OUTSIDE IN TOKYO
TARR BELA INTERVIEW

タル・ベーラ『ニーチェの馬』インタヴュー

5. ”映画”は、今まで、惨めな環境に置かれている貧しい人々の尊厳を充分に見せて来なかった

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Q:あなたは若い頃は哲学者になりたかったと聞きましたが。
TB:いや、それはなかった。

Q:え、違うんですか?
TB:そう。哲学者だったこともなくて、哲学者になれたらと思っていたけど、哲学者になりたいと思っていたのは16〜17歳の頃なんだけれども、哲学を実際に学んだことはなくて、

Q:その哲学者になりたいという欲求があり、その延長戦上に現在の仕事やクリエイティブなプロセスがあると考えることはできますか?
TB:ない!

Q:ほんとに?
TB:ない!

Q:少しも(笑)?
TB:ない、ない、全くない(笑)!映画作家というのは原始的な仕事です。哲学者というのは洗練された仕事です。哲学者はとても慎重に進めなければいけません。全てのものを読まなければいけない。自分は眼鏡をかけて読まなければならなくなってからは、読む本の数も減ってしまったしね。そして終わりに近づいてしまう。もうほぼ終わりだ。ばかげているがね。それが次の仕事ということも確実にないね。

Q:それならば聞いてもいいですか?映画にそもそも感じた魅力、欲求は何だったのですか?
TB:映画に最初に向かった時、22歳の時に初めて映画を撮った。もともと映画は大好きだったけれども、映画館に当時足を運ぶたびに全てまがいもののような作品ばかりしか上映していなかった。俳優もよくなければ台詞も最悪だし格好もよくない。全てがフェイク、まがいものの作品で、自分の知っているリアリティとはかけ離れていた。つまりストリートで自分の見る世界とスクリーンで見る世界とが、もの凄く離れているように感じた。これが人生というより近い何かというものを見せたくて自らカメラを手にした。カメラを持っているということは、より人に近づき、その人と人との間で何が起きているのか、あるいは生きざまであったり、リアリティというのはどういうものなのか、我々は何者なのか、を見せる手だてなわけですから、それを見せるべきだと思うのです。お互いを理解すると、そこからまたより強いものが育ち、どんどんと、より深いものがより豊かなものがそこから生まれてくるわけです、少しずつ理解していくことによって。それが理由です。ですから、そういう形で撮った一本目は非常に大きなエネルギー、怒りを持って作られています。16ミリの手持ちカメラで、本当のプロの俳優さんではない方々を本当の状況に置き、本当の人間の感情というもので作り上げました。台詞も書かれたものではなく即興だったわけです。観客を、その作品を通して殴りたい、「ファック!」というぐらいの気持ちで、これがリアリティだと見せたいと思って作ったのが一本目の『The Family Nest』です。当時の怒り、感性みたいなものは未だに自分の中にあると思います。ただ闘い方が変わったのかな、それが以前より強く闘えるようになったのか、弱くなったのかはちょっと自分では分らないけれど、間違いなく闘い方は変わったと思う、何と言っても当時は22歳、今は56歳だからね(笑)。

最後に一つだけ言わせてほしい。付け足したいのです。<ヴァニティ・フェア>のカバーになるような人に僕は興味を持ったことはありません(笑)。もうひとつ最後に一言付け加えたいのが、自分の描く人々というのは惨めな環境に置かれている貧しい人々であったりするけれども、なぜかと言えば、スクリーンではそういう人間の尊厳を充分に見せていないと感じたからです。人はそれぞれ全員が尊厳というものを持っているけれど、世界中でそれが少しずつ、毎日毎日滅ぼされていくと感じているからです。それを最後に終わりたいと思います。

Q:こんなにたくさん質問しておいて最後に言うのもあれですが、この映画を観た時にこれは説明の必要がない作品だと感じました。
TB:(そう)願いたいものだね(笑)。



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