OUTSIDE IN TOKYO
JOSE LUIS GUERIN INTERVIEW

ジャック・ロジェ奇跡の特集上映から始まった2010年は、その後、イーストウッドの『インヴィクタス』、北野武『アウトレイジ』、ベロッキオ『勝利を』、オリヴェイラ『コロンブス 永遠の海』、クリス・ノーラン『インセプション』、ペドロ・コスタ『何も変えてはならない』、そして、12月にはゴダールの新作も公開されるという、色々な意味で新たな10年の始まりを告げるのに相応しい1年になりつつある。そして今週末、その中でも最も重要な作品とでも言うべきひとつの作品がこの”新たな10年”の流れに名を連ねることになる。

2年前の東京国際映画祭、『シルビアのいる街で』上映2日前にヴィクトル・エリセから蓮實重彦宛に送られてきた一通のメールから始まったゲリンを巡る熱狂が、ついには日本でのロードショー公開、そして、来る秋の東京国際映画祭での新作上映という理想的な形で多くの観客に披露される運びとなったことをまずは大いに喜びたい。

ところで、エリセからメールを受けとった蓮實氏は、今となっては有名な、3つのビックリマークで締めくくられた"檄文"をメールで流し、その直後にチケットが売り切れるという事態を引き起こしたと言われているが、檄文を流したご本人がチケットを買えなくなり困ったという微笑ましい後日談(真夜中4号/2009 Early Spring)が実に美しい。やはり、映画はチケットを買ってスクリーンで観る、それが一番幸福な映画との付き合い方なのだ。

さて、そんな渦中の人物、ホセ・ルイス・ゲリン監督が来日、自分の作品について語るのは好きではないと釘を刺しながらも、生来のラテン気質の人の良さだろうか、我々(主に私)からの妄想めいた的外れな質問に対しても、真摯な姿勢で、ゆったりとした物腰で丁寧に創作のプロセスについて語ってくれた。本インタヴューで、幾つか、作品を鑑賞する上での重要なヒントが明かされているが、それはあくまで監督の言うように”ひとつの可能性”程度に受け取って頂くのが良いだろう。この全く新しい感性の傑作『シルビアのいる街で』をご自分の目と耳で堪能された上で、本インタヴューを一読頂ければ幸いである。
(上原輝樹)

1. 観客と映画との関係は、とても神聖なものだと思っています

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):お忙しそうですね。
ホセ・ルイス・ゲリン(以降JLG):今はあなたに集中します。

OIT:ありがとう。先日のティーチイン(東京日仏学院)では、映画の後に語るのはあんまり好きじゃないということを仰っていましたが、自分の映画について全体的に語るのが好きじゃないということですか?
JLG:本当に自分自身の映画について語るのは好きじゃないのです。でも、喋らないと日本に呼んでくれないので喋ります。

OIT:見方を限定したくないということですよね?
JLG:私にとっては観客と映画との関係というのはとても神聖なものだと思っています。ですから、映画というものは観客の視線にとって開かれた空間であるべきだと思います。もし監督である私たちがたくさん喋ってしまうとその神聖な関係に邪魔をするんじゃないかというふうに心配になるんです。

OIT:その観客が観た後に勝手に深読みをしたり、いろんなことを繋げて妄想していったりっていうことはどうですか?
JLG:私にとっては、現代の映画というものは常に対話だと思っています。例えば作家主義と言われるかもしれないけど、映画の作家、つまり監督が映画を通して観客と対話ができると。それはいつもオープンでありたいし、そこに関係が出来なければ映画としては成立しないと思っているわけです。映画というのは一つの伝達手段です。自分の思いを伝える伝達手段であるので、そこはこう読めというのではなくて、各観客の経験とか視点によって違うと思いますので、勝手に解釈してもらってかまいません。
ですから、私にとっては、最近の映画に多いのですが、非常に情報量が多い説明し過ぎな作品というのは観客の自由を奪うものだと思います。

OIT:この映画に関して特にその情報量を徹底的に減らしているということですね?
JLG:まさにそうです。その中の要素を出来るだけそぎ落とすというのは可能性をより広げる事だと思います。そしてどこにいても、日本だけではなく観客の文化だとか、その人一人一人の記憶とか、そういう事の中でどう受容するかというのは百人百様。その可能性ができるだけ広い方がいいと思います。私は最近は、映画というのは絵で言うとデッサンだと思っています。その後どういう風に色づけていくか、絵を完成させるかというのは観客に委ねられたものだと思うので、あまりにも情報が多すぎて始まって10分で何が起こるか最後まで分ってしまうような映画だと全く観客の自由がないわけですね。私は色々な所を本当にそぎ落として、残った要素で観客の思考に刺激を与えたいといつも思っています。
私はこう喋りながらも、もしかしたらバカなことを喋っているんじゃないかと思うのはなぜかというと、日本の“侘び寂び”といったものは、もっとそれよりも先をいっているのではないかと思うからです。水墨画のように墨だけで、その濃淡だけで一つの大きな世界を、宇宙を描くこととか、例えば俳句のように限られた言葉の数の中で詩を表すとか。
ですから、そうした事を考えると、今映像が消費されすぎていると思うので、そこから救うには一番そぎ落とした形しかないのではないかと思います。

OIT:理想的には本当にミニマムな状態でやりたいっていう。もっとミニマムにという理想がある?
JLG:まさにそうです。ミニマムにしたいっていうこと。あとは、今大変いりくんだプロットが多いのです。大筋があって沢山色々な所に伏線があったりするプロットが多いので、観客の人たちにそんなことを心配しなくていいよっていうことを言ってあげたい。そうではなくて本当にフレームの中で何がフレームインしてフレームアウトしていくかっていうことと、あとその中の音、騒音だったり美しい音だったり、街の音から皆さんが自由に想像してくれる映画というのが私の理想です。

OIT:それがその映画の情報量の必要最低限ということなんですか?
JLG:まず観客たちが何を見て何を聞いてるかっていうことに意識的であってほしいと思うからです。
映画の基本は見る事と聞く事だと思うのですが、みんな頭の中で伏線とか犯人は誰か?とか、その筋を追う事に一生懸命になってしまい、見て聞くという純粋な事がだんだん出来なくなっていると今の映画では思うのです。


『シルビアのいる街で』
原題:IN THE CITY OF SYLVIA

8月7日より、渋谷シアター・イメージフォーラムにて公開後、全国順次公開

監督・脚本:ホセ・ルイス・ゲリン
製作総指揮:ルイス・ミニャーロ、ガエル・ジョーンズ
製作主任:アンヌ・ベネット、ニコ・ヴィヤレーホ
撮影:ナターシャ・ブレイア
美術監督:マイテ・サンチェス
音響:アマンダ・ヴィヤヴィエーハ
編集:ヌリア・エスケーラ
音響編集:マリソル・ニエヴァス
録音:リカルド・カサルス
出演:グザヴィエ・ラフィット、ピラール・ロペス・デ・アジャラ、ターニア・ツィシー

2007年/スペイン・フランス/85分/カラー/35ミリ/ビスタサイズ(1:1.85)/DOLBY DIGITAL
配給:紀伊國屋書店、マーメイドフィルム

『シルビアのいる街で』
オフィシャルサイト
http://www.eiganokuni.com/
sylvia/
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