OUTSIDE IN TOKYO
PEDRO COSTA INTERVIEW

ペドロ・コスタ『ホース・マネー』インタヴュー

4. 新しく人生を始めるには、新しい“ナイフ”が必要だろう?

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OIT:『ホース・マネー』の物語は、あの最後のナイフのシーンによって、円環構造になっていますよね?
ペドロ・コスタ:確かに、円環構造にはなっているのかもしれないが、最初からそれを意図して、そのようになったわけではない。何か出来事があって、次にこれが起こり、そして、あれが起こる、という風にすべてが直線的に時系列に沿って並んでいるわけではない。丁度、人生と同じように。だから、円環構造になっていたとしても、最初からそのように考えていたわけではないんだ。

OIT:編集の段階でそうした構造が見えて来たという感じですか?
ペドロ・コスタ:撮っている時に、自ずとそうした構造が出来てくる。編集は、それに乗っ取って行う、という感じだね。全ては撮影の時に作られる。

OIT:音楽について、オス・トゥバロスに関しては、撮影の段階で既に決まっていたということだと思いますが、エレベーターのシーンでメシアンの曲が使われています。あれはどの段階で考えたことなのでしょうか?
ペドロ・コスタ:エレベーターのシーンは、ヴェントゥーラの恐怖を描いている。彼はパニックを起こして、思考停止に陥っている。それをどのように映像として描くかということがちょっと難しかったので、音楽でそれを表そうと思った。メシアンのオルガン曲を昔から知っていたので、それを強く押し出すことによって、ヴェントゥーラが硬直してしまった感じを出そうとした。

OIT:今や、ヴェントゥーラとはかなり長い付き合いになっていると思いますが、彼とのシーンは、結構何度もやり直したりしているのですか?
ペドロ・コスタ:ヴェントゥーラとは、今でもたくさんリハーサルをしているよ。他の出演者も同じように、たくさんリハーサルをする。よく知っている人が相手でも、仕事の仕方は同じだね。

OIT:先程、苦しみや暴力的なものはもっと“小さい形”で見せることが出来るという話がありました。使われた曲のタイトルも「高貴なナイフ」というものですし、この映画における“ナイフ”はまさにそのようなメタファーとして使われていますね。
ペドロ・コスタ:“ナイフ”って、映画においては、常に具体的、直接的なものであると同時に、メタフォリックなものだよね。“馬”にしても同じで、とても具体的なものであると同時にメタフォリックなものでもある。ヴェントゥーラは、最後に病院から出て来る、多分、病気が治ったのだろう。そこで、新しいナイフを手に入れる。だって、新しく人生を始めるには、新しい“ナイフ”が必要だろう?

OIT:最後にちょっと聞きたいのですが、近年のデジタル化やnetflixなどの動画配信、デバイスの多様化などで、映画をめぐる状況も変わって来ていると思います。この現状に対して、何か思うことはありますか?
ペドロ・コスタ:ある種の映画、つまり、昔映画館で上映されていたようなものは、もはや終焉に近づいていて、多分新しいものが生まれつつある。それはもっと断片的なもので、ビジュアルの要素が強く、テキストの量はすごく少ない、何より、“過去”を扱うのではなく、“今”を扱う、“過去”というものは映画の中で益々その存在が少なくなって行くのだと思う。自分は、自分に出来る小さな映画を撮り続けて行くだけで、映画に何かを変える力があるとは思っていない。だからといって、軍事的な力にも何かを変える力があるとは思わないけどね。今日の世の中で、権力とはすごく抽象的なものであると思う。

OIT:『ホース・マネー』を見た観客が、移民として大変な暮らしをしてきたヴェントゥーラのような人たちが、こうして映画に出て、少数とはいえ、世界の都市の人々が、その姿を見ているという状況に、何かしらの希望を感じることは出来ませんか?
ペドロ・コスタ:そうだといいなあとは思うけれども、一方で、自分が日々目にするものは、決して、世界が良い方向に向かっていることを示してはいない。


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