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DIRECTORS'TALK

アモス・ギタイ監督特集 越えて行く映画
アモス・ギタイ監督による解説とQ&A

第11回東京フィルメックス、及び、東京日仏学院で行なわれたアモス・ギタイ監督特集上映<越えて行く映画:第1部・第2部>の上映前後に行なわれた、監督による作品解説、及び、観客とのQ&Aの採録を掲載します。
2010.12.24 update

同時通訳:藤原敏文
採録、文責:上原輝樹

第1部@フィルメックス

<亡命三部作>
『エステル』
『ベルリン・エルサレム』
『ゴーレム、さまよえる魂』
2010.12.24 update

<最新作>
『幻の薔薇』 2010.12.27 update
第2部@東京日仏学院

<イスラエル現代三大都市三部作>
『メモランダム』 2010.12.27 update

<ユートピア崩壊三部作>
『ケドマ』 2010.12.27 update
アモス・ギタイ監督特集 越えて行く映画:第1部・第2部 2010.11.22 update

『メモランダム』



<藤原敏文氏による上映前の解説>

『石化した庭』という作品を最後に、ちょうどそのころに、イスラエルの国内ではイツハク・ラビンが首相になったころで、パレスチナと和平を行うということ、その事もあって10年間、1983年から1993年までパリに住んでいたギタイがイスラエルに戻り、故郷のハイファに再び住むようになって、それでイスラエルで作り始めた現代のイスラエルの三つの都市を舞台にした三部作の一本目の作品がこの『メモランダム』です。原作は「過去進行形」というヤァコブ・シャブダイの小説を元にして、原作の小説自体が現代のテルアビブを舞台にした小説ですけれど、この頃からギタイの映画の撮影スタイルが大きな変化を向かえてきたようです。つまり脚本はあるし原作もあるのに撮影中にどんどん物事を変えてしまう、長回しを使いながらリハーサルを一切やらないという感じで、かなりこれ以前の作品とは違った印象を受けるだろうと思います。あと一つ重要なのは、フィルメックスでやった<亡命三部作>の時には、アンリ・アルカンというフランス映画の大巨匠のカメラマンとの共同作業が非常に重要だったのに対して、この『メモランダム』からレナード・ベルタというイタリア系スイス人、元々ドイツのダニエル・シュミット監督らと撮影していた人が、ギタイと組んで作品を撮るようになります。ちなみにレナード・ベルタ氏はその後何本もギタイの映画で組んでいますが、ヘブライ語という言葉を全く知らない、映画の中で語られている事を知らないでカメラを回しているという、そういう状況で撮られている映画でもあります。
『ケドマ』



