OUTSIDE IN TOKYO
KALTRINA KRASNIQI INTERVIEW

『ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家シネアスト』は、”ゴダール神話”をなぞるのではなく、”人間”ジャン=リュック・ゴダールの肖像を描くことに挑戦した野心的作品であると同時に、ゴダールをまだ知らない、新しい未来の世代に対しても開かれた作品である。

<第1章>は、長編デビュー作『勝手にしやがれ』(1960)の衝撃に始まり、ゴダールの生い立ちや家族を巡るエピソード、「カイエ・デュ・シネマ」時代、、アンナ・カリーナ時代といった、批評家ティエリー・ジェスが「60年代の心臓」と称した、この時代のゴダールの伝説が総括されている。<第2章>では、映画監督ロマン・グーピル、映画研究者ダヴィッド・ファルー、政治家ダニエル・コーン=ベンディットが登場し、”ジガ・ヴェルトフ集団と闘争的映画(Cinema Militante)の時代”を語り、アンヌ・ヴィアゼムスキーの著書に基づいて、”政治の時代”と言われた、この時代のゴダールの肖像が描かれていく。

<第3章>では、ゴダールがジガ・ヴェルトフ集団を解散した後、パリからグルノーブルに居を移し、視聴覚研究所「ソニマージュ」をアンヌ=マリー・ミエヴィルと共に設立した、”ソニマージュの時代”が描かれる。ここでは、ゴダールの人生に於ける真のパートナーとなるスイス生まれの活動家/映画作家アンヌ=マリー・ミエヴィルという特別な存在について言及されると同時に、元ジガ・ヴェルトフ集団の撮影技師ジェラール・マルタンによる、不器用なゴダールの微笑ましいエピソードも紹介されている。アントワーヌ・ド・ベックの「ゴダールは、常に、弱い者たち、歴史の犠牲者たちの側に立った。ゴダールが強い者の側に立ったことは一度もない」という、”人間”ゴダールの倫理的姿勢を明かす言葉が心を打つ。

終章である<第4章>は、トマ・ダプロの素晴らしいオリジナル・スコアと共にナタリー・バイが登場する、ゴダール自らが"第二の処女作"と称する『勝手に逃げろ/人生』(1980)への言及から始まり、『パッション』(1982)、『カルメンという名の女』(1983)、『ゴダールのマリア』(1984)といった"豊穣な80年代ゴダール"の抜粋映像とドミニク・パイーニ(元シネマテーク・フランセーズ館長)、ハンナ・シグラ、ジュリー・デルピーらの証言を経て、いよいよ集大成となる『ゴダールの映画史』(1988-89)、『JLG/自画像』(1995)へと至る。

ゴダールの出自から『JLG/自画像』まで、並外れた映画作家の半生を見事な手捌きで辿ってみせるシリル・ルティ監督の『ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家(シネアスト)』は、その簡潔さばかりが美徳なのではなく、”20世紀最大の芸術家"と言われる男が21世紀の今尚示し得る”現代性”を明解に炙り出し、未来の観客に向けて差し出しているところにある。

例えば、『JLG/自画像』で言及される”ワルシャワのゲットーで銃を向けられた少年”と、"祖父母がヴィシー政権寄りだった為に、何不自由のない少年時代を過ごすことの出来たJLG"の”違いとは何なのか?という問い掛けに対して、シリル・ルティは、「少年時代に何も知らなかったことを恥じたゴダールは”歴史”について調べるようになった」という批評家アラン・ベルガラの言葉を経由して、『ゴダールの映画史』を対峙して見せる。そして、『ゴダールの映画史』でゴダールがやっているのは「映像を示すことによって歴史を可視化し、モンタージュによって、それを知識にする」というゴダールの言葉を引用して示すことで、”生涯学び続ける”ゴダールの姿勢を明示している。

ゴダールは亡くなってしまったが、彼の魂と作品は、今現在も生き続けている。まさにそのような初々しい気持ちに私をさせてしまった罪深いシリル・ルティ監督が急遽来日するとの知らせを聞きつけた私は、『ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家(シネアスト)』公開初日、舞台挨拶前の劇場に駆け付け、監督のお話を伺う幸甚を得た。

