OUTSIDE IN TOKYO
Samuel Benchetrit INTERVIEW

サミュエル・ベンシェトリ『アスファルト』オフィシャル・インタヴュー

3. 沈黙と眼差しの交換を通して、人と人との絆が育っていく様を視覚的に描きたかった

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Q:この作品には、ユーモアと詩的世界が混ざり合うカウリスマキ監督のような雰囲気を少し感じます。
サミュエル・ベンシェトリ:そうだね。でも僕はカウリスマキ監督のことをそんなによくは知らないんだ。もし雰囲気が似ているのだとしたらそれは、僕の作品に浮世離れしたところがあるからだろう。僕は廃墟となっている団地で撮影がしたかった。実際に人が生活している団地で撮影するのは不可能だと分かっていたからね。そして、アルザス地方で、あの建物を見つけたんだ。アルザスはこの作品の資金援助にも参加してくれた。似た建物はマルセイユにもあったのだが、もしマルセイユで撮影していたら、この作品はロベール・ゲディギャン監督が作るような、まったく雰囲気の違う作品になっていただろうね。つまり、『アスファルト』で、僕が特に参考にしたものはなかったということだよ。彩度を落としたスクリーンのような真っ白なところからアイディアが湧き出たようなものなんだ。

Q:『アスファルト』は、明確な時代設定がないようですが、なぜそうしたのですか?
サミュエル・ベンシェトリ:作品の中で起こる出来事は、『Asphalt Chronicles』を書いた頃のことで、今でも1980年代にでも起こりうる。時代遅れのグルンディッヒ製のテレビや、『ダイ・ハード』(88)のポスター、そして黄色いウォークマンなどが現代の映画のDVDなどと一緒に画面に登場する。これは僕がわざとそうすることを選んだんだ。僕が育った1980年代の団地に今戻ってみても、そんなに大きな違いを感じないと思う、あの建物はどの時代の特徴も持っているからね。『アスファルト』に80年代的な雰囲気があるのは、必然的なことだったんだ。

Q:見始めてすぐ、この『アスファルト』は、あなたのこれまでの作品とは違うように感じました。台詞も少なく、沈黙の余白を残している点で。
サミュエル・ベンシェトリ:その通りだね。これまでの僕の作品の中では一番台詞が少ない。僕はこの作品で、沈黙と眼差しの交換を通して、人と人との絆が育っていく様を視覚的に描きたかった。登場人物は皆、真に孤独であり、それぞれの事情から他人に話しかける理由を持たない人々だ。スタンコヴィッチ(ギュスタヴ・ケルヴァン)は母親を亡くしたから、マダム・ハミダ(タサディット・マンディ)は息子が服役したから。そして母親がずっと不在のシャルリ(ジュール・ベンシェトリ)。彼らがそれぞれ出会う、道に迷っている人々も同様だ。明らかに悩みを抱えている看護師、数週間世界と離れていた宇宙飛行士、そして落ちぶれた女優。それからこの作品ではカメラが物語を伝える役割を果たしている。様々な状況を様々な奥行きで見せることで控えめで皮肉の利いた非現実感を作り出していると思う。『アスファルト』では、テンポの早い会話の応酬は最小限におさえていて、長回しのワンテイクの中に沈黙が満ちている。そして、恐らくは、僕の経験上、自分の言いたいことをできるだけ言葉を使わずに伝えることは可能だと思っている。


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