第18回カイエ・デュ・シネマ週間



レオス・カラックスが来日し、『ホーリー・モーターズ』を巡る特集プログラムが組まれた2013年、そして、ヴァンサン・マケーニュが来日し、あの素晴らしい『湖の見知らぬ男』と『ソルフェリーノの戦い』が上映され、「ジャン・グレミヨン特集」が併催された2014年、フランス映画の、シネマの、最先端を体験することのできる特集上映「カイエ・デュ・シネマ週間」が、今年もフランスのカイエ・デュ・シネマ誌と連携のもと、アンスティチュ・フランセで開催される。
第18回を迎える今年の「カイエ・デュ・シネマ週間」は、カイエ・デュ・シネマ誌の2014年トップテンで1位に選出された『プティ・カンカン』のブリュノ・デュモン監督を迎えるティーチインが予定されている。デュモン監督の特集上映に加えて、監督が敬愛する1920年代アヴァン・ギャルド映画の中心的存在であるジャン・エプシュテインの作品も上映される。
また、カンヌ国際映画祭の中でも、「監督週間」や「批評家週間」よりも、新しい才能を発見できるとも言われる「ラシッド/L'ACID(独立系映画配給組合)」の特集プログラムが組まれており、カイエ・デュ・シネマ誌の編集者、ライターでもあるジャン=セバスティアン・ショヴァン氏が自らの監督作品を携えて来日し、作品紹介や対談に登壇する。
長年、情熱と暴力の間で善悪の河岸と対峙してきたブリュノ・デュモン監督作品を、監督と共に見る希有な機会であると同時に、日本の若い観客や映画作家たち、映画人たちを強く刺激する機会になるに違いない「ラシッド特集」が開催される本特集上映は、今、最もアクチュアルな映画プログラムであることは間違いない。1991年に180人の映画監督が署名した「抵抗」のマニフェストとともに誕生した「ラシッド」が示したフランス的"連帯"に、日本の映画人も学ぶことが、きっとあるはずだ。
(上原輝樹)
2015.1.30 update
第1期:2月1日(日)・6日(金)・7日(土)・8日(日)
第2期:3月6日(金)・7日(土)・8日(日)・13日(金)・14日(土)・15日(日)
特別ゲスト:ブリュノ・デュモン(映画監督)、ジャン=セバスチャン・ショーヴァン(「カイエ・デュ・シネマ」編集委員、映画監督)、エミリー・コキー(シネマテーク・フランセーズ)

会場:アンスティチュ・フランセ東京
料金:会員500円、学生800円、一般1,200円
チケット販売時間:上映当日各回の1時間前から上映開始20分後まで。チケット販売時間内には、当日すべての回のチケットをご購入いただけます。

公式サイト:http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/cinema1502010315/
上映スケジュール
2月1日(日)
14:00
ユマニテ
(148分)


17:30
アウトサイド・
サタン

(110分)
2月6日(金)
15:30
フランドル
(90分)
フランドルの男
(52分)
19:00
エプシュテインによるブルターニュの詩
海の黄金
(70分)
揺りかご
(6分)
テンペスト
(22分)
上映前:
ブリュノ・デュモン監督による作品紹介あり
2月7日(土)
11:00
ハデウェイヒ
(105分)


14:00
カミーユ・クローデル
ある天才彫刻家の悲劇

(97分)








16:30
プティ・カンカン
(200分)
上映後:
ブリュノ・デュモン監督によるティーチ・インあり
2月8日(日)
12:30
少女と川
(65分)


14:30
子供たち
(40分)
そして彼らは山をよじ登る
(34分)
上映前:
ジャン=セバスチャン・ショーヴァンによる作品紹介あり




17:30
メルキュリアル
(104分)
上映後:
ジャン=セバスチャン・ショーヴァンと松井宏による対談あり
   
3月6日(金)
19:00
ハデウェイヒ
(105分)







3月7日(土)
13:00
モープラ
(85分)