1. 毎日毎日、“この作品をゴダールが見るんだ”ということばかりを考えて作っていました

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):ゴダールの映画が好きで、今までできる限りの作品を見てきましたが、去年(2022年)の9月にゴダールが亡くなって以来、様々な追悼文は読んでいたものの、彼の作品を見る気力を失っていました。しかし、今年の6月にこの『ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家シネアスト』を初号試写で拝見して、やはりゴダールの映画を見続けなければいけないと思い直しました。
シリル・ルティ:まさにこの作品は、そのようにゴダールの作品をもっと見直したい、発見したいという欲求を掻き立てたいという思いから作ったものです。



OIT:今までは、私たち、ゴダール・ファンは、“ゴダール神話”に親しんできて、この映画には、そうした神話として知っていることも、知らなかったことも含まれていますが、この映画では“人間”としてのゴダールの肖像が描かれています。まず最初に、この映画をどういう経緯で作ることになったのか教えて頂けますでしょうか。
シリル・ルティ:私もゴダールの映画はとても好きなのですが、同時に、ゴダールという人物自身にも大変惹かれていました。とてもロマネスクで、まるで小説に出てくるような人物だなと思っていたので、彼の肖像を映画にするのは、とても価値のあることだと思ったのです。以前、ジャン=ピエール・メルヴィルのドキュメンタリー番組(「Melville, le dernier samouraï」2020)を作ったのですが、メルヴィルも凄い個性の持ち主なんです。どちらかと言うと、メルヴィルの場合は、派手なハッタリ系の人物で、自分の人物像を自分で生み出して、虚構化しているような人物でした。それを既に撮り終えていたので、もっと小説的で、もっと虚構の人物像を世間に晒しているような人物は誰だろう?と考えた時、それはゴダールしかいない、ということをプロデューサー(Cathy Palumbo, Victor Robert)と話していたのです。その時は冗談のように話していたのですが、それが実現してしまった。この企画に対して、2ヶ月後にゴダール本人の了解を得ることが出来て、それを受けてアルテ(ARTE)が製作費を出すと言ってくれました。

OIT:具体的にはいつのことでしょう?
シリル・ルティ:2020年に構想に着手して、実作業に入ることが出来たのが2021年、2022年9月のベネチア国際映画祭での上映がワールドプレミアでした。実は、この作品が完成したのはベネチアで上映される15日前のことだったのです。それで、9月5日に上映されたのですが、13日にゴダールが亡くなっています。私は5日の上映が終わった後、ベニスからパリに戻り、ゴダールにこの作品を送ろうと思って、手紙を書いていました。そうしたら、13日にゴダールがなくなったという報せが入った。私にとって、もの凄くショックな出来事でした。私は毎日毎日、“この作品をゴダールが見るんだ”ということばかりを考えて作っていましたので、ついに彼がこの作品を見ることが出来なかった、ということをとても残念に思っています。




『ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家シネアスト
原題:Godard seul le cinéma

9月22日(金)より新宿シネマカリテ、シネスイッチ銀座、ユーロスペース、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

脚本・監督・編集:シリル・ルティ
製作:カティ・パルンボ、ビクトル・ロベール
撮影:ジェルトリュード・バイヨ
編集:フィリップ・バイヨン
音楽:トマ・ダペロ
ナレーション:ギョーム・グイ
出演:マーシャ・メリル、ティエリー・ジュス、アラン・ベルガラ、マリナ・ヴラディ、ロマン・グーピル、ダヴィッド・ファルー、ジュリー・デルピー、ダニエル・コーン=ベンディット、ジェラール・マルタン、ナタリー・バイ、ハンナ・シグラ、ドミニク・パイーニ

2022年/フランス/フランス語/105分/カラー・モノクロ/1.78 : 1/5.1ch
配給:ミモザフィルムズ

©10.7 productions/ARTE France/INA – 2022

『ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家シネアスト
オフィシャルサイト
https://mimosafilms.com/godard/

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