OUTSIDE IN TOKYO
TALK SHOW

アンドレス・ドゥプラット『ル・コルビュジエの家』トークショー

3. 見て見ないふりをしていた、元々あった問題が隣の男が壁に穴を開けることで顕在化する

1  |  2  |  3  |  4



Q:色々なステレオタイプに対する批判を観ていて感じたんですが、その批判というのは近代建築の祖の一人であるル・コルビュジエに対しても向けられているところはあるのでしょうか?
AD:私は建築家としてル・コルビュジエの建築に対しては非常に敬意を持っています。40年代に作られた家ですし、この中でネガティブな部分として見えるところがあるとすれば、あまりにも家が透けて見える、透明性があるというところで、それが危ないとレオナルドは感じるわけですね。それに対してレオナルドが過剰反応する。元々この家が実際に作られた時代では単なる家だったわけです。もちろんコルビュジエの建築ですけれども、住むための家なんですね。それが今や一つのステータスシンボルになってしまっているというところへのちょっとした批判はあります。というのも、この家に住むということがロールスロイスを三台持っているようなことに等しいわけですから、住んでみるとどこにも格子を入れたり出来ないわけですね。自分の中で、この家に住む事のステータスを凄く大切にする、そういう意味でレオナルドの人物像に対する批判はあります。建築としては二十世紀の本当に完璧な建築だと思いますが、それは外見上は完璧で実は住もうとすると今の時代には危ないという皮肉があります。でも建築に対する批判ではなく、皮肉ですね。
Q:今回初来日とのことで、アルゼンチンと日本はちょっと遠い国というイメージがあるんですけど、来る前は日本にどんな印象を持っていたか、また来日して何か感じた事があったら教えて下さい。
AD:多分その質問に対してはそこにいる自分の妻や友人たちも同じだと思うんですけれども、私達は初めて日本に来てとても素晴らしい、特に東京ですけれども素晴らしい街だと思いました。そして人々がとても優しい。ブエノスアイレスも美しいし、私達はブエノスアイレスに住むのは好きなんですけれども、日本は皆さんの集団的な意識っていうのが非常に高いと思いました。公共の場というのがとても美しくて、それがブエノスアイレスとは違う。私が日本に来る前に抱いていた印象というのは深くなくて、さっきラテンアメリカのアートについての既成概念みたいなことを批判しましたが、自分も日本に対しては一般的なコンセプトしか持っていなくて、映画とか、小説で読んだくらいの感じしか持っていませんでした。でもブエノスアイレスには日本食レストランがたくさんあって日頃から大好きでしたので、今回の東京でも食事をとても楽しんでいます。
Q:これを観た時にフリオ・コルタサルの「占拠された屋敷」に似てると思いました。結局その主役の二人ですけれども、お互いに違うタイプであり、違うクラスである二人が最後に共存するのかどうか、それに関してこの映画ではどういう風な思いで描いたのですか?
AD:ぜひ映画を観てそれを確かめて頂きたいと思うんですけれども、「占拠された屋敷」の方は非常に抽象的ですが、こちらは本当に具体的に描いています。その中で一番言いたかったのは、レオナルドという社会から広く認められている人の中にも悪の部分はあるというところで、それがこの先にどうなっていくかっていうのがこの映画なんですけれども、見て見ないふりをしていた、元々あった問題が隣の男が壁に穴を開けることで顕在化する、そこから自分は成功した幸せ者だと思っていたけれども、娘は一言も口をきいてくれないし、家は凄い完璧なんだけれども家族が完璧かと言われたら、そうではないという事にだんだんと気付いていくわけなんです。それもその隣人が窓を開け始めたからで、以降彼は隣人の目で自分の家族を見始める。ですので、そこからどういう風に最後なっていくかっていうことに関しては是非映画をご覧になってみて下さい。

1  |  2  |  3  |  4