15:30
アッシャー家の
末裔

(59分)
上映前:
エミリー・コキーによる作品紹介あり
18:00
二重の愛
(104分)
上映後:
エミリー・コキーによる講演あり
3月8日(日)
12:30
アッシャー家の
末裔

(59分)






14:30
蒙古の獅子
(104分)





17:30
ユマニテ
(148分)



3月13日(金)
19:00
ジーザスの日々
(96分)







3月14日(土)
13:30
少女と川
(65分)







15:30
メルキュリアル
(104分)





18:30
オルレアン
(58分)
パンドラ
(36分)

3月15日(日)
12:30
エプシュテインによるブルターニュの詩
海の黄金
(70分)
揺りかご
(6分)
テンペスト
(22分)
15:00
ジーザスの日々
(96分)





17:30
ドノマ
(133分)



*開場は20分前。全席自由、整理番号順での入場とさせて頂きます。上映開始20分後の入場は、他のお客さまへのご迷惑となりますので、固くお断りいたします。
上映プログラム

ブリュノ・デュモン特集

『ジーザスの日々』(La Vie de Jésus)
フランス/1997年/96分/カラー/35ミリ/日本語字幕付
出演:ダヴィッド・ドゥ-シュ、マルジョリー・コットレル、カデル・シャアトゥフ

少年フレディは、恋人のマリーや仲間の前でてんかんの発作を起こしたり、バイクで何度も転んでしまったりと、自分自身をうまくコントロールすることが出来ない。苛立ち、不機嫌さを抱えながら、一方で、兄を亡くした友人を気遣い、飼っている小鳥に鳴きかたを教えて"鳴き声コンテスト"で優勝するなど、人並み以上の優しさも持っている。マリーとはセックスの喜びで、仲間たちとはバイクの遠出や、ブラスバンドで時間をつぶし、退屈さを紛らせているフレディ。しかし、彼の閉塞感は、マリーへ付きまとうアラブ人少年の登場で一転する。 少年への激しい憎しみと差別意識は、レイプ騒動や、ついには恐ろしい暴行の瞬間を招いていく。
『ユマニテ』(L'Humanité)
フランス/1999年/148分/カラー/35ミリ/日本語字幕付
出演:エマニュエル・シコッテ、セヴリヌ・カヌール、フィリップ・テュリエ

少女の強姦殺人事件。捜査担当のファラオンは、刑事らしくない、無垢でナイーブな男。彼は、下半身が剥き出しにされ、野ざらしになった無残な死体や、思いを寄せている女性ドミノの、恋人ジョゼフとのセックスを目撃するショッキングな体験をしながら、ただ悲しみとともに、それを静かに受け入れる。 進展しない捜査の一方で捉えられる、ファラオンとドミノ、ジョゼフの日常。田舎町の菜園や、町外れの道のどこまでも美しい風景。そうした張りつめた静謐さの作り出す異様な時間の流れと、性器もが映し出され、肉体のぶつかり合いとして描かれるセックスが、不安にさせるほどの強烈さで観る者に迫り、挑発していく。
『フランドル』(Flandres)
フランス/2006年/90分/カラー/35ミリ/日本語字幕付
出演:アデライド・ルルー、サミュエル・ボワダン、アンリ・クルテル

人間のあらゆる罪を受け止めるかのように男たちと体を重ねる少女の姿を描き、第59回カンヌ国際映画祭で審査員グランプリを受賞した衝撃作。地方で暮らす少女バルブは、複数の男たちと関係を持つ。彼女に強い想いを抱くデメステルもその内の1人だった。やがて他の男たちと戦場に赴いた彼は、そこであらゆる罪を犯していく。それに呼応するかのように、バルブの精神は異常を来たし始める。

