OUTSIDE IN TOKYO
Rithy Panh INTERVIEW

リティ・パニュ『消えた画 クメール・ルージュの真実』インタヴュー

4. クリエーターという人間は創造してクリエーションをする能力がある人のことで、
 そういう創造力は全体主義者の人達にも決して破壊されることはない

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OIT:今度は語るということについて聞かせて頂いてもいいですか?監督は自分の物語を語ることで、より大きなものを見せてくれますが、語るということについてはどうお考えでしょう?
RP:集団の歴史の中で難局を経験した人間にとって、これから話すのは個人個人の悩みではなく、もっとたくさんの大虐殺のような話のことですが、そういうものを経験した人間にとって、そういうものを扱う場合に、我々が監督として外にいるのではなく、中にいないといけないと思います。自分自身がそこにいるというエンゲージメントが必要です。そこには、ばらばらではなく、一貫性のあるものを作り出し、まとめ上げることが必要ですし、1本では全てを語れないので、やはり4、5本の作品を通して自分の言いたいことを語るという、最初からそういう方法を採った選択なんです。ですから私はドキュメンタリーという映画のフォルムを選びました。そのドキュメンタリーという仕事に20年間をかけて、色々なものが分散してしまわないように、一貫して同じテーマに20年取り組んできました。だから『E.T.』(82)を撮ったり、『マイノリティ・リポート』(02)を撮ったりというようなばらばらなことはしない。色んなストーリーを行ったり来たりするのではなく、これは批判ではないですよ、僕のした選択はそっちではないという意味です。フィクション映画の場合はもっと作品毎にテーマを変えることはずっと容易かもしれないのですが、ドキュメンタリーと言っても、私の場合、わりと経験に基づくちょっと実験的な部分のあるドキュメンタリーですから。だから色々と、映像に対する考察というものをその度に変えないのです。やはり毎回毎回、自分の映像に対する考察というのは一貫していますね。クリス・マルケルは、私の前にそれをやってのけた人ですね。本当の映像はどういうものかということをクリス・マルケルはキャリアを通してずっとやってきましたね。プロパガンダ、現実、エレクトロニクス的な映像で。クリス・マルケルは“クリス・マルケル”のテーマを自分自身で選びとり、僕自身は僕自身のテーマを選んだわけです。ドキュメンタリー作家の方がフィクションを作っている映画作家よりも、より問題提起の精神を持っていると思います。それは後から発見したことですが。フィクションの映画も作っていますので。だからこそ、そういう違いを比較して考えることができます。フィクションの場合はスタッフもプロデューサーを変えたり、脚本を一緒に書く人を変えたりしやすいのですが、ドキュメンタリーの場合は20年前から同じカメラマンと仕事をしているとか、自分のことをよく分かってくれ、適正な距離を分かってくれる人と一緒に仕事をします。ワイズマンも10年かけていますし、記念碑的な作品ですよね。つまりルールがないんです。それぞれのドキュメンタリー作家にとってどのような枠組みの中でやっていくか、そしてその枠組みをどう決めるかということです。まるで自分の畑を、自分の区画を耕す農夫みたいなものです。そして毎年毎年、同じ土地に戻ってきて耕します。もし耕すのが終わる時が来ればその時にようやく違うことをするようになるでしょう。私はちょっと複雑な問題を抱えていて、悲劇的な歴史を体験した人間なので、私のポジションは私自身のポジションです。ちょっと分裂症気味です。二重人格、証人であると同時に映画監督であり、客観的に見る立場です。証言者としての自分と、自分がそれを証言するためにどういう表現方法が相応しいかということを考えている映画監督でもあるわけです。テーマというのがあって、そのテーマの核心に埋没してしまっては絶対いけないんです。その周りで映画監督として見て、それを客観的に冷静に見るというもう一人の自分が必要であって、そこでは絶対に私自身の場合、証言者になってはいけないのです。自分自身の個人的な物語はありますが、そのエゴというものに埋没しないで、如何にしてその話を撮るかという。何々の映画作家じゃなくても映画作家です、というそれだけで担わなければいけないと思います。だから生存者の映画作家とか、そういう形容句はいらない。新しい映画の手法であるとか形態をまた提案出来るような映画作家であるべきだと自分では思っています。私の『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』(02)、『Duch, Master of the Forges of Hell』(11)、この『消えた画 クメール・ルージュの真実』(13)を三部作と考えると、毎回毎回、映画的な手法として新しい提案をしているつもりです。『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』は、もう12年前に撮った作品なので今は冷静に語れます。当時はちょっと話せなかったかもしれませんが、今は少し距離を持っているので話すことが出来るのです。かなり非典型的な映画手法を採用していると思っています。謙虚に、控えめに言ってもドキュメンタリー映画の歴史の中であの映画の居場所はあると思っています。自画自賛するつもりはないですけど、私がしたことはダメなものもあれば良いものもありますが、例えばドキュメンタリーを教えている映画学校で一つの教材として使える映画ではないかなとは思うんです。映画はご覧になっていますか?

OIT:監督の映画全ては観られていないのです。
RP:実はこの映画の中では、虐殺者だった立場の人たちがその動作をもう一度やるわけですね。どういう風に拷問していたとか。それはおそらくドキュメンタリー映画としては初めて肉体にも身体にも記憶がある、そんな身体の記憶がそういう動作をもう一度再現させており、その様子を撮った初めてのドキュメンタリーじゃないかと思います。もっと匂いの記憶であるとか。他の記憶も色々あると思うんですけど、その映画の場合、身体の記憶というものを映像化した初めてのドキュメンタリーじゃないかと。そして虐殺者と被害者というものを対峙させた作品でもありますから、非常にデリケートで危険なことなんです。虐殺者と、死んでいたかもしれない犠牲者を対峙させて、同じ作品の中で扱うというのは。映画の映像の特徴というのは常に加害者、暴力を起こす犯罪者の方に歩み寄ろうとしがちなんですね。映像というのは。だから観客の方も悪の方に惹き付けられがちなんです。なので、監督としては、倫理的なフォルム、構図でも、偏らないようにとても気を遣いました。必要な距離をとる、カメラと虐殺者の間の適切な距離のため、近づき過ぎないとか。そういう距離を自分の中で計算しながら撮影しなければならなかったのです。遠すぎると感じないだろうし、虐殺者の人間性というものを感知出来ないでしょう。逆に近すぎると共犯者の立場に偏ってしまうかもしれない。非常にデリケートで危険なんです。毎回毎回、自分で反省するというか、思い直して、これでいいのかという復習が必要でした。そういう記憶について語るドキュメンタリーでは、カメラと被写体でどのような距離をとるべきかが最初にやるべきレッスンかもしれないですね。自分の物語を語る時には同じ問題があります。私自身はカンボジア人に関する物語でありつつ、どういう風な映画的手法やフォルムでそれを表現するかという時、自分はアーティストだということを忘れてはいけないんですね。なので、死者の方に感情移入し過ぎないことです。クリエーターという人間は創造してクリエーションをする能力がある人のことで、そういう創造力は全体主義者の人達にも決して破壊されない、強固としたものなんです。
僕が無駄口を叩いていたら止めてくださいね(笑)。


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