OUTSIDE IN TOKYO
Felix Dufour-Laperriere Interview

フェリックス・デュフール=ラペリエール『新しい街 ヴィル・ヌーヴ』インタヴュー

4. 親密な関係、愛情関係の中にあるものと、集合的なもの、政治的なものを
 動かす力っていうのは、実は同じものだと私は思っています

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OIT:”波のように”という表現が非常に分かりやすかったです。有機的であること、うねりがあり、それが集合的に出来上がっているというお話、まさにこの映画はそうだなと思いました。ところで、ミュージシャンのルー・リードの恩師である、アメリカの詩人デルモア・シュワルツが『責任は夢の中から始まる』というタイトルの詩を残していて、その言葉を思い出しました。夢が現実とリンクするという話なのですが、この映画にもそうした願いがあるように感じました。政治がこの映画の中に入ってきたのは、そうした願いがあるように感じたのです。
フェリックス・デュフール=ラペリエール:意識と無意識の緊張関係といいますか、非常に親密な関係、愛情関係の中にあるものと、もっと集合的なもの、政治的なものを動かす力っていうのは、実は同じものだと私は思っているんです。だからタルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』を引用したわけなんです。それぞれの次元は違うけれども、親密なものであれ、集合的なものであれ、そうしたものを動かしている元の力は同じであるという考えから、『アンドレイ・ルブリョフ』にオマージュを捧げたわけです。非常に力強い緊張感がある、それが親密な関係にもあるし、それがやがて政治的な運命を動かすものになりうる、私たちは、そうしたことを同じスペースでコミュニケーションしている、ただその次元が違うだけであるという風に感じているんです。

OIT:同じスペースとおっしゃっているのは人間の意識の中の領域の話でしょうか?
フェリックス・デュフール=ラペリエール:私の直感にすぎないのですが、家族とか恋人とか親密な関係における力というのは集団的な場でも存在していると思うんです、ただ濃密さが、濃度が違うだけなんじゃないか、『アンドレイ・ルブリョフ』で描かれている”運命”や”アート”でも同じものなのではないかと思っています。それぞれは異なる次元にありながらも、同じ力がそうしたものを動かしているのではないかと直感的に思ったわけです。

OIT:映画自体も素晴らしいですが、監督の話もとてもいいお話が聞けたと思っています。最後に、先程言い掛けた、次作のドキュメンタリーアニメーションについて、差し支えのない範囲で教えてもらっていいですか?
フェリックス・デュフール=ラペリエール:ほとんど編集が終わって、今、音入れをしているところですが、長編で作られたドキュメンタリーというか、フェイクドキュメンタリーなのです。セント・ローレンスという実在しない島を作り上げて、ある種のトリックを使っています。その領域、領地、テリトリーとは何が決めるのか、それは地理的なものであったり、政治的なものであったりします、加えて、そのイメージの領域において、何が”ホーム”というイメージを表すのかということとか、”領域”ということを色々な広い意味で捉えているわけです。そうしたもの、それぞれが島になっていくという感じなんです。私はクリス・マルケルの『サン・ソレイユ』(1983)を偏愛していまして、タイトルは『Archipelago(群島)』というものです。そうしたアイディアを、クリス・マルケルがアニメーションにしたらどうなるかなみたいなところから発想して作り上げた作品です。

OIT:ウェス・アンダーソンの『犬ヶ島』(2018)ではなくて、クリス・マルケルの方向だっていうことなんですね。
フェリックス・デュフール=ラペリエール:そうです、クリス・マルケル!



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