<上映前のティーチイン>

Q:『エステル』と『幻の薔薇』と『ベルリン・エルサレム』のロングショットのラストシーン、この長いロングショットは準備もかなり時間をかけてやられて、一日で撮影したものなのか、それとも何度もやられたのか、あと撮影の最後に撮られたのかどうか、お話頂けますか?
A:長回しは実際に一番最後に撮ったものです。それまで撮影をしてきた中で自分が感じた事、考えた事、体験、全てを自分の中で消化した上でそういうものを最後にもってこようと思ったのです。そこで『エステル』の場合は、映画のキャスティングの出演者達の持っている人間的な豊かさを最後に強調して終わりたかった。そして『ベルリン・エルサレム』の場合は、大きなアイロニーがその場所に集められて、ユートピア思想として理想の場所を作ろうとした事が実際には中近東の現在の中で完全に崩壊してしまっている事を最後に表現しなければならないと思ったからです。ここで東京日仏学院という場所であえて言いますけれど、『幻の薔薇』の場合は最後にパリを一つの巨大な消費文化の中心として位置づけて終わらなければいけないと思ったのです。私自身は全く人種差別的なところがない人間ですので、自分が生まれた場所であろうが今自分が住んでいる場所であろうが問題があるものはきちんと批判精神、批評精神をもって向き合おうと思っています。フランスの場合は様々ないわゆるファッションで大手ブランド、高級ブランドのある国として非常に重要なアクティブな消費文明の参加者である、そういう国です。
Q:何本か観させて頂いたんですが、例えば『エステル』の場合ですとユダヤ人の役をパレスチナ人がやっていたりですとか、『カドッシュ』の場合でもラビの役をパレスチナ人がやっています。そのあたりは監督はどういう意図でそういう風にキャスティングされているのでしょう?
A:まず、一番最初に決めたのは彼がいい俳優だからです。私が生まれた国では、必ずしもあのキャスティングは支持されているわけではない、好まれてるような事ではないんですが、しかし、そういう事を言われた時にいつも言うのは、ユーセフ・アブ・ワルダ、あのパレスチナ人の俳優が『カドッシュ』のラビの役をやっている人ですけど、ユーセフ・アブ・ワルダはパレスチナ人だからといってラビの役を演じちゃいけないという事はユダヤ人の俳優はみんなシャイロックの役以外、役がなくなるじゃないかと言い返してやる事にしています。一方で重要なのはやはり言葉と文化の間に、ささやかであったとしても優しい橋を渡そうという事をしなければならない、なぜならば文化の主流の流れの中で残念ながらむしろそこに憎しみばかりを背負い込もうとする流れが強すぎるからです。また一方で先ほどのご質問とも関連するところで言うと、私の作っている映画というのはある意味、自分自身の日記の大きな一つの章が一本の作品になっていると思っている部分があって、そういう意味で日記だから日付を付けなければいけない、日付として先ほどご質問があったようなショットを最後に入れています。ちなみに、先程のラビをやったユーセフ・アブ・ワルダは次の『ケドマ』でも大変に重要な役で出ています。
Q:監督は『ブランド・ニュー・デイ』という作品で日本でドキュメンタリーをお撮りになっているんですけれども、機会があれば日本で劇映画も撮ってみたいというお考えはありますか?
A:興味深くなるだろうと思います。
Q:『石化した庭』を観た時に、テオ・アンゲロプロスというギリシャの監督の『ユリシーズの瞳』とか『アレクサンダー大王』をちょっと感じさせるようなシーンがありました。手が出てくるくだりですが、そういうモニュメントが出てきて、今回の撮影監督はアンゲロプロスの作品を手掛けているという事で、監督がやっぱりアンゲロプロスのような文化人類学的な映画を意識したというか、そのへんの関係というのはいかがでしょうか?
A:あのまず議題順で物事をちゃんと検証しますと、確かに私が『ケドマ』でヨルゴス・アルヴァニティスと仕事をする前にアンゲロプロスはヨルゴスと仕事をしています。でもテオが手を使う前に私が『石化した庭』で手を使っていますから、これでおあいこかなと思っています。ヨルゴス・アルヴァニティスは大変に優れた撮影監督だと思っています。この映画は私が基本的にずっとレナート・ベルタと組んでいた時期に作った中の一本ですが、確か『ケドマ』の時はレナートが既にアラン・レネの映画を撮る契約になっていてそれで自由ではなかったという記憶があります。私自身は自分の映画は基本的に12月から1月にかけて撮ろうという風にしています。なぜならばその季節だけイスラエルでは比較的太陽の光が柔らかいからです。そこで誰にしようかと思った時に、プロデューサーからアルヴァニティスと会ってみたらどうかということがあって、そこで話をして結果としてこの映画で大変に素晴らしい仕事をしてくれたと思っています。
Q:最近、監督は毎年一本のすごいハイペースで映画を制作されていると思いますけれども、映画製作に向かう思いというか、そういった向かわせるものがあるのかなと思って、お尋ねしたいのですが。
A:その理由は毎年日本に来られるからです(笑)。しかし、撮る機会が、なおかつ欲望、動機が自分の中にあるのであれば続けるべきだと思います。というのも、欲望がなくなれば、あるいは何しろ映画を作るというのはものすごく疲れる仕事ですから、止めようと思えば簡単に止められてしまう、その方が楽だから。ですから機会とやる気、欲望があり続ける限りはやっぱり仕事をするべきだと思うんです。ほっておいてもいずれは私が退任するまでもなく、機械が、映画製作マシーンが、どこかで止まる時は止まると思います。
Q:先ほど監督の映画を観た時も僕の中に今具体的な問題意識がそこまで持てていなかったなと痛感してしまったんですが、今の質問への返しなのですが、アモス・ギタイ監督は映画を撮る時、何かを信じて映画を作られているんでしょうか?それとも何も信じないですか?
A:確かに映画を作る時の動機の一つとして何かに大変な怒りを感じているという事は重要だと思います。その時に映画っていうのはそれを伝えるための一つの手段にもなりうるわけです。しかし一方でそれは怒っているだけではなくて、その事に対して魅力を感じる、魅了されなければやはり映画にはならない。この二つのバランスが非常に上手くいっている時には映画の中で非常に貴重なものが生まれるだろうと思います。それは非常に抽象的なんですけれど、抽象的な極めて優れた映画に大事なのが映画全体のムードというもの、それが怒りと魅了されていることの緊張関係の中で生まれてくるんだと思います。そこでそのムードというものを捉えることが出来た時に、それは様々な事を映画の中に運んでくれる、それは物語であったり、テーマであったり、議論であったり、あるいは美的な問題であったり、美であったり、そういう事を運んでくれるものになるわけですね。しかし一方でそれは極めて微妙なバランスというのをとった本当に細い一線の上をかろうじて歩くような、そういうものであろうと思います。