「『ジーザスの日々』『ユマニテ』と続くデュモンのフィルムの中でもっとも完成しているのが、このフィルムであることはまちがいない。もちろん、完成とは いったい何なのか、という問題もあるだろう。明確な回答は見つけられないが、もしこのフィルムが「欲望」と「現実」を描きたいとするなら、その延長線上に このフィルムが来ることは明らかだろう。「欲望」と言っても、固有のそれではなく、つまり、ぼくが君を求める、というものではなく、女であることによって、男性の性器を求めるということ、あるいは「現実」といっても歴史の中で、固有の時刻の中で生起する出来事という意味ではなく、「土」とか「血」といった物質性という意味においてのことだ。」(梅本洋一)
『フランドルの男』(L'Homme de Flandres)
2006年/52分/カラー/DVD/英語字幕付
監督:セバスチャン・オルス

ブリュノ・デュモンの『フランドル』の現場を撮影したメイキング・ドキュメンタリー作品であり、知られざるデュモンの映画手法が明かされる。キャメラは監督と素人の俳優達との間の独特な関係を映し出していく。監督は登場人物たちを肉付けしてくために、俳優たちに個人的な物語から引き出された感情的強度を映画の中に与えることを要求する。
『ハデウェイヒ』(Hadewijch)
フランス/2009年/105分/カラー/35ミリ/日本語字幕付
出演:ジュリー・ソコロウブスキ、カール・サラフィディス、ヤシーヌ・サリム、ダヴィド・ドゥワエル

東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品

修道院で生活するセリーヌは、13世紀フランドル地方のキリスト教神秘主義的詩人ハデウェイヒに傾倒し、激しく感化され、その盲目的な信仰心ゆえに修道院を追われる。パリの大邸宅に戻るが、裕福な家庭で、やり場のない気持ちをもてあました彼女は、イスラーム系のふたりの男性ヤシーヌとナシールと出会う。やがてセリーヌは神への情熱的で倒錯的な愛に駆られ、恩寵と狂気のはざまで、危険な道へと導かれてゆく。

「映画の仕事をする時に、いつも思っているのが理想を持たないことです。だから、プロの俳優を使いません。真実は普通のものから生まれます。プロだと理想像を持ちたがります。平凡である、普通であること、その人が世界で一つであることが、普遍的で真実を訴えることが出来るのです。愛は様々な多様性の中から生まれるものです。理想からではひとつになってしまう。何も生まれないし、真実を語れない。普通だからこそ表現できるものがあります。」(ブリュノ・デュモン)
『アウトサイド・サタン』(Hors Satan)
フランス/2011年/110分/カラー/35ミリ/日本語字幕付
出演:ダヴィッド・ドゥワエル、アレクサンドラ・ルマートル、ヴァレリー・メスタグ

フランス北部の海岸沿いの町コート・ド・パール。小さな村のそばに広がる砂丘や湿地帯。そこに、ひっそりと暮らす謎めいた男がいる男は狩りをし、祈り、火をおこす。農家の娘が彼の世話を焼き、ふたりは不思議な絆で結ばれるが、やがて娘の周囲で人が殺される...。息を呑む映像美で善悪の彼方を見つめる。第64回カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品作品。第一回サンジェルマン賞の最優秀フランス映画賞を受賞。

「まるで宗教のように、それを強く信じるだけでいい、愚かで美しい映画。ブリュノ・デュモンを信じ、彼に着いて行く。大きく目を開いて」。(フィリップ・アズーリ「リベラシオン」)
『カミーユ・クローデル ある天才彫刻家の悲劇』(Camille Claudel)
フランス/2013年/97分/カラー/デジタル上映/日本語字幕付
出演:ジュリエット・ビノシュ、ジャン=リュック・ヴァンサン、エマニュエル・カウフマン

1864年、フランスに生まれたカミーユ。19歳の時、彫刻家ロダンに弟子入りし、23歳年上の彼と恋に落ちるが、15年間に及んだ2人の恋愛関係はやがて破局。父親の死後、カミーユは家族によってパリ郊外の精神科病院へ送られ、1915年、彼女は今や南仏のモントヴェルク精神科病院で周囲の人々から孤立しつつ、つらい毎日を送っていた。弟のポールが週末に訪ねてくると知らされ、カミーユはそれを心待ちにするのだが...。

