OUTSIDE IN TOKYO
Jessica Hausner INTERVIEW

ジェシカ・ハウスナー『ルルドの泉で』インタヴュー

3. 撮影初日に、みんな衣装を身に着けて勢揃いして、セットに入っている。まるで奇跡のよう!

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OIT:そうなんですね(笑)。それと、ミヒャエル・ハネケ監督の下で助手をしていたという話ですが。
JH:(苦笑)

OIT:もうあまり聞かれたくないことですか?
JH:いえ、ただ彼の現場で働いたという経験だけど、『ファニーゲーム』で何の責任もないアシスタントだっただけなの。特に大きな芸術的インパクトがあったとかそういうものではないの(笑)。でも学生の時は、彼の映画を見られることはとてもうれしかった。オーストリアで彼が唯一の興味深い監督だったから。自分の映画言語を生み出して、自分のスタイルを確立して人としたのは彼くらいだった。90年代の初め頃、私はフィルム・アカデミーで勉強して、ハネケはあまり知名度もなかったし、オーストリアの人に嫌われていた。お金の無駄で、観客もいなければ、ひどい映画だって。多くの議論が飛び交っていたの。でも私の印象は逆で、ほとんどのオーストリア映画が、ほとんど映像的なクォリティーがないまま作られていて、アーティスティックなアイデアもなかった。でも彼がそれを発明したの。正確なフレーミングと、独特の映画言語で。私は最初からそこに惹かれたわ。自分もまた、そういう映像的に特徴があり、映画言語のあるものを撮りたいと思っていたから。

OIT:他の監督や映画であなたの創造性を形成してきたものはありますか?
JH:オーストリアだとウルリッヒ・サイデル(ドキュメンタリー・スタイルで知られる映画監督)はスタイルとしてとてもオリジナリティーを感じる。全体的にはマヤ・デレンがとても好き。それにルイス・ブニュエルの映画も。その2人は特に。それから黒澤明も。父が黒澤監督の大ファンだったの。だから幼い頃は父と一緒によく黒澤映画を見たわ。黒澤もそうだったように、父もペインターだったの。彼の映画は大好きだった。特にヴィジュアル的に強いヴィジョンを持っているからだと思う。

OIT:彼の後期の映画はヴィジュアル的にスペクタクル性も持ち合わせていますね。
JH:そうね。それに彼のおとぎ話的な特質が好きね。寓話のような。リアリスティックなだけでなく、象徴的な物語の語りとか。

OIT:それはブニュエルにも共通していますね。
JH:うん、その通りね。ブニュエルの二面的なユーモアは素晴らしい(笑)。彼のそういうところがすごく好き。テーブルの下から覗いているような感じで(笑)。

OIT:フェリーニは?
JH:うーん、うん、フェリーニは特に好きではないわ。

OIT:へー、そうなんですね(笑)。では、2009年にこの映画が完成して、もう次の作品にかかっていますね。
JH:脚本は書いて、今は資金面の最終段階に入っているの。そして(木のテーブルを3度叩いて)来年は撮影に入りたいわ。

OIT:その話はできますか?
JH:ラブ・ストーリーで(笑)、舞台はドイツ、1811年の19世紀初頭。ドイツ人作家のハインリヒ・フォン・クライスト(劇作家/ジャーナリスト。1777-1811。癌を患った人妻ヘンリエッテ・フォーゲルと共に1811年11月21日ポツダム近郊のヴァーン湖畔でピストル自殺した。)の物語をベースにしている。彼のパートナーである女性と心中を図るの。奇妙な物語なのは、ロマンチックな意味で、2人で自殺するということだけど、より注意深く見てみると、より曖昧な点が見えてきて、愛とは何かについて問うているの。愛という言葉は、注意深く見た途端に消えてしまうという(笑)。構造、意図、嘘とかいろんなものがあるけど、一歩下がって見てみないと愛が成功なのか分からない。でも当然、愛は存在している。そんな不思議なパラドックスが映画として私の興味を引いたの。

OIT:おもしろそうですね。歴史ものというより、そこがテーマなんですね。
JH:そうなの。



OIT:でも歴史ものということであえて聞きますが、最近、多くの映画作家が歴史ものを扱っているように思えるんだけど、それはどうしてでしょうね。
JH:そうね。私もその傾向は感じるわ。私も考えてみようと思ってたの。ここ最近、歴史映画が多く撮られているわ。特にアートハウス系の映画監督で。正直、理由は分からないわ。『ルルドの泉で』のような舞台を見つけて、それは特別なヴィジュアルの性質があって、それをあえて過去に設定することで、ある意味、人口的なスタイルを手に入れることができるというのはあるわね。それによって、また(笑)寓話のような状況に置くことができるわけよね。

OIT:一歩下がって見るためですね。
JH:そう、一歩引いて見られるの。それが過去に設定する大きな理由だと思う。心中の話を現代に置き換えてみたけれどうまくいかなかったの。悲劇的すぎるか、なんというか……。

