OUTSIDE IN TOKYO
Jessica Hausner INTERVIEW

ジェシカ・ハウスナー『ルルドの泉で』インタヴュー

2. 『アルプスの少女ハイジ』の構造が頭にあった

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OIT:映画の中でいわゆる映画的なマジックを駆使していますね。たとえば、ボランティア(マルタ騎士団)のリーダーが車椅子の女性のクリスティーヌに話しかけている時も、ある集団の移動に飲み込まれたかと思うと、みんながいなくなってみれば、彼女の姿もないという(笑)。そういうのも見事でしたね。
JH:(笑)ええ、私もあれは好きよ。それから、彼女が傘を上げるとドアが自動的に開くとか(笑)。そういう風に、そこに何らかの魔法があることを見せたかったの。神様とか、何か超越した存在が引き起こしているのではない状態で。

OIT:そして、おとぎ話の話もしていましたが、それをもう少し聞かせてほしいんです。
JH:ええ、私の他の映画にもあると思うけど、私は登場人物たちを何らかのシンボルに凝縮する傾向があるの。フェアリーテイルには通常、お姫様がいて、ハンサムな王子様がいて、酷い義母や魔女がいたり、何度も繰り返される要素があるものだけど、それは世界の在り様を見せてくれるの。人生の中でそんな立ち位置を反復することによって。私の映画でもその人物の本質に凝縮して見せたい。たとえば、(映画の中の)老婆はおとぎ話の守護天使のような役割かもしれないし、はたまた魔女かもしれない(笑)。そしてかわいい少女のマリアがいて、とても堅くて厳しい看護師がいる。社会の縮図を提示しながら、ある一人の人に焦点を当てるのではなく、私たちも同じように社会の中で役割を演じていることを表現しているの。ある特定の人がこういうことになっているというよりも、ある物語のアイデアに則したものなの。

OIT:それはとてもおもしろいですね。そうなると、何かおとぎ話の構造としては何か特定のものが頭にあったとか?
JH:そうなのよ!あるのよ。知っているかもしれないわ。日本のもので『アルプスの少女ハイジ』よ。あれは日本のでしょ?

OIT:日本のアニメーションですね。
JH:子供の頃、そのアニメを見るのが好きだったの。

OIT:ああ、それも奇蹟がありましたね!
JH:そうなの!青いドレスを着た車椅子の少女のクララがいて、赤と黄色のドレスを着たハイジがいて、私の映画では(ボランティアの少女)マリアなのよ。それから厳しい女主人のホッテンマイヤーさんがいて、私の映画だと厳しい看護師でしょ。それでペーターはハンサムな騎士なの。

OIT:おもしろいですね!その背景があるから、物語に入りやすくなるわけですね。気づかないうちに。
JH:そうなの。それで以前誰かに話した時に、聞かれたんだけど、おじいさんは誰なのって。それで突然閃いたの!彼は神様よ(笑)!神様の型がおじいさんなの。

OIT:(笑)この話はルルドの人たちに話しました?
JH:いいえ。まだそこに気づいてなかったもの。頭の中では。『〜ハイジ』がどう機能して、私の映画がどうなるというところまで考える余裕がなかったから。そして映画を撮っている最中に、共通項があると突然思いついたの。それでキャラクターの構造を説明するのに使ったの。



OIT:すごいですね(笑)。話は戻りますが、映画の中のマジックのような細かい表現、例えば、グループ写真を撮る時に唯一看護師だけが視線を外しているのも、もちろん絵コンテで描きこんで計画していた通りに撮影したということですよね。
JH:ええ、そうよ。

