OUTSIDE IN TOKYO
TALK SHOW

フランソワ・トリュフォーのため来日を果たした
ジャン=ピエール・レオーの舞台挨拶:全文掲載

ジャン=ピエール・レオー『夜霧の恋人たち』上映前の舞台挨拶

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ジャン=ピエール・レオー:みなさまはまだ、『アントワーヌとコレット』も『夜霧の恋人たち』もご覧になっていないわけですね、今からご覧になるわけですね?

フランソワ・トリュフォーが『二十歳の恋』というオムニバス映画の一遍として『アントワーヌとコレット』を撮影した時、彼は若干欲求不満に陥っていました。それが短い短編であって、スケッチに過ぎなかったからです。そして彼の頭の中には、彼の初めての感情的な冒険を、ストーリーを語るための、まだまだ沢山の材料があると思っていました。こうして、長編である『夜霧の恋人たち』になりました。

それでは今から本題に入り、フランソワ・トリュフォーの仕事の仕方に入りましょう。多くの作品に私は出演しましたけれども、彼のような方法は他には見たことがありません。フランソワ・トリュフォーは、演出家の仕事は難しくて、とても辛い仕事だと言っていました。しかし、ドワネルシリーズの撮影をしている時、トリュフォーは、あまりにも喜びを感じていたから、演出の仕事の難しさを完全に忘れる、と言っていました。すなわち、私がどのようにアントワーヌ・ドワネルを演じるべきかということを、フランソワ・トリュフォーは先に感じ取って、わかっていたんです。

フランソワ・トリュフォーの仕事の仕方は、他のどの監督とも同じことは一度もありませんでしたが、フランソワ・トリュフォーと私は、ふたりだけで、他に誰もいない場所でリハーサルを始めます。そして、私たちがふたりで“正しい”と思うもの、正しい、正確な調子を見つけたところで、少しずつスタッフたちが亡霊のように現場に入ってきます。そしてゆっくりと、私たちはリハーサルを続けて行きます。ゆっくりとカメラマンが入ってきて、カメラマンが見守る中でゆっくりとリハーサルを続けて行きます。そしてある瞬間になるとフランソワが、リハーサルをふたりで続けよう、ただし、続けてそれをやろうと言います。そのようにゆっくりとリハーサルを続け、カメラが回り始めて、それから二番目のテイク、三番目のテイク、四番目のテイク、五番目のテイクと続けて行き、七番目のテイクが終わったら、そこでおしまいです。フランソワといた時のような撮影現場での居心地の良さ、それは他のどこでも再び見出すことは出来ませんでした。
坂本安美:上映前ではありますので、内容に差し支えのないご質問でしたらお受けになるということです。どなたかご質問のある方はいらっしゃいますか?
観客A:監督からアントワーヌ・ドワネルの人物像について説明を受けたことがあるようでしたら教えて下さい。
ジャン=ピエール・レオー:もちろん説明してくれました。アントワーヌ・ドワネルという男性は、自分の感情に非常に忠実である、そして、栄光だとか、権力だとかはどうでもいいと思っている、そうでないとアントワーヌ・ドワネルになりません。今振り返って考えていると、記憶が甦ってくるのですけれども、『家庭』を撮影していた時、突然、フランソワが現場で装置の中から降りてきて台詞を書き始めました。私と相手役の台詞をその場で書いて、それを私たちに渡して演じさせたということがあったことを思い出しました。彼はこのように、いつもインスピレーションを突然受けるという力を持っていました。
観客B:アントワーヌ少年は、『大人は判ってくれない』では非常に酷薄な切ない、過酷な現状にいるんですけれども、『夜霧の恋人たち』以降は、少しユーモラスな側面が強くなってきているように感じるんですが、監督のキャラクターとレオーさんご自身のキャラクターとアントワーヌ少年はどういう風に違うんでしょうか?
ジャン=ピエール・レオー:アントワーヌ・ドワネルの分身として、今、私はここに来ています。そして、アントワーヌ・ドワネルは映画において、フランソワ・トリュフォーが作り出した完全なクリエイションです。映画史上に、フランソワを父として生まれてきた息子がアントワーヌ・ドワネルであり、私はまた、フランソワを父と仰ぐ息子でもあります。従って、そういった意味では違いはないと思います。

『夜霧の恋人たち』上映前の舞台挨拶

2014年10月11日
角川シネマ有楽町にて
通訳:福崎裕子
原稿採録:OUTSIDE IN TOKYO




『夜霧の恋人たち』
原題:Baisers Voles

監督:フランソワ・トリュフォー
脚本:フランソワ・トリュフォー、クロード・ド・ジヴレー、ベルナール・ルボン
撮影:ドーニス・クレルバル
音楽:アントワーヌ・デュアメル
出演:ジャン=ピエール・レオー、デルフィーヌ・シリグ、クロード・ジャド

1968年/90分/カラー/35ミリ


没後30年 フランソワ・トリュフォー映画祭
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