ここでこれからご覧になる『ケドマ』について少しお話をしようと思います。ちょうど今のご質問の延長としていいかなと思うからです。この映画の歴史的な文脈ですけれど、それは時代設定として1948年の4月、このほぼ一ヵ月後1948年の5月にはパレスチナのイギリスによる委任統治が終了します。イスラエル建国の一ヵ月前くらいの時期でもイスラエル側ユダヤ人の地下組織による武装集団、軍隊とパレスチナ側アラブ人側のヨルダン同盟を中心とする軍事勢力の間で激しい戦いが、特にエルサレムに向かう道を巡って展開していました。そこで地中海岸にあるテルアビブからエルサレムに向かう道の、エルサレムに入る直前の丘の部分の道をアラブ同盟側が支配していて、そこでエルサレムの市内では水や食糧といった物資が不足している。その時にイギリスはアラブ側にエルサレムに向かう道の重要な部分である砦を託すと同時にユダヤ人側にはイスラエルの領土を約束した、つまりそこでイギリスが今も残っている解決出来ないような問題を、ある意味で完全にその場所に位置づけてしまった。その一方で、ユダヤ人側のまだ軍隊とか組織化されたものではないイスラエル側の兵士の多くは、それこそパレスチナの土地に着いたばかり、それ以前はヨーロッパで強制収容所を生き延びてこの場所に着いたばかりの人が大勢います。中には着いた途端にエルサレムへの道を巡る戦いにそのまま動員された人達もいます。私自身はイスラエルの建国を巡る映画を作るにあたって、まさにその瞬間そのものを捉える映画を作ろうと決意しました。

この映画自体は実際のところ三つの部分に分ける事ができます。最初の部分ではほとんどサイレント映画に近い、ほとんど台詞がありません。第二部にあたる部分が戦争。この戦争の部分のデザインに関しては、技術監督、特殊効果、そしてもちろん音響担当とも長い間色々な議論をした中で非常に重要だったのは、なるべく銃声が単発である事、あまり大きな大砲のような銃声を響かせない、なぜならばこの時代に双方の軍隊が使っていた武器というのは非常にミニマルな、当時としては時代遅れなものが多かったからです。そして最後にこの映画は先ほど言いましたように、ほとんど静かな台詞がない状態で始まりながら、最後には言葉によって終わります。そこで私は最後の部分で、パレスチナ側の歴史体験に関する言葉とイスラエル側の歴史体験に関する言葉を平行して見せようと思いました。この映画の最後の部分は非常に直接的に、大変な才能を持ったパレスチナ、そしてイスラエル双方の文学者の作品に多くを負っています。パレスチナ側はターフィック・ザイヤード、マウンド・ダルビッシュ、そしてガッサン・カナファーニという三人、そしてイスラエル側ではハイム・ハザーズという非常に優れた才能を持った小説家ですけれど、彼は実はこれからこの映画で皆さんがご覧になる台詞を1942年に作った。時には映画というのはそういったものを記録するために残しておくためにも役割を果たす事が出来ると思うんです。例えば建築であったり、この映画の場合は文学、そこで映画として記録しておくことで残しておく事ができる、それがなければ消えてしまうかもしれない。

