
2016.1.28 update |
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『街をぶっ飛ばせ』(Saute ma ville) ベルギー/1968年/13分/デジタル/モノクロ/台詞なし 出演:シャンタル・アケルマン 若い女性が鼻歌を歌いながら、料理をすると思いきや、キッチンをめちゃくちゃにし、壁を汚し、顔に食べものを塗りたくる。そして驚くべきラストへと向かっていく。 「アケルマンの反逆的作品群の出発店となる怒りと破壊的エネルギーに満ちた、ほとんどパンク的といえる作品」オリヴィエ・ペール |
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『ホテル・モンタレー』(Hôtel Monterey) ベルギー/1972年/63分/デジタル/カラー/サイレント ニューヨーク、マンハッタンにある安ホテル、アケルマンの眼差しによって、神秘と、予期せぬ美しさをともなって、廊下、エレベーター、部屋、窓、宿泊客(老人たち、ホームレス、犯罪者など)がまるでエドワード・ホッパーの絵画を想起させるように、精彩を帯びてくる。本作はまた「声を持たないアメリカ」についての映画でもある。 |
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『部屋』(La Chambre) ベルギー/1972年/11分/デジタル/カラー/サイレント 出演:シャンタル・アケルマン 360度のパノラマ撮影によって、キャメラがゆっくりと、異なる速度である住居の二つの部屋、台所と寝室としても使用されているリビングを回転しながら映していく。ベッドには一人の女、アケルマンが横たわっている。 「今日この作品はマイケル・スノーへのオマージュとしてではなく、隠されたものの官能的な力についてのメタファーとして理解できるだろう。ベッドの中にいるシャンタルの仕草が完全にとらえられることはない。彼女は女優となり、この作品はその女優による曖昧なる仕草の示唆によって映画として存在し始める。そのシンプルさで輝いている。」バベット・マンゴルト(『映画作家における自画像』、カイエ・デュ・シネマ/ポンピドゥー出版、2004年) |
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『8月15日』(Le 15/8) ベルギー/1973年/42分/デジタル/モノクロ/英語版・フランス語字幕 共同監督:サミ・ズリンガーバウム 出演:クリス・ミリコスキ 1973年8月15日。パリで居候できる場所を探していたフィンランド人の若い女性、クリスは、アケルマンの友人で映画作家のサミ・ズリンガーバウムの家に住むことになる。クリスは子供のような英語で一日中話している。アケルマンとズリンガーバウム、ふたりの映画作家は彼女のお喋りに魅了され、いらだちながらも、彼女が語る姿を撮影する。人生の断片を語る彼女は、無意識ながら自分の脆弱さをあらわにしていく。 |
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『私、あなた、彼、彼女』(Je, tu, il, elle) ベルギー=フランス/1975年/90分/デジタル/モノクロ/日本語字幕 出演:シャンタル・アケルマン、ニエル・アレストリュプ、クレール・ワティオン アケルマン演じる若い女性の人生の4つのスケット。女性は部屋で家具を動かしたり、手紙を書いたり、砂糖を食べたりしている。部屋を出て、トラック運転手と出会い、彼に体を委ねる。その後、部屋に戻り若い女性との親密なる時を経て、ふたりは愛を交す。 「観客は絶えず緊張感を持って彼女の道程を追い続ける。そこにはアケルマン自身がよぶところの「逸楽」があるのだろう。」(ジャン・ナルボニ 「カイエ・デュ・シネマ」276号) |
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『ブリュッセル 1080 コメルス河畔通り 23番地 ジャンヌ・ディエルマン』(Jeanne Dielman, 23, quai du commerce, 1080 Bruxelles) ベルギー=フランス/1975年/200分/デジタル/カラー/日本語字幕 出演: デルフィーヌ・セイリング、ジャン・ドゥコルト、アンリ・ストルク、ジャック・ドニオル・ヴァルクローズ 45歳のジャンヌは、16歳の息子と二人で暮らしている。息子が学校にいっている間、彼女は「客」をとっている。湯を沸かし、ジャガイモの皮をむき、買い物に出かけ、食事をし、眠りにつく...。アケルマンはジャンヌの「平凡な」暮らしを執拗なまでに描写しながら、やがて訪れる反日常に至るぞっとするような時空間を見事に作り出している。 |