「ほとんどのフランス映画はたんなる背景でしかないと思わせる『カミーユ・クローデル 1915』の静かなる力は、切り替えしの魔法を信じることでもある」。(ステファン・ドゥローム「カイエ・デュ・シネマ」)
『プティ・カンカン』(P'tit Quinquin)
2014年/200分/カラー/デジタル上映/日本語字幕付
出演:アラヌ・ドゥラエ、リューシー・カロン、ベルナール・プリュヴォスト

ブロネ地方の海岸沿いの村に住む少年プティ・カンカンは、ガール・フレンドのイヴ、仲間たちと自由に休暇を過ごしている。ある日、海岸に警察のヘリコプターが着陸し、洞穴から牛の遺体を引き出しているのを目撃する。その牛のお腹からバラバラにされた女性の遺体が見つかる。そして牛の遺体はもう一体、また一体とふえていく...。警察部長のヴァン・デル・ヴェイデンと部下のリュデュ・カルパンティエ、ズッコケ二人組、そしてプティ・カンカン率いる子供たちは、それぞれこの奇妙な事件を追っていく。テレビ局アルテから白紙委任状を受けたデュモンが撮影場所でオーディションした素人たちとコメディと犯罪ものが見事に融合した傑作を生み出した。テレビ・シリーズでは通常ありえないシネマスコープで撮影され、今回はカンヌ国際映画祭で上映されたのと同じ、シネマスコープ映画版にて特別上映する。

「ときに一本の映画を前にして唯一ある言葉が漏れてしまうことがある。「ありえない」と。最後にその言葉を漏らしたのはレオス・カラックスの『ホーリー・モータズ』を前にしてであった。今日、『プティ・カンカン』を前にその言葉を漏らしている。ブリュノ・デュモンのようにシリアスな映画作家がここ数年でもっとも笑いを呼ぶ作品を撮ってしまうなんて。まるでより高いレベルへと到達するためには脇道に逸れてみるだけで十分であるかのように、そのスタイルをまったく変えて、作品を完成してしまうなんて。突然、ベルイマンやアントニオーニ、あるいはドライヤーやタルコフスキーの喜劇を見る夢をみさせられているかのようだ。フランスの奥深い田舎町に暮らす人々を、揶揄することなく、笑わせることができるなんて。たしかにカンヌ国際映画祭でのお披露目の際に監督自身も述べていたではないか、「心の底から笑って下さい」と。そしてまた今まで見たことがないほど素晴らしい喜劇俳優が、数ヶ月前まで庭師をしていた無名の俳優だなんて。ありえない、不可能だ、でもここに私たちが望むすべてがある」。(ステファン・ドゥローム「カイエ・デュ・シネマ」)

ブリュノ・デュモン Bruno Dumont
1958年、北フランスのフランドル地方の町バイユールに生まれる。哲学教師、ジャーナリストを経た後、そして『パリ』、『マリー-とフレディ』短編作品を撮り、『ジーザスの日々』で長編デビューを果たす。自身の故郷バイユールを舞台に、無軌道な少年の鬱屈した日々と、一瞬にして芽生える狂気を描いたこの作品は、独創性と斬新さで第50回カンヌ国際映画祭にて初長編作品にして、カメラ・ドール特別 賞ほか多数を受賞する。続く第2作、少女の殺人事件を捜査する警部補の姿を描いた『ユマニテ』は、第52回の同映画祭にて審査員グランプリ、主演男優賞、主演女優賞と主要部門で三冠という快挙を達成した。その上映では、挑発的な内容に怒りをあらわにし、席を立つ者もいたというほど、強烈な賛否両論で 一大センセーションを巻き起こした。2006年の『フランドル』は第59回カンヌ国際映画祭で自身2度目となるグランプリを受賞。2009年の『ハデウェイヒ』は第34回トロント国際映画祭のスペシャル・プレゼンテーション部門に出品され、国際映画批評家連盟賞を受賞した。2013年、ジュリエット・ビノシュをカミーユ・クローデル役に起用し、初めて実在の人物を描いた『カミーユ・クローデル ある天才彫刻家の悲劇』を発表。第63回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品。2014年、アルテ制作で初のテレビ・シリーズ『プティ・カンカン』を発表。第67回カンヌ国際映画祭の監督週間部門で特別上映され、世界的高い評価を得、同年の『カイエ・デュ・シネマ』誌の年間トップテンでは第1位に選出された。デュモンの作品では、多くの場合、撮影される場所でオーディションされた素人が起用され、彼らの特徴を最大限に引き出し、映画に反映させることによって、登場人物たちにとてつもない魅力と深さを与えることに成功している。
ジャン・エプシュテイン特集

