直 日本/2013年/125分/DCP/カラー/英語字幕付 大学受験の浪人中、叔母の海希江から誘われて海と山のほとりの避暑地を訪れた朔子は、そこで海希江の幼なじみの兎吉と、その甥で福島から避難してきている 同年代の孝史と出会う。朔子と孝史は何度か会ううちに次第にひかれあっていくが......。フランスでも第35回ナント三大陸映画祭では、グランプリにあたる「金の気球賞」と「若い審査員賞」をダブル受賞し、熱い視線を浴びている。 「『ほとりの朔子』では、まだ三作品しか撮っていない、35歳の若き才能あふれる監督を発掘できたばかりでなく、これは日本の商業映画の大部分を占める幼稚さに反した、インディペンデント映画に新たな扉を開けた作品である。」ステファン・デュ=メスニルド、「カイエ・デュ・シネマ」 |
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