ひきずる映画 ―ポスト・カタストロフ時代の想像力―

編集:村山匡一郎+編集部
著者:村山匡一郎、北小路隆志、三浦哲哉、石原陽一郎、石坂健治、杉原賢彦
発行:フィルムアート社

四六判/256頁/定価:2,100円+税/ISBN 978-4-8459-1176-9
URL:http://www.filmart.co.jp/cat138/post_151.php

2011.9.9 update

本書の特徴は、ワン・ビン、ジェームズ・グレイ、タル・ベーラ、ペドロ・コスタ、ツァイ・ミンリャンといった、多くの場合、作家論的に語られがちな映画作家たちの作品について、一人の映画作家につき1作品のみを取り上げ、それらの作品を総称して仮に"ひきずる映画"と呼び、深入りし過ぎない作品論の形で読者の前にコンパクトなイメージに提示しているところにあるように思う。 

しかし、本来、難解であったり、過剰であったり、毒々しかったりする作品群をまとめて"ひきずる映画"と総称しても、実際にわかりにくいものが、わかりやすくなるというものでもなく、果たして"ひきずる映画"という言葉自体が、最適なタームなのかどうか、正直疑問は残る。しかも、定量的に分業化された、ひとつひとつの位相の異なる作品を整理する手つきが、何とも優等生的で、言うならば"ひきずる映画"的でないことが、本作から映画的な熱を若干奪っているという印象を受けないこともない。 とはいえ、ここに選ばれている作品たちが、「ポスト・カタストロフ時代」の今、アクチュアルな存在として現代の「映画」の容貌を形作っていることは、否定しようのない事実であると思う。 

以下に掲載した目次をご覧頂ければお分かりになると思うが、これらの作品のレビューがズラリと並ぶだけでも資料として傍らにおいて置きたい欲望に駆られる。ひとつひとつのレビューを読むと、書き手や作品によって温度差の違いはあるものの、石坂健治による『ブンミおじさん~』の森の背景に潜むタイの政治的な闇の論考(「森」と「犯罪」の東南アジア・ネオリアリズム)は、日本における『ブンミおじさんの森』受容の上で重要な示唆を与えてくれるものであると思うし、昨年のフィルメックスで上映されて賛否両論の反響を呼んだワン・ビン初の劇映画『無言歌(溝)』、新作中編『NINIFUNI』がロカルノ映画祭で上映され注目を浴びる真利子哲也の長編処女作『イエローキッド』、各映画雑誌で2010年の邦画ベストワンと絶賛された4時間半超えの大作『ヘヴンズストーリー』、ゴダールを超えて"難解"もしくは、"眠くなる"映画の21世紀的代表作とも揶揄されるペドロ・コスタの『コロッサル・ユース』といった、一部で熱狂的な支持を受けながらも、映画ファン一般に広く知られているとは言えない、こうした作品群を、一冊の単行本の中で正面から取り上げ正統な評価を与えようとする試みは、高く評価されて然るべきだろう。 

また、近年の「ポスト・カタストロフ」映画群に加えて、現代の映画作家たちに濃厚な影響を与え続けている、サミュエル・フラー『ショック集団』、フリッツ・ラング『M』、タルコフスキー『サクリファイス』といった「古典」映画を取り上げて紹介しているところも抜かりはない。それでも、それだけでは優等生的佇まいの中に行儀良く収まりかねなかった本書を、この文章を読むだけでもお金を払って買う価値があると思わせる、『ブロンド少女は過激に美しく』や『ヒア アフター』を論じる三浦哲哉による幾つかのレビューが、"ひきずる映画"であろうがなかろうが、"映画"についての優れたテクストを読みたいという欲求を満たしてくれる。
(上原輝樹)
【目次】
はじめに  村山匡一郎

1 リアルと世界
 ワン・ビン『無言歌(溝)』
 ガス・ヴァン・サント『エレファント』
 レオス・カラックス『メルド』(『TOKYO!』第2部)
 ハーモニー・コリン『ミスター・ロンリー』
 ダーレン・アロノフスキー『レスラー』
 真利子哲也『イエローキッド』
 アトム・エゴヤン『アララトの聖母』
 ブリュノ・デュモン『フランドル』
 リュック=ピエール・ダルデンヌ、
  ジャン=ピエール・ダルデンヌ『イゴールの約束』
 【古典】キム・ギヨン『下女』
 【古典】若松孝二『ゆけゆけ二度目の処女』
 【古典】ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー『ケレル』
2 想定外!
 園子温『冷たい熱帯魚』
 デヴィッド・クローネンバーグ
  『ヒストリー・オブ・バイオレンス』
 ヴェルナー・ヘルツォーク『バッド・ルーテナント』
 キム・ギドク『悪い男』
 クロード・シャブロル
  『沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇』
 ウェス・アンダーソン『ライフ・アクアティック』
 デヴィッド・リンチ『マルホランド・ドライブ』
 ウルリヒ・ザイドル『ドッグ・デイズ』
 【古典】神代辰巳 『青春の蹉跌』
 【古典】サミュエル・フラー『ショック集団』


○論考1 北小路隆志:新たなる「身体の映画」の胎動 ──「身振り」の再発見に向けて
○論考2 三浦哲哉:ミズシマとランボー ──映画の快感原則の彼岸
○論考3 石坂健治:「森」と「犯罪」の東南アジア・ネオリアリズム
○論考4 杉原賢彦:ナラティヴィを布置せよ ──21世紀のゴダールのために 


3 意味の意味、その先へ
 ミヒャエル・ハネケ『白いリボン』
 瀬々敬久『ヘヴンズ ストーリー』
 アピチャッポン・ウィーラセタクン『ブンミおじさんの森』
 タル・ベーラ『倫敦から来た男』
 マノエル・デ・オリヴェイラ『ブロンド少女は過激に美しく』
 ジェームズ・グレイ『裏切り者』
 黒沢清『叫』
 ホン・サンス『アバンチュールはパリで』
 ツァイ・ミンリャン『黒い眼のオペラ』
 フランソワ・オゾン『まぼろし』
 【古典】フリッツ・ラング『M』
 【古典】ロバート・アルトマン『ポパイ』
4 死線から、また始まる
 イエジー・スコリモフスキ『エッセンシャル・キリング』
 クリント・イーストウッド『ヒア アフター』
 シルヴェスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』
 マシュー・ヴォーン
  『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』
 ラース・フォン・トリアー『アンチクライスト』
 ヴィターリー・カネフスキー『ひとりで生きる』
 ペドロ・コスタ『コロッサル・ユース』
 アレクサンドル・ソクーロフ
  『チェチェンへ アレクサンドラの旅』
 【古典】ロベール・ブレッソン『ラルジャン』
 【古典】アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』


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