この映画をマリー=ジョセ・サンセルムと書いた時に、この企画は常に脚本が何度も変わり続ける、例えばこの戦闘を中心にして脚本を書こうと思っておきながら、全く別の戦闘を逆に取り上げたり。そこであるいはその戦闘シーンが朝なのか夕方なのか夜なのか、そういった設定を変えることで映画の輪郭自体が決まって来るわけで、それを様々な変更を加えながらだんだん輪郭をはっきりさせることは非常に私達にとって重要な作業でした。日本語の翻訳は出ていないんですが、フランスで出た「ジェネーズ(創世)」という、アモス・ギタイ、ジャン=ミシェル・フロンドン、マリー=ジョセ・サンセルム共著で出した本の中で、マリー=ジョセ・サンセルムはこの映画の脚本家ですが、その変化をかなり克明に記録した文章を書いています。しかしこの映画の中で一番重要な変更というのは撮影がほんの10日前に起こったことです。それまではイスラエル独立側の軍隊の映画を描くことを考えていた、しかしこの映画の撮影が始まるほんの10日前になって最終的に独立運動で戦った人達のヒロイズムに興味が持てなくなってしまった。その時に移民達こそ中心の映画にしてしまおうじゃないかと考えた。そこでこの映画にいわゆる独立運動の兵士としてキャスティングしていたイスラエルの中でも有名な俳優達が最終的な映画ではほとんどエキストラみたいな役割になってしまった。

そこで最後に一つだけ申し上げるなら、あなたの質問に対して答えたムードというものを過去に自分が作った映画を振り返ってどこでそのムードが生まれたのだろうという事を自分で分析して考えてみようとすると、いかにして自分自身が何に興味を持ったんだろうと説明する、自分に対して説明する、そこで思い出したのが自分は確か6歳か7歳の時だったと思うんですけど、子供のころ両親の家にあった木の塊、木片でした、その木片はナイフで彫刻されたものだったんです。とても美しいものでした。母にこの木は何なの?と尋ねたことを思い出しました。母が教えてくれたのは、これを削った人は移民船に乗った人だった、そこでパレスチナに着いた時は泊まる場所がなかったのでうちに泊めてあげた。そこである日松の木の枝を持ってきて、それをナイフで彫刻した、その後彼は二度と戻ってこなかった。多分その事を母から聞いた事が子供の頃の自分にとっては大変にショックだったんだと思います。なぜたまたま取ってきただけの松の枝をこんなに美しく彫り上げられる人が、なぜ帰って来れなかったのか?その感情が『ケドマ』という映画になったんだと思います。近い将来にまた皆さんにお会いできることを楽しみにしています。


『メモランダム』

出演:アッシ・ダヤン、アモス・ギタイ、アモス・シュブ メナヘム・ゴラン

フランス=イスラエル=イタリア/1995年/110分/35ミリ/カラー/日本語字幕付



『ケドマ』

出演:アンドレイ・カシュカール、エレナ・ヤラロヴァ、ユーセフ・アブ・ワルダ、モニ・モシュノフ、メナヘム・ラング、トメル・ルソ、リロン・レヴォ

フランス=イタリア=イスラエル/2002年/100分/デジタル上映/カラー/日本語字幕付