OUTSIDE IN TOKYO
VERENA PARAVEL & LUCIEN CASTAING-TAYLOR INTERVIEW

ヴェレナ・パラヴェル&ルーシァン・キャステーヌ=テイラー
『リヴァイアサン』インタヴュー

2. 海に出てから出会った世界は、映画がどうあるべきとかいう基準を超えていた

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OIT:この映画はそもそもどう始まったのでしょう?
VP:もっとパーソナルなものを作りたいと思いながら、羊(羊の群れを率いて山脈を越える最後の羊飼いたちを描いた『SWEETGRASS(2009)』)が縁遠いわけでもないけど、彼が『SWEETGRASS』、私が、移民がひしめくクイーンズで修理工などの最後の自由区を描いた『FOREIGN PARTS』(2010)を撮り終えた頃、どちらも自分たちの子供時代と直結していたわけじゃないし、もっとパーソナルなものを作ろうってなったの。
LCT:ホームビデオでもなく。
VP:自分たちに興味のあるテーマがやりたくて、それが結果的に海だった。それにルーシァンの父親は船舶の建築家で、私の父は海洋探検家だった。ずっと海と関わりながら魚を穫ったり、(幼い)私も連れて世界中の海を回っていた。それに(舞台のニューベッドフォードは)2人の住んでいる街に近かった。結果的に本(メルヴィルの原作『白鯨』)よりも現実の街の方が興味深かった。もちろん『白鯨』は最高の小説だけど、読んだ後に街を訪れ、その場に立てば圧倒される。何も変わっていないの。うらぶれた酒場や街の酷い荒廃ぶりが体感できる。治安は悪いし、衰退しているけど、かつて裕福だったことも忍ばれる。でも今は船も錆びついている。それでこの映画を撮ろうと決めたの。最初は陸を映しているだけだった。撮り方を模索しながら海は写さずに。湾内で船上から陸を撮るだけ。いい映像も撮れたし、2人とも盛り上がった。海に生き、海にいる実感が沸いた。漁に出て投網する漁業の世界を撮影してたから。でも毎日漁師と過ごしていたある日、船長が「来たければ一緒に来いよ」と言ってくれて。結果的に本当のショックが待っていた。心的にも肉体的にも。それ以来、陸を映した映像は見てもないし、どうしていいかも分からなくなった。海に出てから出会った世界は、映画がどうあるべきとかいう基準を超えていた。不確かさ、透明性、理解できないもの…。でも明瞭なものや精神的にも肉体的にもすっきりしたもの、港を港と認識できるようなものや親しみのある世界が嫌になっていった。船上で様々な恐怖や思いを体験しながら、心の要請に抗うことが物理的にむずかしくなった。突然、これだって確信したの。いろんなことが巻き起こり、船と爆音、海と漁師など全てが交わる中に魚がいた。閉所恐怖症になりそうな狭い空間に全てがあったの。
OIT:漁師とは何日も海に出て?
VP:何週間も。
OIT:それで港に戻ってきてはまた出て?
VP:6回ほど。10日から3週間の期間で。
OIT:いろんな体験をしながら撮影して、最終的にどんなものになるか分かっていたんですか?それとも完全な手放し状態?
VP:たぶん。ううん、どうしたいか分からなかった(笑)。でも理解しようとしなかったの。映画を作る唯一の理由は自分が驚きたいから。最終的に映像に驚かされるまで待つしかないの。私たちの予想を超えるまで。フィクションを作らないのはそれが理由よ。それが分かったら回せるけど、退屈しちゃうわ。ルーシァンも死ぬほど退屈しそう(笑)。
LCT:かなり退屈だ。
VP:だからどうなるかは分からないの。
OIT:それは映画作りが何かを発見するまでのプロセスだから?
VP:そうなの。


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