OUTSIDE IN TOKYO
TALK SHOW

TIFF2016 第29回東京国際映画祭:
『ヒッチコック/トリュフォー』ケント・ジョーンズ×黒沢清トークショー

1  |  2  |  3



坂本安美:それでは最初に本当にベーシックな質問を私からさせて頂きたいと思います。今、皆さんがご覧になられた、現代の映画を率いている、最先端にいる10人の監督が出て来て「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」の本について、ヒッチコックについてお話しなさっていらっしゃいます。この10人の監督を選ぶ、最も重要な基準、そしてアジアでは唯一選ばれている黒沢清監督、先ほどケントさんの映画に出ることになるとは想像もしなかったと仰っていましたけれども、黒沢清監督にお声をかけた理由をお話し頂けますでしょうか?
ケント・ジョーンズ:もちろん偉大な監督のお一人ですから黒沢監督には是非出演頂かないといけません。そして実は黒沢監督、私が関わった作品に出て頂くのは2回目なんです、ホラー映画のプロデューサー、ヴァル・リュートンに関するドキュメンタリーにも黒沢監督は出演されています。そして、この10名の方を選んだ基準としては、とにかくこの題材に興味があるということ、異常なまでの熱をもってこの話題を忌憚なく語ってくれる、そういった方々を選びました。そしてやはり核となる質問は、映画を作るとはどういうことか、結局そこに集約されます。ですから映画作りに関する映画を作りたかったということです。ヒッチコックのことを賛美する人、ただそういったコメントを撮る、そういっただけの映画にはしたくなかった。そもそもこの本は、映画監督が映画監督に話を聞くという作り手同士の話です。ですから、二人の対話が行われてから約60年(トリュフォーがヒッチコックに取材を行ったのは、1962年8月のこと)経った今、その対話を広げて、より多くの監督を巻き込んで、より大きく話題を広げて議論をしたいというのが目的でした。そしてアルノー・デプレシャン監督もインタヴューを受けている監督の一人ですが、実は今日、彼の最新作の撮影最終日なんですね。ですから遠く離れたここから、おめでとう、頑張って、と声援を贈りたいと思います。
黒沢清:今、ケントさんの仰ったことですが、やはりなぁと腑に落ちたという感じがいたします。なぜならヒッチコック好きな人がヒッチコックについて色々熱く語るような内容なのかと一見思えるんですけど、僕自身も含めまして、アメリカのインタヴューされている監督の中には、この人がヒッチコック好きなの?って意外に思う方、なるほどそう言われてみればそうだけど、本当にこの人が?っていう、割と一般の人から考えると意外な人達がインタヴューを受けていたように思いました。ただ驚くと同時にもの凄く納得したのは、映画『ヒッチコック/トリュフォー』の元には、有名な本(「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」)があるわけですけど、当たり前のようにヒッチコックとトリュフォーがその本によって、インタヴューで結びつくわけですけど、考えてみたらヒッチコックとトリュフォーって、あの本の出会いがなければ一見結びつくとは思えないような映画作家だと思うんですね。ただこの映画はヒッチコックについての映画でもあるし、一方でトリュフォーに関しての映画でもあるし、サイレント映画から始まって現代の映画にまで至る、映画の歴史についての映画でもある、映画全部についての映画だと考えれば、本当にヒッチコックとトリュフォーの間に全部の映画が納まるのかもしれない。僕達もインタヴューを受けた他のアメリカの監督達も、みんなその間に全部入るような、本当に映画全体についての作品なんだなぁというのが改めて観て感じたことです。
ケント・ジョーンズ:トリュフォーには、ミッションというか成し遂げたいことがあったわけですね。その一つはアメリカにおけるヒッチコックの評判、これが正当に評価されていない、単なる娯楽の巨匠という印象を、正しく正当な評価をするためにこの本を書いたということ。もう一つが、批評のあり方ですね。批評のあり方が非常に曖昧な表現が強かった、特にゴダールを筆頭とするフランスにおける批評のあり方に別のアプローチを投げかけたかったということです。映画『ヒッチコック/トリュフォー』の中でゴダールの実際の声が聞こえてきますね、ヒッチコックの重要性、彼は文学界におけるアンドレ・ジイドと同じくらいに映画界で非常に重要な地位を占めているという言葉が出てくるわけですが、ゴダールの批評、ロメールに関しても同じですが、もしちょっとご存知の方ならばわかると思いますが、偉大な幻想を抱いているというか、あまりにも抽象的というか、例えばベラスケス、モーツァルト、ホメロスといった、他の巨匠との比較、そういった形の批評を展開していたわけです。ただトリュフォーに関しては、そういった批評のあり方、表現に限界を感じていたというところがあります。批評の世界もより実務的というか、現場主義的に巨匠がどのようにどういうアクションを伴って映画を撮るのか、そういう物理的な話をしたいと思っていたわけです。やはり私は、こういうより映画に直接結びついた対話というのが必要だと思う、そしてそういう映画の作り手の実務的な部分、立場というのが重要であるということを非常に感じる、例えばこちらにいらっしゃる黒沢監督もそうです、やはりそういった話をより批評の中でしていく必要というのを感じます。
黒沢清:作品に関してお伺いしたくて、どこもみんな面白いんですけど、ヒッチコックとトリュフォーでちょっと意見が分かれるところがあるんですよね、俳優のところとかですね。ヒッチコックは俳優が言うことをきかなかったらどうするんだと、トリュフォーは、それはその場はその場で一日かけて脚本を書き直すとか、アドリブ、即興演出のようなものを自分は好む、多分ヒッチコックは呆れてへーとか言う。その点では、結構スタイルが全然違うということが、はっきりするというあたりがとっても興味深い。また同じく俳優のことでアクターズスタジオの俳優をヒッチコックは大嫌いみたいなんですが、一方、スコセッシですかね、凄くいいよって言ってる人がいたりして、デヴィッド・フィンチャーかな、その辺も意見が分かれるんですが。敢えてある種スタイルを持ったヒッチコックと、即興や自由が必要だとするトリュフォー、この二人は敢えて真逆だとして、ケントさんは、これからの映画はどっちに行けばいいと思っていらっしゃいますか?(私自身)その辺、実は凄く揺れるんですけど。


←前ページ    1  |  2  |  3    次ページ→