アルバトロス時代
1924年〜1926年、エプシュテインはアルバトロス社の注文で「商業的」作品を製作した。『蒙古の獅子』と『二重の愛』は仏米文化助成金によって2009年に修復された。

『蒙古の獅子』(Le Lion des Mogois)
1924年/99分/モノクロ/デジタル上映/サイレント・英語字幕付
出演:イヴァン・モジューキン、ナタリー・リッセンコ、アレクシアン、ミラ・セレール

ムガル王朝は混乱に陥っていた。ルーンギト=シン王子はフランスへ映画を作るために逃げおおせる。パリで彼は成功を得て、娯楽に興じる。
『二重の愛』(Le Double amour)
1925年/104分/モノクロ/デジタル上映/サイレント・英語字幕付
出演:ナタリー・リッセンコ、ジャン・アンジェロ

ロール・マレスコ伯爵夫人はあるギャンブラーに夢中になる。彼は賭博に敗れ、莫大な額を失い、自殺を考える。ロールは彼の行為を阻止しようとするが、その愛人が彼女の主催した慈善パーティーの収益を横領したことを知らないでいる......。
映画試作
1927年〜1928年、エプシュテインは純粋なる映画的探求を行い、それらはフィルム・ジャン・エプシュテインの最初の製作作品となる。

『モープラ』(Mauprat)
1926年/85分/モノクロ/デジタル上映/サイレント・英語字幕付
出演:サンドラ・ミロワノフ、モーリス・シュッツ、ニーノ・コスタンティーニ、ルネ・フェルテ、アレックス・アラン

モープラ家の二人は、大胆な強盗によって富を得ている。人里はなれた城を拠点として、綿密な計画を練り、そして罪に問われることなく、計画を実行する。ジョルジュ・サンドの『モープラ(男を変えた至上の愛)』が原作となっている。
『アッシャー家の末裔』(La Chute de la maison Usher)
フランス/1928年/59分/モノクロ/35mm・デジタル上映/サイレント・日本語字幕付
出演:マルグリート・ガンス、ジャン・ドビュクール、シャルル・ラミー

35ミリ版は東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品
デジタル版はシネマテーク・フランセーズによりデジタルリマスターされ、音楽が付けられたバージョン

ある男が友人であるロデリック・アッシャーからの不穏な手紙を受け取り、彼を助けに駆けつける。アッシャーは不気味な雰囲気が漂う城に住んでおり、彼の妻、マドゥレーヌ夫人は不思議な事情から死に至ってしまう。夫はその死を信じることができず、棺を釘でとめることを禁じる。彼は自分の愛しい人が戻ってくることを信じて疑わない。そして夫が彼女の生還を待っている最中、その言葉どおり、彼女はある晩、再び現れた。
エドガー・アラン・ポーによる複数の小説を下敷きに、スローモーションや多重露光、移動撮影など「フォトジェニック」な技法を駆使して映画の詩的表現を極めたジャン・エプステインの代表作。新人時代のルイス・ブニュエルも助監督で参加している。
ブルターニュの詩
1929年~1934年、ブルターニュ地方の海と漁師に捧げられた映画群で、それらによって海を巡る一大絵巻が構成され、幻想的なる新しいレアリスムが生まれた。1947年にあらたに『テンペスト』が撮られ、このシリーズは完結する。