OIT:パンクすぎるとか(笑)。
JH:そうなの、いえいえ(笑)、実際パンクならよかったんだけど。心中に焦点を当てることで、社会が自殺の要因になっていると指摘しているみたいになって、社会のせいで自殺、みたいになってしまったの。でも物語を過去に置くことによって軽快さが生まれて、ユーモアも生まれて、どういうわけか、その物語を語る自信が生まれたの(笑)。

OIT:心中をロマンチックだと思う人もいるでしょうね。
JH:19世紀初頭の彼らも最初はそう思っていたみたいよ。心中が流行のように広がったの。

OIT:ところで、あのボランティアの制服について教えてもらえますか?
JH:あれはマルタ騎士団のもので、各国に違う制服があるんだけど、映画の中ではフランスの制服を使ったの。

OIT:あなたの映画には必ず制服が出てくる気がします。
JH:その通りね。私はカトリックの学校に通い、学校では制服を着ていた。それ以外に、制服を使うのは、社会の中でその人がどのような役割を持っているかを見せるため。そもそも制服を着用する理由もそこにあると思うの。私は警察官、私は神父、私は弁護士、私はアーティストでも(笑)、それぞれの洋服の着方で人生の立場を見せている。だから映画の中で制服を使うの。

OIT:ということは、心中するカップルは、その役割の外側の人間ということ?社会的に?
JH:いいえ、そんなことないわ。社会の外にいるのはむずかしい(笑)。ある意味、社会の一部でもあるの。ハインリヒ・フォン・クライストは、どのカテゴリーにもはまらない人だったの(笑)。それなのに、社会の枠にはまらないアーティストという役割を担ってしまうの。あなたは社会にはまらない、という役割をね。だから私もそう描くことにしたの。

OIT:ところで、主人公クリスティーヌにシルヴィー・テステューを起用した理由は何だったのでしょう。
JH:たくさんのフランス人女優でキャスティングを行ったの。そして素晴らしい女優たちに会うことができたのはとてもおもしろい体験だった。そしてシルヴィーの場合、最初の読み合わせの段階から、彼女しかいないと思ったの。彼女はシーンのユーモアをとてもよく理解してくれた。大事な点は、車椅子の彼女が犠牲者であってはいけないということ。知的な会話ができ、クールで、彼女なりの威厳やプライドがあり、車椅子がないと動けないからと言って全く受け身ではないということ。私の視点から見ても、彼女は、まあ、かわいそうな子という感じではなく、みんなと何ら変わらないということを見せたかった。

OIT:そのために、彼女とはどんな話をしましたか?
JH:シルヴィーに理解してもらう必要があったのは、ハンディキャップがあることがどういうことか。半身不随であることが。そして身体が動かない、多発性硬化症の人に会って話し、日々の生活がどのようなものか知ろうとしたの。そしてシルヴィー曰く、しばらく経ってから、どれだけ自尊心を保つのが大変かようやく分かったと言ったの。常に誰かに触れられたり、車椅子からベッドに運び上げてもらったり、服を脱がせてもらったり、食事の世話をされたり。彼女は、家具や赤ん坊のようだと言うの。だから自尊心を保つのが本当に大変なの。常にそういう風に扱われるから。それは多くのハンディキャップを背負う人たちから聞いたことよ。肉体的なハンディキャップしか受けていないのに、まるで精神にもハンディキャップがあるように話しかけられるって。大きな声とゆっくりとした口調で、あーなーたーはー、げーんーきーでーすーか!って。いやいや、身体が動かせないだけだって(笑)。おかしなことよね。

OIT:それにはむかつくでしょうね。
JH:そうなの。

OIT:そして彼女が治癒され、その瞬間、とても積極的になる。そして彼女が必ずしもやさしいところばかりではないことも分かりますね。
JH:そう、イケメンの騎士を自分のものにしようとしたり、将来の計画を立てようとしたり、完治した人の型にはまるような行動をとろうとする。直後のスピーチでも分かるように。明らかに、彼女も何と言っていいか分からないけど、期待されているようにしゃべってしまう自分がいる。

OIT:ところで、あなたはどんな音楽を聴きますか?
JH:個人的に?実はボーイフレンドがミュージシャンなの。ドラムとボーカルで。もう一人はアコーディオン弾きで、2人で伝統音楽とパンクをミックスしたような音楽をやっているわ(笑)。

OIT:自分が視覚的な映画作家だと意識したのはいつからですか?
JH:かなり若い頃からで、私は16歳で、当時ボーイフレンドがいて、彼の父親がテレビ局に勤めていて、家にビデオカメラがあったの。その頃、私はショートストーリーを書いていて、その短編を映像化してみようと思った。彼氏が主人公を演じて。彼の父親のカメラで小さなビデオ・フィルムを撮ったの。その時から、このメディアにとても強い愛情を抱いてきた(笑)。ただ書くだけよりもずっと自由を感じた。目の前にあるリアリティーを伴いながら。今もそれは変わらないわ。撮影初日に、みんな衣装を身に着けて勢揃いして、セットに入っている。すごい、まるで奇跡のようだわって(笑)。


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