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『家からの手紙』(News from home) ベルギー=フランス/1976年/89分/デジタル/カラー/英語版・無字幕(作品解説配布) トラベリング、あるいは固定ショットで映される1976年のニューヨークに、母からの手紙を読むアケルマンの声がかぶさる。1971年から1973年までニューヨークに住んでいた娘へ宛てた母からの手紙、それはシンプルな、愛の言葉、不可能なる抱擁だった。母からの手紙、それはシンプルながら愛にあふれた言葉、不可能なる抱擁だった。アケルマンのニューヨークの忘れがたいタイムカプセルは、都会における疎外感、そして家族の断絶ついてのすぐれた考察でもある。 |
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『ゴールデン・エイティーズ』(Golden Eighties) フランス=ベルギー=スイス/1986年/96分/35ミリ/カラー/日本語字幕付 出演: ミリアム・ボワイエ、ジャン・ベリー、デルフィーヌ・セイリグ、リオ、シャルル・デネル 美容院やカフェ、映画館、洋服屋などが並ぶパリのブティック街は、カラフルで優雅な世界。そこにいる従業員や客たちの唯一の関心事は「愛」。それを夢見て、口にし、歌い、踊る。アケルマンによるミュージカル・コメディ。 「まずコメディを作りたいと思いました。愛と商売についてのコメディ。そこでは登場人物たちが早口で話し、欲望や後悔、感情に突き動かされ、絶えず動き回り、すれ違い、再会し、見失ってはまた出会います」シャンタル・アケルマン |
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『おなかすいた、寒い』(J'ai faim, j'ai froid) ベルギー=フランス/1984/12分/35ミリ/モノクロ/無字幕・日本語同時通訳付 出演: マリア・ドゥ・メデイロス、パスカル・サルキン ブリュッセルから一文無しでやって来た二人の若い女の子たち。うぶなふたりが愛について語り合いながらパリの街をさすらう。ふたりはレストランに入り、歌い、見物料を集めようとしたところ、ひとりの男性に出会う...。アケルマンがヌーヴェルヴァーグを再訪した『20年後のパリところどころ(新パリところどころ)』の一篇。 |
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『アメリカン・ストーリーズ/食事・家族・哲学』(Histoire d'Amérique : food, family, and philosophy) フランス=ベルギー/1988年/92分/35ミリ/カラー/日本語字幕 出演:エスター・バリント、マーク・アミティン、ステファン・バリント、カーク・バルツ 靄の中からニューヨークの街が姿を現わす。夜、ウィリアムズバーグ橋を背にして、ひとりの若い女性が少しおびえたような様子で自分のエピソードを語り、立ち去る。次は若い男、と次々に老若男女が現れ、話しては去る。彼らはヨーロッパから移住してきたユダヤ系の人たちだ。記憶と忘却の間で、それぞれのアメリカン・ストーリーが語られる。これらすべての「証言者たち」はニューヨークに住むユダヤ人俳優たちによって演じられ、そのことによってフィクションとドキュメンタリーが融合していく。 |
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『ブリュッセル、60年代後半の少女のポートレート』(Portrait d'une jeune fille de la fin des années 60 à Bruxelles) フランス/1993年/60分/ビデオ/カラー/無字幕・日本語同時通訳付 出演: シルセ・ルテム、ジュリエット・ラサム 1968年、ブリュッセル。15歳の少女ミシェルは学校をさぼり、20歳のフランス人脱走兵ポールと映画館で出会う。街を散策した後、ミシェルはポールと初体験を味わうが、それは彼に惹かれたというよりも、自分の中の説明しがたい欲望を追い払うためだった。ミシェルは、その欲望をどうしていいのか分からないまま、サプライズパーティーに向かい、女友達ダニエルに恋のときめきを告白する。 アルテで製作された「彼らの時代のすべての少年、少女たち」シリーズの一篇。 |