『海の黄金』(L'Or des mers)
1931年/72分/モノクロ/デジタル上映/仏語字幕付

ベル=イルとナントのあいだに浮かぶ島、へディック島には百世帯ほどの漁師の家族が住んでいる。港がないこの島は、台風がやってくると島に立ち入ることができなくなり、島の住人たちは郵便や生活物資も受けられなくなる。へディック島の住人はとてつもない貧窮の中で生活しており、漁がうまくいかない日が半年も続けば、彼らの多くは飢餓で苦しむこととなる。そんな中でもっとも貧しい老人クワレックは島の住人から疎外されている。そんな彼がある晩、砂浜に打ち上げられた箱を見つける。彼の発見を知った島の住人たちは、宝物を見つけたのではないかと想像する。彼はたちまち注目の的となり、人々は彼が口をすべらすことを期待して、お世辞を言い、ごちそうし、酒を振舞う。そんな中、クワレックは秘密を握ったまま亡くなってしまう。彼の娘ソワジグが宝のありかを知っていると確信する住人の一人が、自分の息子、島で一番男前のレミーに彼女を誘惑するよう言いつける。しかし、逆にレミーがソワジグの魅力にとりつかれてしまう......。

「『海の黄金』を見たとき、私は呆然としました。なぜなら、私が現在行っていることとあまりにも近いものだったからです。私がこの作品に心を打たれたのは、端的に言えば、演出です。つまり、素人の役者たちや風景をショットの中に浮かび上がらせ、そこからいかに物語を生じさせていくか、ということです」。(ブリュノ・デュモン)
『揺りかご』(Les Berceaux)
1931年/6分/モノクロ/デジタル上映/仏語字幕付

揺りかごを揺らす女性。男が海から陸に上がってくるが、彼は女性とゆりかごを遠くから見つめている。
1931年、トーキー映画初期の時代。トーキー映画を発展させる目的を持った製作会社、「シンクロ=シネ」の発明家シャルルは、1930年に「撮影されたシャンソン」というスタイルを考案する。シャンソンを映像で語るもので、現代におけるプロモーション・ビデオのようなものだ。エプシュテインは同会社のために、一連の映画を撮る。この作品はその珍しさ以上に、シュリ・プリュドムの詩とガブリエル・フォーレの音楽が美しく映像によって描かれており、その映像はメランコリーな詩と調和して、穏やかなメロディーが交じり合い、幼年時代の終わりを船出として描く、美しい暗示に我々も揺り動かされることだろう。
『テンペスト』(Le Tempestaire)
1947年/22分/モノクロ/デジタル上映/英語字幕付

若い娘は外界へ出た婚約者が戻らず不安となる。見かねた祖母は娘にトンペステール(天候を操るとされる魔術師)に会いに行くようすすめる。その魔術師とは、古代の信仰によって、自然の力をコントロールする能力を持っているという。ジャン・エプシュテインは第二次大戦直後に撮った本作で、現実からの着想と形式的探求の総括を行っている。

「不可視なものを語るには可視なるものに頼るしかありません。風景の前にキャメラを置き、そのあとに起こる何かに気づくのを待つしかほかにできることはありません。実際、それは風景以上のものなのです。エプシュテインが映した海は、海ではない。映画的海であり、海ではないのです。事物を撮りながら、エプシュテインは自分が別の何かを撮っていることを十分わかっているでしょう」。(ブリュノ・デュモン)

「『テンペスト』は過去の作品でも、今日の作品でもありません。驚くべきなのは、その深い詩情、人間的共鳴、構成上の絶対的均衡であり、幾人かの者達が亡くなっていなかったら、映画はこうありえただろうというものを示しています。まさに未来を予示している傑作です」。(アンリ・ラングロワ「カイエ・デュ・シネマ」)

