OUTSIDE IN TOKYO
DAMIEN MANIVEL INTERVIEW

ダミアン・マニヴェル『若き詩人』インタヴュー

3. 自分の見たいものを見ようとする、そしてそれが生起する瞬間を待つ

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OIT:『若き詩人』と『犬を連れた女』に主演していたレミ・タファネルがとても良かったのですが、彼はプロの俳優ですか?
ダミアン・マニヴェル:基本的には僕の映画に出ているだけだと思いますけど、一つか二つ、他の作品にも出ているかもしれません。最初に会った時、彼はまだ14歳でした。そして僕の作品(『犬を連れた女』)に出てもらったのですが、彼の存在はとても新鮮でしたね。今、彼は俳優になりたいと思っているようです。とてもクリエイティブな人で、一緒に映画を作ることが出来て本当に良かったと思っています。2010年の『犬を連れた女』と2014年の『若き詩人』の間に『日曜日の朝』(12)という映画を撮りましたが、それにはレミは出ていないんです。レミのシーンも撮影していたんですけど、編集の段階でカットしてしまったからです。

OIT:『若き詩人』と『犬を連れた女』は、それぞれスタイルが違う映画ですね。『犬を連れた女』の方は、あらかじめ頭の中にあったものを緻密に設計してから撮っていて、『若き詩人』の方は、フィクションではあるけれども、現実と融合している、そういう2つの異なるスタイルで撮られていると思います。
ダミアン・マニヴェル:その通りです。

OIT:それはテーマ毎に映画のスタイルを変えようと考えているからでしょうか?
ダミアン・マニヴェル:僕は、自分の目で見てみたいと思うもの、自分が好きなもの、愛するものをキャメラで撮りたいと思っています。『犬を連れた女』の時は、あの家を撮りたいと思ったし、あの女性とレミ、そして犬、その3者と家の関係性をキャメラに収めたいと思ったんです。『若き詩人』では、あの街とレミ、太陽の光、そして、風を撮りたかったのです。だから、必然的にスタイルは変わってきます。『犬を連れた女』にはシナリオがありましたが、『若き詩人』の時はありませんでした。制作のねらいが映画のスタイルを変えるのです。それを自分でコントロールすることは出来ません。スタイルは、作品の内容が要求するもので、自ずと生成するものなのです。例えば、キャメラを動かさない、というのはひとつのスタイルですが、実際は何が起こるかわからないのです。また、映画のスタイルは、編集段階で作られるものでもあります。矛盾することを言うようですが、スタイルは映画においてとても重要な要素ではあるけれども、スタイルについて考え過ぎるのは危険なことです。なぜなら、スタイルを限定し過ぎると、映画の幅を狭めることになるかもしれない。自分の見たいものを見ようとすること、そしてそれが生起する瞬間を待つということの方がより重要です。

OIT:『犬を連れた女』は、凄く緊張感のある映画でした。ひとつのショットの存在、一瞬のショットが、映画にエロティックな雰囲気を齎すわけですが、そのショットの有無によって、映画は全く違う作品になり得たと思うんです。それは事前に考えていたことだったのでしょうか?
ダミアン・マニヴェル:ほんの僅か、そうした展開もあり得るとは感じていたのですが、事前にあのショットを設計していたわけではありませんでした。そして、撮影の段階で、あのショットがあり得るかもしれない、という可能性がほんの少し高まりました。でも、あのショットこそが、この映画の肝であるということを発見したのは、編集の段階に至ってのことでした。あのショットだけが、男と女の間で起こりうることを唯一示唆しているからです。深く考えた末に撮ったものではなく、勘が働いたから撮ったという感じだったんです。僕は、暑い部屋の中で、何事も起こらない時間、彼らもお互いに何をすれば良いのかわからず、ただ酒を飲むしかない、男は彼の人生について語り、女はベッドに横たわっている、そんなことばかりを考えていて、何かエロティックな事態を召還することなど、まったく考えていませんでした。でも編集の時に、おお〜、これは...(笑)、明らかにここで何かが語られている、と気付いたんです。シナリオの段階ではそれほど重要なシーンになるとは考えてもみませんでした。



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