OUTSIDE IN TOKYO
KALTRINA KRASNIQI INTERVIEW

シリル・ルティ『ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家シネアスト』インタヴュー

2. 構想としては、ゴダールが次回作のために仕事をしているところを、
  一日だけ撮影させてもらうという考えがありました

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(c)Anne Wiazemsky
OIT:それは本当に残念です。とても遡る話になりますが、監督のゴダール作品との最初の出会いはどのようなものでしたか?
シリル・ルティ:私はバカロレアを取得した後、本当は科学の分野に進むつもりでいたのです。ですから、それまではあまり映画を見る機会はなかったのですが、夏休み期間でしたので、一挙に一日4、5本の映画を見ていくことにしたんです。そうして見ていく中で、今日はゴダールを一気に5本見ようと思って、ビデオで見たのが最初の出会いです。私が18歳の時のことでした。中でも大好きだったのが、『軽蔑』(1963)、『勝手にしやがれ』(1960)、『気狂いピエロ』(1965)、『はなればなれ』(1964)、『女と男のいる鋪道』(1962)といった60年代の作品です。今回の仕事で、今まで自分では見ることが出来ていなかった作品を沢山発見することが出来たのは幸甚でした。

『勝手にしやがれ』(c)1960 STUDIOCANAL ー Societe Nouvelle de Cinematographie ー ALL RIGHTS RESERVED.
OIT:このプロジェクトの進行としては、最初にゴダールとアルテからGOサインが出て、それから本格的にリサーチを行い、構成、シナリオを考えていった、という進め方だったのでしょうか?
シリル・ルティ:そうですね、最初は数週間を掛けて様々なアーカイブをあたりました。映像ならゴダールについてのテレビ番組であるとか、ゴダールについての文献、そしてゴダールの作品そのものを見るという期間が数週間ありました。それによって、どのような構成にするかということが決まってきますので、最初は沢山のリサーチをしました。その次に考えたのが、ゴダールについて証言をしてくれる証言者は誰が良いだろうということで、これがとても重要だなと思ったのです。最初は、ゴダールのことをよく知っているシネアストの人たちにインタヴューしようと思っていたのですが、いやいや、彼の人間性を浮き彫りにするには、彼のことを本当に親しく知っている人、仕事での付き合いがあった人たちに語ってもらうのが良いと思い直し、技術者として彼の近くにいた人、あるいは、女優、男優、ゴダールの専門家と言っても良いような映画評論家の人たち、つまり、遠くから彼を見ていたのではなく、彼の人となりを、近くで付き合いながら知っていた人たちを選ぶことにしたのです。

構想としては、ゴダールが次回作のために仕事をしているところを、一日だけ撮影させてもらうという考えもありました。あるいは、それが不可能なら、彼のアシスタントに、彼が作業をしているところを撮ってもらう、という考えもあったのですが、ゴダールの作業自体がとても遅れていて、ついに実現することがなかった。今回の作品は昔のアーカイブ映像を多く使っていますが、そんな中でも、ゴダールは現在進行形の作家としてまだ生き続けいるという映像を、本来ならば入れたかったのです。彼が亡くなったことで、唯一建設的に捉えることが出来ることがあるとすれば、それは彼が亡くなったことで、ニュースが世界を駆け巡り、色々な人たちの好奇心を掻き立て、彼について語るこの作品を上映する機会が増えたということですが、彼が亡くなってしまったが故に、この作品は彼へのトリュビュートだという風に、早計に解釈する人が多いのは残念です。私自身は何もオマージュを捧げるつもりでこの映画を作ったつもりは全くありません。そうした追悼としてではなく、今尚、現在形で活動している彼の姿を示すというつもりで作っていたので、彼の死によって、この作品は複雑な影響を被ったのだと思います。

『中国女』©10.7 productions/ARTE France/INA – 2022
OIT:ゴダールが“現在形で存在している”という感覚は、この映画を見て、凄く伝わってきました。ゴダールが作った作品は過去に属していますが、彼の作品が持ちうる“現在性”が、この作品では掘り出されていると思いますので、今、仰ったことは凄く良く分かります。例えば、ゴダールは“闘争的映画 Cinema Militante”の試みに失敗したと思いますし、この映画でもそのように描かれていますけれども、彼は“闘争的映画 Cinema Militante”の新しい可能性を現在の世界に向けて開いたのだと思います。
シリル・ルティ:確かに今回の作品の中で証言している人達の中には、ゴダールの政治映画は失敗だったと断定的に言っている人もいますけれども、本当は失敗というわけでもないんですね。なぜなら、彼はあの時代に、その後に続く、彼の映画のベースを発明したわけです。彼にとっては成功すること自体が目的なのではなくて、極論すれば、映画館に観客がいなくてもいい、新しいものを創り出せればいいというような極端なところがあったと思います。ダヴィッド・ファルーが、活動家時代のゴダールというのは、とても喜びに満ちていたと言っています。もちろん困難なことは沢山あったと思いますが、集団で何かを一緒にやるという作業に関して、ゴダールはとても喜びを感じていたと思います。その後の時代は、孤独に閉じ籠もっていくことになるわけですが。


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