
(上原輝樹) |
2016.11.17 update |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
|
|
|
↑ |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
『劣等生』 2015年/フランス/116分/カラー/デジタル/日本語字幕付 監督:ポール・ヴェッキアリ 出演:パスカル・セルヴォ、ポール・ヴェッキアリ、アニー・コルディ、フランソワーズ・ルブラン、エディット・スコブ、マチュー・アマルリック、カトリーヌ・ドヌーヴ 幼少期と青年時代を怠惰に過ごしてきたロランは、今になって自分の進むべき道に思いを巡らせていた。また、彼は父親と複雑な関係にある。愛情を表現するのにふたりとも感情的過ぎるのだ。そして、このロランの父、ロドルフは女性たちに囲まれているにもかかわらず、ひとつのことに執着していた。それは初恋の女性マルグリットと再会することだった。 「映画完成後、ジュリアン・デュヴィヴィエの名作『舞踏会の手帳』との類縁関係に気づきました。そういうわけでエンド・クレジットに「美女たちの手帳」という副題を添えたのです。特に関係しているのはカトリーヌ・ドヌーヴのシークエンスです。というのも、[映画のなかで]私が彼女と本当に出会ったのかどうか観客はわからないからです。デュヴィヴィエの映画でのマリー・ベルについても同様です。男たちとの再会を彼女は実際に体験しているのか、夢見ているだけなのか。」ポール・ヴェッキアリ 「『劣等生』には、まさしくヴェッキアリ的なロマンチシズムをふたたび見出すことができる。それはまるで子どもが使う言葉や流行歌の歌詞のように愛をもっともシンプルな言葉で語る方法のことであり、あるいは失楽園のように肉体が別の身体の記憶に取りつかれている様のことなのだ。」ミュリエル・ジョデ「レザンロック」 |
![]() |
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
『シモーヌ・バルべス、あるいは淑徳』 1980年/フランス/76分/カラー/35mm/日本語字幕付 監督:マリー=クロード・トレユー 出演:イングリッド・ブルゴワン、マルティーヌ・シモネ、ミシェル・ドラーエ ポルノ映画館で案内係として働くシモーヌ・バルベスの、ある夜の出来事。仕事を終えたシモーヌはレズビアンの集まるナイトクラブに向かった。彼女の恋人がそこで働いているのだ。なかなか彼女の元にやってこない恋人にしびれを切らしたシモーヌがナイトクラブを立ち去ろうとしたその時、従業員が撃たれるというハプニングが起きる。店を出て夜の街をひとりさまよい歩くシモーヌに、車に乗った男が声をかけ...。 「女性(監督)は、映画を撮れば撮るほど、女性であることを明確に示さなくなる。作家主義の系譜も最も恐るべき監督であり、今日の"女性"映画の持つ内気さに比べると、ありえないくらいの感情と性における大胆さを持つマリー=クロード・トレユーとシャンタル・アケルマンの後を引き継ごうと思う人は誰もいないように思われる。」(ルイ・スコレッキ、『リベラシオン』) |
![]() |
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
『美しい物腰』 1979年/フランス/90分/カラー/16mm/日本語字幕付 監督:ジャン=クロード・ギゲ 出演:エレーヌ・シュルジェール、エマニュエル・ルモワンヌ、マルティーヌ・シモネ、エルヴェ・デュアメル 暗い過去を持つ地方出身の青年カミーユは25歳。パリで魅力的な中年女性エレーヌの家の屋根裏部屋に住み込み、息子の世話をするようになる。息子のピエールは、2年にわたり寝室に引きこもり、母親との会話を拒んでいた。次第にエレーヌとカミーユの間には奇妙な共犯関係が生まれる。一方のピエールは、新しい付き添いの素直な気質に惹かれていくのを感じていた。 「僕は(観客に)納得してもらう、というよりも、むしろ動揺してもらいたい。そして、「優しさをもって死者の目を閉じ、また、優しさを持って生者の目を開ける」というコクトーの言葉を忘れることなく、まばゆさで人を怖気させるような近代性よりも、シンプルな輪郭をもって形にしていきたいと思っている。」 ジャン=クロード・ギゲ |
![]() |
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
『階段の上へ』 1983年/フランス/92分/カラー/35mm/日本語字幕付 監督:ポール・ヴェッキアリ 出演:ダニエル・ダリュー、エレーヌ・シュルジェール、フランソワーズ・ルブラン フランソワーズは、20年ぶりに南仏の港町トゥーロンに戻って来た...人を殺すために。彼女の標的は、フランソワーズが大変な犠牲を払って建てた彼女の別荘に住んでいる両親だ。なぜフランソワーズは家族を殺したいのだろう?彼らが第二次大戦中のドイツ占領下で対独協力者として夫を密告したから?ねたみや誹謗中傷しか招かない彼女の社会的な成功に終止符を打つため?フランソワーズの脳裏に昔の記憶が去来する...母...彼女が教師として働いていた学校...夫のシャルル...。階段の上にある別荘で、フランソワーズが見つけるものとは...。 「ダニエル・ダリューと映画を撮るという、一本の映画以上の子どもの頃からの夢を実現できました。ドイツ占領期で私の母が体験したであろう気苦労に関する寓話的な映画、偉大なる大文字の歴史の内側にある個別的な歴史。この映画で私は集団的記憶と個人の記憶を対立させ、結果的にレジスタンスと対独協力の二者択一などというものは誤魔化しでしかなかったと言いたかったのです。これは私からの挑発でした。ダリューはこのことをよく理解してくれたので、演技を指導する必要はほとんどありませんでした。」 ポール・ヴェッキアリ、『ベルフォール映画祭2006』カタログより |
![]() |
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
『出発』 1968年/イタリア/12分/カラー/デジタル/日本語字幕付 監督:ジャン=クロード・ビエット 出演:ジュゼッペ・ベルトルッチ、ジャンルイージ・カルデローネ チュニジアの学校への赴任が決まった男とその友人。二人は車のなかで、レストランで、あるいは外を歩きながら、人生や哲学について会話する。 『物質の演劇』 1977年/フランス/77分/カラー/デジタル/日本語字幕付 監督:ジャン=クロード・ビエット 出演:ソニア・サヴィアンジュ、ハワード・ヴェルノン、フィリップ・シュマン、マルティーヌ・シモネ、ブリジット・ジャック 旅行代理店で働くドロテは、仕事をしながらも"演劇"という別の世界を夢見ていた。不意に気を失った後、"マチエール劇場"の支配人ヘルマンに見い出され、ヘルマンは、ドロテにシラーの戯曲『メアリー・スチュアート』の役をチラつかせる。ドロテは、がむしゃらに稽古を積むが...。 「ジャン=クロード・ビエットは、まだ道徳観というもの、つまり美への感覚を持っていた世代に属していた。そして、ルノワールが言っていたように、それは絶滅に近づいている種のひとつなのだ。」ジャン=マリー・ストローブ 「『物質の演劇』は、文化を消費するの(だけ)ではなく、一人ずつ数えられるということ以外その存在について知られていない「新しい観客」のありうべき誕生と完全に同時代の映画である。」セルジュ・ダネー、『カイエ・デュ・シネマ』1978年2月号(強調は原文より) |
Comment(0)