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『東から』(D'Est) フランス=ベルギー/1993/110分/35ミリ/カラー/台詞なし ポーランド、ウクライナ、ロシア、冬の東ヨーロッパを旅するドキュメンタリー。場所の名前が表示されることも、ナレーションもなく、ひたすら群衆(雪に覆われた夜の道や大きな駅で重なり合っている人々)をとらえる横移動のトラベリングの映像やや家の中の人々の「ポートレート」が流れる。ソ連の崩壊後の旧共産主義国の都市、そしてそこに暮らす人々の日常生活についての強烈に心をとらえるドキュメンタリー。 「東欧の人々の顔、私はそれらをすでに知っていて、ほかの顔を思い出させもした。人々の待つ列やいくつもの駅、それらすべてが私の中で反響し、私の歴史の裂け目、想像の世界と共鳴していた。」シャンタル・アケルマン |
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『囚われの女』(La Captive) フランス=ベルギー/1999年/107分/35ミリ/カラー/英語字幕 出演: シルヴィ・テスチュ、スタニスラス・メラール、オリヴィエ・ボナミ マルセル・プルースト『失われたときを求めて』の第五篇「囚われの女」をアケルマンの自由な発想で映画化。パリの豪奢な邸宅で恋人アリアンヌと暮らすシモンは、彼女を求める激しい思いから、彼女を尾行する。そして彼女が女性と愛し合っているという妄想に取り憑かれる。プルーストに、デュラス的世界、そしてヒッチコックの『めまい』を想起させるアケルマンの傑作の一本。 |
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『向こう側から』(De l'autre côté) ベルギー/2002年/99分/デジタル/カラー/英語字幕 アケルマンはメキシコを訪れ、国境を越えアメリカ合衆国に渡ろうとする不法移入者たちの運命をキャメラにおさめる。まるで亡霊のみが宿るような砂漠の街。メキシコ人たちは貧困から抜け出すために危険を顧みずアメリカ合衆国とメキシコの間の国境を超えようとするのだが...。『東から』、『南』(1999年)と続いたドキュメンタリー3部作を締めくくる作品。 「『向こう側へ』の力強さは、その慎み深さにある。そこから感情が引き起こされるのではなく、込み上げてくる。」ステファン・ドゥローム「カイエ・デュ・シネマ」 |
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『オルメイヤーの阿房宮』(La Folie Almayer) フランス=ベルギー/2011年/127分/デジタル/カラー/英語字幕 出演: スタニスラス・メラール、オーローラ、マリオン、マルク・バルベ、ザック・アンドリアナソロ 東南アジアのどこか、嵐で氾濫する川の畔で、ヨーロッパ人の男が自分の娘への愛に取りつかれている。ジョウゼフ・コンラッドの同名小説を脚色した情熱と、破滅、狂気の物語。 「シャンタル・アケルマンの才能は、形式的発想が語れる物語の悲劇的側面に反したり、それを壊したりするようなことを一切許さないところになる。『オルメイヤーの阿房宮』は自分の娘への愛のために死を望む男の物語とも読めるし、あるいは自分の為に父親が死んでほしいと望む女性の絶望的な幻想とも読める。(...)それはまたある追求の物語でもある。父親的存在を拒否、あるいはそれを超えて、決然と逃走することによってしか手に入らない自由の追求の物語。」ジャン=フランソワ・ロジェ、「ル・モンド」 |
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『芸術省』(Les Ministères de l'art) フランス/1988年/52分/16ミリ/カラー/無字幕・作品解説配布 監督:フィリップ・ガレル 出演:シャンタル・アケルマン、ジュリエット・ベルト、レオス・カラックス、ジャック・ドワイヨン、フィリップ・ガレル、ジャン=ピエール・レオ、ブノワ・ジャコ、アンドレ・テシネ、ヴェルナー・シュレーター 「60年代後半、自分と同世代の様々な領域のアーティストたちについてのドキュメンタリーを撮るというアイディアが浮かんだ。その中に、ブノワ・ジャコ、ジャック・ドワイヨン、シャンタル・アケルマンらの映画監督がいる。彼らとは二重の意味で関係を持っている。彼らの実人生も、彼らの作品のスタイルも知っているからだ。それぞれの監督たちノ作品が僕にサインを送ってくれる。シャンタル・アケルマン、家の知らせを尋ねる幼いジャンヌ、北の国のシャイなジャネット。ニューヨークのシャンタル...。僕らの世代の女性たちの中でも、愛しい、子供のような人。一人の女性の勇気の中でもっとも美しいものをシャンタルは作品の上に差し出す。」フィリップ・ガレル |
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