OIT:その場で即興的に作っていくこともあるのですか?
JH:ほとんどないわ(笑)。

OIT:時間的制約もありますものね。
JH:ええ、でも実際、計画していたとしても、100%計画通りに行くわけがないのよ。だからもちろん、予期していなかったこともたくさん起きる。絵を描いて、衣装も見て、役者とも会って、現場を見ても、実際に始まると予定と違ってくることはある。それは私にとって、前もって何を望んでいるか分かっていれば、どう反応すべかが分かるの。方向性を間違わないように。それは自分の間違っていないかの確認作業のようなもので、私にとっては、知らない外国人がこの映画を見ているような感覚で見られるの。たまに本当にそれをやろうとするのよ(笑)。その距離を保つように。それがあまりに頻繁に起きると、もう反応するしかない。考えている暇なんてないから。でもできるならそうなってほしくないわ。

OIT:それからエンディングもよかったです。
JH:結論が出る前の状態でおくことにしたの。そのあとに続くかもしれないけれど、こうなるとは限定できないの。

OIT:実際、ルルドに行ってリサーチをしながら人と会ったりしている時に、奇蹟を受けた人たちに対する侮蔑のような感情というのは自分の目でも見たのですか?
JH:嫉妬ということ?奇蹟的に治癒された人には会わなかったけど。もちろん会おうと思えば会えたの。一人だけまだ生きている人がいるから。でも彼女はシチリアに住んでいて、もう年老いていたから会う必要はないと思った。会ったところでストーリーに影響があるとは思わなかったから。ただ、実際に巡礼の人たちに会って思ったのは、どんなツーリストのグループとも何ら変わらないということ。それは映画を見ていても感じとってもらえるかもしれないけど、奇跡は別に聖なるものではないの。それは宝くじとも同じで、なぜ私でなく、彼女が賞品をもらえるのよって。それを映画で見せることはとても大事だったの。人々は聖人ではなく、100%ふつうの人間で、みんなそういう感情を持っていることを。見せてはいけないと思われている感情を。でもそれはとてもふつうなことだと思う。みんな自分が治癒される人になりたいの。多発性硬化症のような人とか。

OIT:カール・ドライヤーの『奇跡』というタイトルの映画がありますが、その映画への参照はありますか?
JH:ああ、それは『Ordet』のことよね(1954年作。邦題『奇跡』)。死んだ女の人が生き返るという。そうなの。考えるきっかけとなったシーンが2つあって、インスパイアされたんだけど、医者が車で到着して、壁に映った車のヘッドライトが見えて、狂ったふりをした男は自分がイエスで、これぞ神からの啓示だと言うと、他のみんなは頭がおかしいと言っていて。でも医者が到着すると、女の人が死んでしまうの。そしてストーリーのどこかで、両方とも実は正しくて、実際に神様の啓示だったと分かるという。ただ医者が来ただけなのに。ただ、センチメンタルに指摘されるわけでないけど、マジックや超自然現象というか、何かが起きる時に神の存在が関与しているんだって分かるの。でもいわゆる“神様”みたいに宗教的なものではないの。特に誰かが計画したものではなくて。それでも被害はあるし、最後には、狂人でも小さな子供でも奇跡を起こすことができるんだって分かるから。

OIT:それから是枝裕和という監督が最近『奇跡』という映画を撮っているんです。離れて住むことになった兄弟が願う小さな“奇跡”についての映画なんですが、震災後に公開されることになったため、それが小さな希望を提示しているように思えた映画なんです。
JH:監督の名前は聞いたことがあります。ぜひ見たいですね。

OIT:『誰も知らない』という映画を撮った監督ですが、あくまで震災前に撮られたものです。あなたの映画も2009年ですしね。あなたの映画で何かきっかけになる事件とかそういうものはなかったのですか?
JH:奇跡について考えるきっかけになったことが?そうね、たぶん。『HOTEL』の後、映画を作るまでにかなり時間があったので、行き詰まった気分に陥ったの。その状況から抜け出すことができれば“奇跡”だって思えたのかもしれない(笑)。次の新しい作品へ飛び出せるように。だからこの“奇跡”は私にとってうまくいったのかも(笑)。


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