OUTSIDE IN TOKYO
JIM MARMUSCH INTERVIEW

『リミッツ・オブ・コントロール』
ジム・ジャームッシュ オフィシャル・インタヴュー

6. 多彩な俳優陣と音楽的に編奏され繰り返されるシーンのねらい

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『ブロークン・フラワーズ』(05)同様、今回も多彩な顔ぶれの俳優陣がジャームッシュ監督のために集結した。イザックだけでなく、ジャームッシュ組と呼びたくなる名女優、名俳優が出演している。
ジャームッシュ:脚本を書いているときは、イザック、ビル・マーレイ、ティルダ・スウィントン、それにパス・デ・ラ・ウエルタを想定していた。ジョン・ハートのことも考えたし、アレックス・デスカスとジャン=フランソワ・ステヴナンのために特別に飛行場の男たちを書いた。

やはり、ティルダ・スウィントンに関しては特別な思い入れがあるように感じられるが。
ジャームッシュ:(笑)僕はティルダ・フェチなんだ。彼女を変身させるのが大好きで、彼女もそれにちゃんと対応してくれる。一緒に働くには最高の人だ。願わくば、この先、彼女のために使えればと思って、まだいくつか切り札を隠し持っているのさ。

ウエス・アンダーソンの『ダージリン急行』(07)でも素晴らしいキャメオ出演を果たしたビル・マーレイの存在も、もはやジャームッシュ映画には欠かせない存在だ。そして、『デッドマン』(95)以来の出演となった名優ジョン・ハートの姿をスクリーンで見ることができるのも楽しみのひとつ。
ジャームッシュ:ビルと僕はいつも役に焦点を絞るために、その役の「周辺」について話し合う。ビルの印象はというと…彼を本当にすばらしい俳優なのに、いつも「ビル・マーレイ、コメディーの天才」と書かれた重いスーツケースを運んでいる気がする。世間では彼はこっけいだと思われていて、実際そう振る舞っているときの彼は陽気なやつだけど、かなり繊細な役もこなせる。だから僕はいつも、彼の幅広い演技のなかからその部分を引き出そうとしている。
僕は俳優から希望が出ない限り、これから撮影するシーンのリハーサルはしたくないと思っている。それよりも俳優たちと話をしたり、役のついている俳優と一緒に作品に登場しないシーンをやったりして、その役を固めていく。そうやってカメラをまわせば、俳優たちは準備しすぎることなく想定された役どころに合わせて反応することができるから。
ただ『リミッツ・オブ・コントロール』では、ビル・マーレイのシーンでリハーサルを行った。というのも、そのシーンは作品のなかでも唯一、固定した追跡カメラから始めて手持ちカメラに移行する部分で、照明もぎらぎらとして見苦しく、作品の他の部分と違って絵画的でもなく、動きが複雑なシーンだったから。
それに、こんなことがあった。ビルは彼の崇拝している—僕も同じ気持ちだ—ジョン・ハートにそれまで一度も会ったことがなかった。それでビルは僕とジョンと一緒にセビリアでランチをしにやってきた。ビルがジョンに役作りのプロセスについて尋ねると、ジョンはこう答えた。「僕はヴァイオリニストのようなものだ。楽譜を受け取ったら、それを変えることも書き直すこともしたくない。そこに書かれている通りに演奏したいと思う。それも自分に可能な限りの最高の演奏をね」。ビルとジョンは同じホテルに泊まっていて、毎日一緒に朝食をとるようになり、親しくなっていった。それでビルは僕のところにやって来て「ジョンとこのシーンについて話したんだけど、脚本に書かれている通りにリハーサルをしてみたいんだ」と言った。ビルは『ブロークン・フラワーズ』でも脚本から大きくそれることはなかったし、セリフのあるシーンでもリハーサルはしなかった。彼は今回、違ったプロセスで冒険したかったのだろう。

『ミステリー・トレイン』(89)以来、20年振りのジャームッシュ作品出演となった工藤夕貴もまた、妖艶な美しさすら漂わせ再び列車に乗って我々の目前に登場する。
ジャームッシュ: また彼女と仕事ができて楽しかった。工藤夕貴は本当にすばらしい女優で、美しい女性だ。彼女は『ミステリー・トレイン』で列車に乗ってもらったが、今回もまた乗ってもらった。ほとんどの場合、俳優たちは撮影中、大急ぎで出たり入ったりしている。僕は俳優たちとすごく親しくなる。夕貴はたった数日間しかいなかったから、帰ってしまった時は悲しかったな。

“孤独な男”の言動や“同志”たちとの謎めいた会合では、同じセリフや演出が繰り返される。これにはジャームッシュ監督の明確な映画表現上の狙いがあるのだという。
ジャームッシュ:繰り返されるシーン、例えば繰り返し列車に乗ったり美術館を訪れたりするシーンは、毎回それぞれのシーンのバリエーションとして再現されている。クリスと僕は一連の変化が持つ美しさについて話し合った。芸術的な表現には不可欠な要素だ。バッハは同じテーマを何度も繰り返し使うが、すべてをほんの少しだけ変化させていて、それがとても美しい。ポップ・ミュージックや小説、建築でも同じことが言える。
この作品で繰り返されるメインのセリフは、もちろんイザックの役が連絡を取るときに使う暗号だ。同じ手順が毎回繰り返されるが、いつも違う相手、違う場所だ。彼は繰り返し他の人間を目の前にある仕事へ引き戻し、彼らの元を去ったあとは多分もう二度とその人たちと会うことはない。
僕らは他の登場人物にも、それぞれ独自の狙いを盛り込むようにした。それぞれの人物像が明らかになるように。彼らがイザック演じる人物と話す内容は、最後の話し合いへと向かって進んでいく物語の一部なんだ。作品の最後には主人公はより積極的な人物になっているが、それまでの彼はもっと受け身だった。なぜなら、彼は自分をプロだと考えていたからだ。だが映画の最後でさえ、そのことはただメタファーとして示されるだけだ。

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