ジャン・エプシュテイン Jean Epstein
「菱形の顔」の映画作家(アベル・ガンスによる言い回し)、詩人であり、映画理論家でもあったジャン・エプシュテインは、長いあいだ評価されずにいた。それは彼の作品群が分類不可能で、困惑させられるほどの多様性を持っているからかもしれない。ジャン・エプシュタインはまずアヴァン・ギャルドの作家であり(1930年前後に制作された映画、例えば『三面鏡』、『アッシャー家の末裔』など)、実験映画(『ベル・ニヴェルネーズ号』、『貞節なる心』)も手がけ、そして海を巡るドキュメンタリー風フィクション(『大地の果て』、『海の黄金』)も撮っている。エプシュタインにとって、映画はそれ自体が「世界のイマージュを作りあげ、つまり思考させる、実験的な装置」である。

「私にとって、ジャン・エプシュテインはフランス映画の中で重要な位置を占めています。彼はフランス映画の中心的人物のひとりであり、その演出、主題においてはまさにフランス映画の導き手であると思います。もちろんその背後には独自の哲学があり、彼の著作は読むと、映画について大変力強い考察があります。だから彼は奥深いところまで探求し、彼の作品はそうした奥深いところまで追求されるのです。彼のショットの作り方、それは何かを引き起こし、不可視のものを生じさせ、驚くべきものを出現させます」。(ブリュノ・デュモン)
ラシッド特集

ラシッド(独立系映画配給組合)は1992年に、支配的な配給ネットワークの外側での映画の流通を可能にするために連帯する空間として、映画作家たちが映画作家たちのために創設した組合。ラシッドは商業的により脆弱ながらより革新的な映画を擁護している。新しい配給戦略を発展させながら、ラシッドは精力的で、必要不可欠な機関として、ブリュノ・デュモンやラバ・アミュール=ザイメッシュら、重要な映画作家たちの才能を発掘し、紹介することに大いに貢献してきた。 ラシッドは毎年、20本から30本もの映画作品を支援し、カンヌ映画祭では、その大半がまだ配給のついていない9本の長編作品を紹介している。
その創設から、ラシッドは、ドキュメンタリー、フィクションともに世界中の作品を470本以上支援してきた。今回はこの組合が支援してきた作品の中から最近の作品を5本選び、紹介する。

『ドノマ』(Donoma)
2011年/133分/カラー/デジタル/英語字幕付
監督:ジン・カレナール 
出演:エミリア・ドルー=ベルナル、セクバ・ドゥクレ、サロメ・ブレマン

専門高校のある女性教師が自分のクラスの劣等生と微妙な関係におちいる。ひとりの若い女性は愛に絶望を感じ、言い寄ってくる人なら誰とでも付き合ってしまう。また不可知論者の少女がキリスト教について問いを抱くようになり、その問いへの答えを求めて、社会から疎外された信仰深い若い少年に出会う。これらのストーリーは互いに影響し合うことなく交錯していく。
『ドノマ』はフランス映画のお決まりの手札を蹴散らして、新たな手札を提示している」。(ニコラ・アザルベール「カイエ・デュ・シネマ」)
『少女と川』(La Fille et le fleuve)
フランス/2014年/65分/カラー/デジタル上映/英語字幕付
監督:オレリア・ジョルジュ
出演:サブリナ・セイヴェクー、ギヨーム・アラルディ、セルジュ・ボゾン

ヌークとサミュエルは愛し合っているが、若さゆえ、お互いに対して独占欲が強かったり、不器用になってしまったりする。ある日、ヌークはサミュエルを突然失ってしまう。彼は絶望の淵に沈む......。ヌークの狂気じみた希望は死から彼を救い出せるのだろうか。

「『少女と川』は映画が今日でも活気に溢れ、新しい息吹を吸うことができることを確認できる希望を与えてくれる稀有な作品のひとつである。オレリア・ジョルジュは、特殊効果なしに、映像の的確な選択と演出、音楽だけで非凡なる世界を創り上げることができる特別な作家である」。(セデリック・レピン)
『パンドラ』(Pandore)
2010年/35ミリ/カラー/デジタル上映/英語字幕付
監督:ヴィルジル・ヴェルニエ

