OUTSIDE IN TOKYO
JOSE LUIS GUERIN INTERVIEW

ホセ・ルイス・ゲリン『シルビアのいる街で』インタヴュー

2. 脚本は、いつもひとつの写真から始める

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OIT:極端に過剰な方も突き詰めてやってみたことはありますか?
JLG:『イニスフリー』(90)という映画があるんですけど、もし観られたら分ると思うんですが、あそこにはドキュメンタリーながらすごく情報がいっぱい入っています。私が今までやってきたのは、過剰なものを試すというよりは徐々に一本ずつ少なくしてきたという感じです。ですので、まだまだ足りないと思ってるということ、『イニスフリー』に関しては若い時に撮ったので捨てられなかったものがあったんですけど、今はそれをもうそぎ落としても大丈夫だという風になってきたので少しずつ変わってくると思います。だからもう『イニスフリー』の様な撮り方はしないと思います。
今まで撮ってきた中で、一本目、三本目、五本目の奇数本は非常に静かで内面的で対話が少ない、ほとんど台詞がない作品なのですが、偶数の時は非常に集団的でもっと派手で饒舌な映画なんです。それを交代交代に撮ってきてるんで。だからこの次は偶数なので色々なものが入ってます。

OIT:登場人物さえいらないと思う事はあるんですか?
JLG:小津に捧げたキアロスタミの作品(『5 five 〜小津安二郎に捧げる〜』(03))を観た時に先ほど言われたように登場人物さえいらないんじゃないかという風に思いました。
本当にキアロスタミのように出来たらいいんですけど、スペインではそういう風に撮るのは難しい。色んな制限がある中でやっぱり自分が好きなもの、いいと思うものを撮っていきたいというのがある。あと人間も根本的には好きなので全く登場人物をなくしてしまった映画を今から撮るかと言われれば、それは撮りたいけれどもまだ先になるか、まだ撮らないと思います。

OIT:ゴダールのように、自分の映像ではないものを編集して映画を作ったりという事に関しては、監督ご自身はどう思いますか?
JLG:昔からある豊かな伝統だと思います。その中で他の人が撮ったものを集めてという非常に実験的だし、そこに自分ではできない刺激的な要素も入ってくると思うので、そういう風にすることは非常に豊かなことだと思います。
本当にそれは技術が革新したから出来ることだと思いますね。色々なレベルの違う音だったり映像だったり、それを一つのものにしてちゃんと編集できるのは技術がなければ、一体感というか一つの作品にはなりえない。

OIT:今回16mmで撮られているということで、HDで撮るという選択肢もある中で16mmにこだわったのは?
JLG:自分の中ではフィルムにこだわっている所があって、今回はお金がなかったので16mmなんですけど、デジタルでは得られない奥行きだったり、コマ一つ一つが写真であるということ、それが化学反応といいますか、反応して出てくる映像というものに見入られているのです。自分としては、デジタルでは全く出来ないことだと思っています。それというのも多分、彫刻家が素材として大理石を選ぶのかブロンズを選ぶのかで出来上がるものが全然違うのと同じようなものだと私は思っています。





OIT:それはこの映画に限った事ですか?
JLG:今回の映画に関しては16mmっていうのはありますけど、その前の映画に関してはHDで撮ったので、全てのデジタルテクノロジーに関して偏見があるというわけではないです。

OIT:16mmの一コマ一コマ写真のようにって仰ってましたけど、あえて写真というのはどうしてなのでしょう?なぜ、それを提示しようと思ったんですか?
JLG:写真を元に映画を作ったので、それが元になっています。

OIT:残念ながらそれを見れていないんです。それは完全にリンクしているものですか?
JLG:リンクしてます。
本当にやりたかったのは写真だけで構成した無声映画みたいな感じ、一枚から次の一枚にいく間にですね、・・・みたいな間があったりする、そこを埋めるのが観客の想いだったり視点だったりするわけです。この写真で無声映画を作るという、そのアイディアが元になって初めてこの映画が出来たので、両者はとても関係しています。

OIT:クリス・マルケルの『ラ・ジュテ』(62)のようですね。
JLG:写真で作る小説みたいな感じですね。ですから同じ要素です。

OIT:それは意識はされていたんですか?
JLG:初めは全く考えないで写真を撮っていたんですね。でも撮った写真を見ている内に、これの次にこれがきたらどうなるんだろうとか考え出して、もしかしたらこれで物語が語れるんじゃないかということで、そう思ってからは意識的にその写真を撮りだしました。
先ほど言われたクリス・マルケルの作品というのは非常に例外的な作品で、最後までドアが開けっ放しというか、ずっと扉は開いたままですよね、皆そこからどこに行くか決められるっていう形ですけれども、私の場合はそこで物語を語っていくっていう所である程度意識してからは物語ということをすごく考えました。脚本を書く時にいつも自分がテーマとする一枚の写真を置いて、それからインスピレーションをうけて書いていく。いつも写真から始まります。

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