OUTSIDE IN TOKYO ENGLISH
WAYNE WANG INTERVIEW
コスタ=ガヴラス オン 西のエデン

『スモーク』(95)『ブルー・イン・ザ・フェイス』(95)『赤い部屋の恋人』(01)など、作家ポール・オースターとの共作の印象が未だに強いウェイン・ワン監督だが、それ以前は2作目で注目が集まるきっかけとなった『Chan Is Missing』(82)から、『Dim Sum: A Little Bit of Heart』(85)『ジョイ・ラック・クラブ』(93)など、中国系の物語を丁寧に描く監督としての名声を築きつつあった。文学作品を描ける監督という好印象と、インディペンデント性の強い作品から大作まで撮れるバランス感覚が評判を呼び、『地上より何処かで(Anywhere But Here)』(99)『メイド・イン・マンハッタン』(02)などハリウッドのメジャー作品にも請われてきた。だが彼の映画を知る人は、彼の文学的で丁寧な作品を密かに望んできたはず。それは彼が中国系のルーツに立ち返った『千年の祈り』に結実した。中国系のベストセラー作家イーユン・リーのショート・ストーリーを脚色し、また作家本人の脚本による映画は、サン・セバスチャン、ロカルノなど、数々の映画祭で賞賛を浴びる。ミニマルでシンプルな語り口を守りながら、同じ家族の父と娘、異なる世代、異なる国で生きてきた2人の前に立ちはだかる無言の壁を描くことで、普遍的な物語へと昇華させた。そんな監督はよく笑い、よく語る気さくな人だった。より多くの人に見てもらいたいという気持ちが伝わる、いい時間だったように思う。

1. アジア的な美意識は小津映画から学んだ

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OUTSIDE IN TOKYO:この『千年の祈り』は2007年に撮影したのですよね?
Wayne Wang:そうだね。2007年に撮影して、その後映画祭を回って、2008年のサン・セバスチャン映画祭に出したんだ。

そこで受賞もしていますね?
そうだね。最優秀映画賞を受賞したんだよね。最優秀監督賞、最優秀主演賞も受賞したから、実際、みんなもらっちゃったんだよ(笑)。

この映画は、あなたが映画を撮ってきた時間の中で、どういう位置にあるものですか?
自分自身が、人として、ひとつに括れるわけじゃないからね。僕は香港生まれの中国人だし、元はイギリスの植民地でしょ。それにアイルランド系のイエズス会宣教師の学校に通っていた。そしてアメリカへ渡り、アメリカ音楽は大好きだ(笑)。元々、多様な文化の奇妙な衝突のような存在なんだ。だから映画にも、いろんな違いがあるものであって欲しかった。中国のことは、明らかによく知っているし、そこからキャリアを始めた。でもその後、いろんな違うことをやってきた。でもアメリカにいる中国人に立ち返るのはこの映画が始めてなんだ。よく知っている題材だし、イーユン・リーの小説(『千年の祈り』新潮クレストブックス)を読んで、とてもパーソナルな繋がりを持っていた。僕も父親との関係はとてもむずかしいものだったし、アメリカへ渡り、違う人間になり、英語が主な言語となり、そういう意味で、自分の人生と繋がるものがとても多かった。奇妙な意味で、僕は映画の(主人公)イーランと同じようだとも言える。

この映画のことを最初に知った時、これこそウェイン・ワンの映画だって思ったんですよね(笑)。でも同時に、予算の大きな映画も撮り、あまり違わずに作っているようにも感じられます。あなたの中では、その違いをどう見ているのですか?
とても大きく違うよ。例えば、予算の大きな映画は、呼吸をする余裕がない。全てが息も付かせぬほど早いスピードで編集される。何も起きなければ、カットされてしまう。だからまず、息をつく暇が与えられていないということが違う。僕は小津(安二郎)監督をとても尊敬しているんだけど、彼の映画を示唆するところがたくさんあるはず。それがひとつで、2つ目には、大きくドラマチックな物語がないこと。典型的なハリウッド映画のような、第一幕、第二幕、第三幕がない。とてもシンプルに撮影されている。いわゆる“押さえ”の映像も多くない。映画の終盤に近づくまでは、クローズアップもほとんどない。とても客観的だ。それはある意味、とてもアジア的な感覚だ。あまり近づきすぎず、中に入りすぎない。ただ眺めるだけ。例えば、そういう撮り方の巨匠である小津の映画を見ても、ホウ・シャオシェンの映画を見ても、エドワード・ヤンの映画を見ても、もっと前の人で言えば、チャン・イーモウでさえ、もっと彼が、登場人物で物語を運んでいく映画を撮っていた頃は、そういう美意識の下に撮られていたから。だからそういう意味で、より大きな映画と比較すると、とても大きく違う。とてもシンプルだけど、とても複雑。何も起きないように見える。カメラもあまり動かないし、とてもシンプルに見えるけど、ものすごくたくさんのことが起きている。そういうところが好きなんだ。
僕はキャリアの最初をペインターとしてスタートしている。そしてペインティングの時代の最後にはほぼ1色で描くようになっていた。たくさんのテクスチャーのあるもので。でも全てが極限まで排除されるようになっていた。だからそういう意味でも大きく違うね。

小津映画との関連ついてもう少し教えてもらえますか?
映画学校に通っている頃、アジア的な美意識がどういうものであるかという感覚を教えてくれたのは小津だった。映画は西洋的な言語だ。つまり、ハリウッドの言語だ。でも小津はそれを取って、とても日本的な表現に持っていくことができた。カメラのアングルや、ショットのタイミングであるとか、先ほど話した客観的なクォリティーだとか。それと、僕が本当に好きだったことで言えるもうひとつは、ドナルド・リチーが言及している“ピロー・ショット”、“何もないショット”が常にあったということ。たまに、ただ廊下を映すだけだったりする。人もいなくて、何も起きない。でも、家族で起きたことや、その物語など、全ての感情を内包しているのはその環境なんだ。それはとてもアジア的なものだ。アメリカ人や西洋人は環境を物語の一部として見ていない気がする。環境はただそこにあるもので、背景に過ぎない。でもアジアの人は、環境をとても意識している。人の、そして何が起きるかの、あまりに大きな一部だ。映画学校の学生だった頃に僕が強く意識させられたのはそこだった。僕が監督した初期の映画で『Dim Sum』(85)というのがあるけど、そこにそんな要素を使った。でも、同じ意味で、この映画はより洗練されているかもしれない。僕はそのことを結構考えてきた。だから、小津に敬意を表しているという意味においては、とてもいい映画かもしれないね。

『千年の祈り』
原題:A Thousand Years of Good Prayers

11月14日(土)より、恵比寿ガーデンシネマほか全国順次ロードショー

監督:ウェイン・ワン
原作・脚本:イーユン・リー
エクゼクティブプロデューサー:小谷靖、孫泰蔵、ジョーイック・リー
プロデューサー:木藤幸江、リッチ・コーワン、ウェイン・ワン
撮影:パトリック・リンデンマイヤー
編集:デイルドゥレ・スレヴン
美術:ヴィンセント・デ・フェリーチェ
キャスティング:トッド・テーラー、フィリップ・ホフマン
音楽監督: デーヴァ・アンダーソン、デルフィン・ロバートソン
音楽:レスリー・バーバー
出演:フェイ・ユー、ヘンリー・オー、ヴィダ・ガレマニ、パシャ・リチニコフ

2007年/米・日合作/35mm/ビスタ1:1, 85/Dolby Digital/83分
配給:東京テアトル

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『千年の祈り』
オフィシャルサイト
http://sennen-inori.eiga.com/
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