パリのナイトクラブの入り口、真夜中から夜明けまで、見張り番が仕切っている。酩酊の夜を過ごせるかどうかの境界線で、夜遊びにやって来た人々が注意深く選別されていく。あなたはインかアウトか...。注目の若手監督ヴィルジル・ヴェルニエのドキュメンタリー短編は、ナイトクラブの客の到来を映画的美しい瞬間へと変える。
『オルレアン』(Orléans)
2012年/58分/カラー/デジタル上映/英語字幕付
監督:ヴィルジル・ヴェルニエ
出演:アンドレア・ブリュスク、ジュリア・オシンニカヴァ、エレンヌ・シュヴァリエ

オルレアン、2011年。ジョアンヌとシルヴィアは20歳で、ストリップクラブでダンサーとして働いている。都心では、ジャンヌ・ダルクの祭典の時期を迎えていた。ふたりの若い女性はその奇妙な式典へ迷い込むことになる。

「本作の大いなる力、毒を含むようなその美しさは、ドキュメンタリー的装置の中で引き起こされるズレからきている。そうしたズレはしだいに白昼夢へと移行していく」。(ロマン・ブロンドー「レザンロキュプティーブル」)
『メルキュリアル』(Mercuriales)
2014年/104分/カラー/デジタル上映/英語字幕付
監督:ヴィルジル・ヴェルニエ
出演:アナ・ヌボラック、フィリップ・スタンデル、ジャッド・ソレスム

この物語は過去の時代、暴力の時代が舞台となる。ヨーロッパ中のあちこちで戦争のようなものが拡大しつつあった。とある町に2人の姉妹が住んでいた......。

「『オルレアン』の次に撮られた『メルキュリアル』は、世界と映画が交錯し、対比されることから生じる力をスクリーンに引き寄せようとするこの監督の独特な野心を確認させてくれる」。(フロランス・マイヤール「カイエ・デュ・シネマ」)
ジャン=セバスティアン・ショヴァン作品紹介

『カイエ・デュ・シネマ』の編集者、ライターでもある同氏は映画監督としても活躍し、現実なるものと幻想的なるものを融合させた独特の作風を見出している。今回は彼の2本の中編作品を特別に上映する。

『子供たち』(Les Enfants)
2013年/40分/カラー/デジタル上映/英語字幕付
監督:ジャン=セバスティアン・ショヴァン
出演:ルナ・ピコリ=トリュフォー

母親と二人の子供。人類を襲った見えない大惨事から唯一、生き延びた彼らは、田舎の中心にある隠れ家に住んでいる。母親がおやつを作っているあいだ、子供たちは、もはや住むことの出来ないこの地球から、遠く離れた場所へ連れて行ってくれる宇宙船を夢想する。そして散歩に出かけた二人は、自分たちが想像した通りの小さな宇宙船を野原で見つける......。

「想像的なるもの、幻想的なるものを信じる、というふるまいはフランスの短編製作において稀有であり、可能な手段を見事に用いたシンプルな作りの中にあるそうした力強く、信念ある行いに敬意を表すべきだろう。ブルターニュの背景に夢幻的な側面を与え、それを越え、新たな地平線へと導いていく」。(マルク=アントワーヌ・ヴォジョワ「フォルマ・クール」)
『そして彼らは山をよじ登る』(Et ils gravirent la montagne)
2011年/34分/カラー/デジタル上映/英語字幕付
出演:ぺルル・ンボヨ、ヤン・エボンジェ

コテ・クール映画祭審査員特別賞受賞作品

ファニーとシモン、20歳になりたての若者二人は、工業地帯から山へと逃げ込む。仕事場で起こった不幸な小事件が、二人を共通の冒険へと誘う。道中、彼らは互いに誘惑し合い、互いを知るようになる。しかし自然のなかで発見した、不思議な物体が彼らの運命を大きく変えることになる。



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