OUTSIDE IN TOKYO
SUZUKI TAKUJI INTERVIEW

鈴木卓爾『楽隊のうさぎ』インタヴュー

2. “生き生きとしたもの”を殺さずに撮ること

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OIT:そういう意味では、『私は猫ストーカー』の時もそうだったわけですね。
鈴木卓爾:そうですね、ネコを思い通りに動かすことは出来ませんから。あの映画は、思い通りにいかないものが映画をつくる、みたいな、逆の設計をやってみた、つまり、どうきてくれてもいいという心持ちでやっていたものですから、楽しかったですね。『猫〜』も、台本はあるけれども、それになぞらえて撮るものでは決してなくて、ガイドとして身に携えているという感じのものでした。『楽隊のうさぎ』の最初の脚本もそういう意味では確かにガイドのようなものでしたね。違うのは、子どもたちが持っているカラーだとか、多様さ、ひとりひとりを映画にいきいき映したい、そういったものをほとんどそのまま撮るためにはどうしたらいいか、を何度も台本に練り込み直しては、直し、みんなを見続けるという、時間をかけて、台本を当て書き的に更新していったところなんです。

OIT:具体的なシーンで、子どもたちが、魚勝の軽トラックに乗りこむ時に、祥子ちゃん役の女の子(ニキ)が、「私はなれる〜、かっちゃんもなれる〜、他の人はムリね〜」っていう台詞があって面白かったのですが、あの台詞はどうやって生まれたのでしょう?
鈴木卓爾:あれは台本にあるんですよ(笑)。その直前の、雅美役の鶴見紗綾さんが言う「君たち、ちゃんと頑張らないと、先輩の足引っ張っちゃうかもね」っていう台詞は、元の台詞を彼女なりに変えて言ってます。ニキはそれを真似る形であの台詞を言っているんです。あの場面は、前期の撮影部分でした。決められたお芝居をしてくれなきゃ困るということは全然ないし、言い方は言いやすいように言うように任せている部分でした。いわゆる普通のテレビなどのドラマとは違うと思う、ということは最初に話しています。後期の撮影部分では、もっと個人個人の台詞は、しっかり決められて行きました。

OIT:撮影期間は約1年間と伺っていますが、その中で実質どれ位でしたか?
鈴木卓爾:実は、去年の8月と今年の5月の2回だけなんです。8月の夏休みの5日間と5月のゴールデンウィークの7日間の12日間で撮っています。基本的に皆学校に通っているので、撮影の為に学校は休ませないというのが基本方針でしたから、大きな楽器の練習は撮影時期の合間の10ヶ月の中で、冬休みとか、春休みに、全体練習は2回位スケジュールを組んでやりましたね。時間が限られた中でなんとかやったという感じです。

OIT:現場で、子どもたちに対する演技指導は行なわれましたか?
鈴木卓爾:実は、夏の撮影の時は演技指導をほとんどやらなかったんです。ほぼ野放しというか。同時に、この子たちをそんなに知らない、私達との関係もまだ浅いまま、あらかじめ決まっていたイメージにどこかで当て嵌めてみようとしていたようなところがありました。後々、彼らを見て、台本の中の人物を彼らに寄せて行くという方法になっていったんですけど、まだその時は準備出来てなかったんですね。正直言って、失敗をしているところが凄く多くて、撮ったのに使えない場面も多かった。夏の撮影の時は、ただ彼らにどうしたら自由に動いてもらえるのだろう、ということを考えていたと思うんです。それは、原作の『楽隊のうさぎ』に出てくる“生き生きとしたもの”という重要なテーマがあるんですけど、その“生き生きとしたもの”を殺さずに撮りたかった。映画の中に「憎むべきは生き生きとしたものを殺す何かだ」という台詞が出てきますけれども、原作小説では克久がコンクールの最中に発見する言葉として出てくるんです。ベルキスの「シバの女王」という楽曲を演奏している時に、その曲の世界観、イメージが語られ、そこに飛び出す言葉がとても鮮烈で大きかったんです。その言葉が映画化のキーワードになったと思うんですけど、だからこそ、映画の都合に縛ってはいけないのではないか、という風に考えつつも、じゃあどうしたらいいか、ということを見出せないまま、焦りもあったり、何とか形にならないものだろうかという苦しみもあった。僕自身、2〜3人ならともかく、6〜7人がわーっと動くようになっていくと見きれないという問題もありました。

夏の撮影が終わった後に台本を見直すことになりました。他にも、森先生(宮﨑将)って一体どんな人なのか?それもまだわからなかったし、いろいろな部分がまだ見えていなかった。夏休みの撮影の時も、撮影の合間に吹奏楽部の練習が続いていました。他の子が外で撮影している時に、音楽室で練習をしていたんです。音楽監督の磯田(健一郎)さんは、子どもたちに楽器の吹き方をトレーニングするという方法ではなく、学校の部活のように先輩が後輩に教えるという状態を作り出すところから映画の吹奏楽部そのものを導いて行った。磯田さんは、その休憩時間のみんなの姿であるとか、演奏練習にひたむきに向かってる姿を見続けて、ここにこそこの映画で撮影するべきものがあるぞ、と教えてくれました。吹奏楽部のみんなを我々が腰を据えてじっくり見る事、そういう時間がまだ撮影に反映出来ていなかったんですね。


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