OUTSIDE IN TOKYO
KUROSAWA KIYOSHI INTERVIEW

黒沢清『ダゲレオタイプの女』インタヴュー

5. オーソドックスな、古典的な物語の中にいておかしくない人物像

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Q:今回の作品を拝見して溝口の作品を少し想起したのですが、例えば、男女の身分の違う恋愛が『近松物語』(54)を、幽霊譚であるところは『雨月物語』(53)を、オリヴィエ・グルメ演じるステファンは、70分間身動きしてはいけないと言ったりする、とても専制的な芸術家で、どこか溝口的な何かを想わせるといいますか。
黒沢清:いや、残念ながら、溝口健二を意識はしませんでしたね。ただまあ、溝口かどうかはわかりませんが、ある種の古典、古典と言っていいかどうかわかりませんけれども、かつてのオーソドックスな映画や物語の中には、こういう人いたよね、っていうタイプの人を出そうとは思っていました。逆に言いますと、そういう人しか出せなかった、僕が考えられるのは。だって、今のパリの最先端にいる人がどんな悩みを抱えているかなんて、僕にはわからないですから。みんな今のパリに住む人という設定ではあるんですが、僕が考えたのは、そうであっても、あるオーソドックスな、古典的な物語の中にいておかしくないような、まあ、日本だって今時、そんな人なかなか設定しずらいわけですけど、日本じゃない国で作る映画だとしたら、まず、そういう発想で人物を作っていこうと思っていました。溝口にしても、そういう映画って時代劇ですよね、日本でも時代劇っていう中では成立するかもしれない、だから自然と、そういう人になっていったんだと思いますね。

Q:ダゲレオタイプの写真ですが、黒沢監督はどこでご覧になったんですか?
黒沢清:本当にちゃんと実物を見たのは、20年近く前、恵比寿の写真美術館で古い写真の展覧会をやってたんですよ。それで、そういう写真に少しは興味があったので、実物を見れるっていう機会もそうないもんですから、ふと見に行ったら、写真は写真で興味深かったんですけれど、その写真の脇に、装置で人体を固定してるんですっていう、その装置が飾ってあったんですよね。これ凄いなあ~、と。映画に使えそう(笑)っていうところが元々のアイディアでしたね。

Q:それで、相当研究されたんですか?
黒沢清:いやいや、そんなにまあ研究という程のことではないですけれど、フランスでまだ作ってらっしゃる方がいて、日本でもいらっしゃるんですけれども、その人に実際に会って、使っているところを見たりしましたが、所詮はフィクションですので、この通り全部これ実物です、ということはないです。これは、もの凄く大掛かりに嘘で作ったもので、こんなもの凄い固定装置ではないです(笑)。後半で老婦人を固定する小さい器具がありましたけれども、あれは本物です。あれは本当に昔使っていた固定器なんです。

Q:あれぐらいなんですね。
黒沢清:あれぐらい。老婦人は座っていましたけど、立った人用のものはもう少し複雑な感じでしたね。まあ、ここまでのものである必要はないわけです。

Q:具体的なシーンについて、ひとつお聞きしたいことがことがあるのですが、マリーが階段から突然落ちてくる、そこで、画面の左の方で、白い埃のようなものが落ちてくるんですよね。あれはわざとですか?
黒沢清:あれはわざとです(笑)

Q:ですよね(笑)。凄くぞくぞくしまして、ここまで作り込むものなのか、とんでもないなと思いながら拝見したのですが、あそこのシーンを境に物語が動き出しますね。
黒沢清:ええ、あれは大きな転換点で。あの撮影はかなり大掛かりだったんですけれども、あんまりタネを明かしちゃっても、なんか興醒めかもしれないのですが、上から転げ落ちてくるので、何か砂埃のようなものが予感として落ちて来る、落ちて来たほうがいいのか、落ちて来たとしても、どのタイミングなのか、現場でもの凄く僕の中で決められず迷ったところなんです。どうしようかな、と。それで最終的には、何も落ちてこないバージョンを撮って、落ちてくるのだけ別に撮って、合成で使うか使わないか、使うとしてもどのタイミングかは後で決めましょうということになった。だから、実は合成してあるんです、あれ。

Q:見比べて、合成した方が良かったと。
黒沢清:そうですね、やっぱり、何か欲しいなという感じがした。どのタイミングかっていうのも結構迷ったんですけどね。いやあ、そこを指摘して頂いたとても嬉しいです。やった甲斐があったというもんです。



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