OUTSIDE IN TOKYO
SUZUKI TAKUJI INTERVIEW

鈴木卓爾『楽隊のうさぎ』インタヴュー

4. もの凄く濃密な時間の中で発散しているもの、その純度の高さを見たい

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OIT:撮影は戸田(義久)さんですね。キャメラは何台でやりましたか?
鈴木卓爾:基本的には1台ですね。戸田さんのカメラが子どもたちを見ていく、その芝居の誘導というかは、子どもたちの動きみたいなものが理由や根拠を持てるまでは、動けない。架空のものをみんなにやってもらっても動けないんですね。映画を作るなんていうのは、本当に抑圧ですよね。カメラを向けて、凄く乱暴なことですよね。そこにカメラがあっても、みんながごく自然に受け入れて吹奏楽部を営んでいる、そんなところまでやりとりを重ねなければ、いきいきとした芝居とカメラの時間は現れない。

OIT:「生き生きとするものを殺す」何か、からどうやって逃れたのでしょう?
鈴木卓爾:作業しているうちに見えてくるみんなの理由が大事でしたし、それを見いだして台本にし、練り直して再び返す、そういった目に見えないキャッチボールを続ける事が今回の演出でした。そういうことをみんなでやった。越川さんも見ていた、磯田さんの後ろにいて、ずっと見てる。みんなで作っていったんだと思います。今回の映画は、客観的に見ても、何度も発見のある映画になったなあと思っています。

OIT:『楽隊のうさぎ』は、音楽映画であると当時に、健全な意味での教育映画であると思ったんですね、部活っていいなあ!というところも含めてですけれども。
鈴木卓爾:中沢けいさんに会った時に、“発見と誇り”の物語を書いたんです、って仰っていて。映画を作るにあたって、大きな主題だなと思ったんですね。それは何と比べて偉いとかではないから“発見”であったり“誇り”であったりするんだろうなと、やっぱり、映画を作る時っていうのは理由がいるんですね。

OIT:主人公を演じた少年(川崎航星)は、最後の方では明らかに顔つきや話し方なんかも変わっていて、文字通り映画の期間に成長していましたね。
鈴木卓爾:川崎君はバレー部なんですけど、背はどんどん伸びていくし、声も変わって行くし、中でも一番大きくなった子ですね。13歳から14歳の一番大きく変わっていく時期を撮りたかったというのもありますよね。もの凄く変わっている時期の彼らの戸惑いというか、追いつかないほどの勢いで、もの凄く濃密な時間の中で発散しているもの、その純度の高さを見たいって思うんですね。良い意味でも悪い意味でも。そういうものは、自分の子どもの頃にもあったんだと思うんですけど。

OIT:彼の場合は、言葉で表現するというよりは、会話の間とか、表情とか、呼吸とか、そういう繊細なところの感情表現が映画でも出ていたと思うのですが、それは演技指導では出来ないものですよね?
鈴木卓爾:出来ないですね。あれが出来てるから、後期の撮影の時は、しっかりと何を見てほしいかを伝えられたんですよ、で、じーっと見てて目を離さないでとかって言えたり、形をやってもらいながらも、彼らがそのまま自分たちでいれるようになっていった、それがね、前期と後期の大きな違いでした。

OIT:時間を置いたことで客観的に見れるようになったのですかね?
鈴木卓爾:夏の撮影を一回やって、失敗はあれど、編集をしてもらい、10月の末に、ダイジェスト版の20分位の映像をみんなで浜松の映画館シネマイーラで見たんですね。みんな不思議な顔して、自分が出てるなって感じで見たわけですけど、そういう作業を通して、こんな風になってるんだよということや、本当に丹念にこの映画作りと吹奏楽部に校外部活みたいに参加してる時間を楽しく集中してもらうことが出来るように、みんなでやってもらったんですね。やっぱり大きかったのはこれだけの長い期間、飛び飛びでもみんなと会って映画を作ってるっていうことを共有しながらやっていけたことだと思います。


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