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Press conference

マーティン・スコセッシ『沈黙 –サイレンス–』来日記者会見全文掲載

2. 普遍的な唯一の真実であるということでキリスト教を持ち込んだけれども、
 それこそが西洋的な価値観による侵害であり暴力ではなかったか

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Q:作品はバチカンで去年上映されましたけれども、その時、ローマ法王に謁見されたと思いますが、その時、法王がどのようなことをおっしゃっていたかというのをお聞かせください。
マーティン・スコセッシ:実際、法王が映画を観たのかどうか、確信が持てません、非常に忙しそうにしていらしたので。法王に謁見するには、物事の手順があって、それを覚えなければならないので緊張していたのですが、小さな部屋に入ってお会いすると、相手を緊張させないお方で、こちらとしても非常にリラックスしてお会いすることが出来たのです。そこで、私は、この映画の中にも出てくる、雪の聖母の絵画(※長崎の隠れキリシタンの間で最も崇拝されていたとされる、17世紀の日本人画家が描いた絵画の複写)を差し上げ、長崎やイエズス会の神父達の話をしました。法王からは、映画で伝えていることが、素晴らしい果実として稔ると良いですねというお言葉を頂きました、そして、最後に、どうか私のために祈ってほしいと仰ったのです。というのも、法王はその後、隣りの部屋で行われる別の会合に入らなければならなかったのですが、そこにはなんと200人くらいの枢機卿が並んでいた。もうその時点で夕方の5時位になっていましたから、法王が実際に映画見るのは難しかったのではないかと思いますね。
その日の上映会は100人程度の上映会で、聖職者の皆さんに来てもらったわけですけれども、とても良く受け入れて頂きました。実は、その前の日にもイエズス会の皆さんを迎えて数百人規模の試写会を開催していて、その時はアジアや南米の方々が多くいらしていて、その時は、かなり興味深い議論をすることができました。
Q:この映画は日本における隠れキリシタン達の受難を描いているわけですが、その隠れキリシタンのことについてどういったことを学んだのか、あるいは日本のいわゆる宗教的マイノリティに対して思うところはありますか?
マーティン・スコセッシ:私は、この日本にいたキリスト教徒達の勇気、信念に敬服しています。その上で言うのですが、そのローマの試写の後、アジア人のイエズス会の神父がこう言ったのです。彼らになされた様々な拷問や殺人行為というのは、途轍もない暴力だったけれども、西洋からやってきた宣教師の皆さんも同等の暴力を持ち込んだのだと。つまり、これが普遍的な唯一の真実であるということでキリスト教を持ち込んできたわけですけれども、それこそが西洋的な価値観による侵害であり暴力なのではなかったか。ではこの暴力にどう対処するか、それは彼らの傲慢を一つずつ崩していくという方法しかない。だからキリシタン達を弾圧するのではなくて、一番長にいるリーダー達にそのプレッシャーを与えること、上から崩していくという方法を見いだしたのではないでしょうか。
この映画の中でも、ロドリゴのそういった傲慢が崩されていくことが描かれていく。彼の中にあった誤ったキリスト教に対する考え方が覆され、彼はそこで自分自身を空にする。そして、仕える人になるのだという風に自らを変えていった。そうしてロドリゴは、真なるキリスト教徒になっていった。日本のキリスト教徒の皆さんは、そういうところに惹かれたのではないか。つまり、慈悲心であるとか、人間は皆、価値が同じであるという理念に惹かれたのではないでしょうか。これは遠藤周作さんが「イエスの生涯」の導入部でも書いていることですけれども、日本人が怖がるものは4つある、「ジシン、カミナリ、カジ、オヤジ」であると。つまり、権威的なアプローチでキリストの教えを説くのではなく、慈悲心を説くキリスト教の中の女性性をもって説いた方が日本では受け入れてもらえるのではないか、隠れキリシタン達はそういうところに惹かれたのではないか。そして、それが実は今でも受け継がれており、私はそのこと自体がとても美しいことで、私たち全てにとって素晴らしいことではないかと思うのです。


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