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COSTA-GAVRA INTERVIEW

コスタ=ガヴラス:オン『西のエデン』

2. エンターテイメントという言葉よりも、私はギリシア語のプシカホイアという言葉の方が好きです

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この映画は『Z』からあなたが作ってきた映画の流れと繋がるものですか?
直線的に繋がるかどうかは分からないが、もちろん、自分のフィルモグラフィーに繋がっていることは確かです。ただし、ストーリーが違う。取り扱っている世界が違う。時代が違うから、映画そのものが異なるものにはなっています。ですから、私の他の作品とは技術的にも違いますし、美的にも違いますし、全体として、ストーリーテリングのスタイル自体が違います。

それはやはり直接的な問題提起よりも、微妙な、観客を自然に取り込むような形で撮られている気がするのですが。
お分かりになっていると思いますが、この映画はエリアスの物語であると同時に、我々、西洋人について語っています。そして我々西洋人がどのように生きて、エリアスのような人物を前にしてどのような行動をするか、いかにして彼を受け入れるか、受け入れないか。彼を、例えば性的な搾取とか、彼がしたくないことをさせたりする。すなわち、エリアスの世界、我々の世界の二つを描いています。

この映画を見た人が、不快だと思った人がいるならば、どんな話が出ましたか?
2種類あって、ネガティブな反応のひとつは、パリには、本当はこんなに警官がいるはずがないというものでした。これは嘘だと言った人がいました。もうひとつは、この映画が、こういう人がいけない、こういうものが悪いとか、はっきりとした批判をしていないということです。

それに対してどう答えましたか?
全ての反応にこちらから答えるわけではありませんからね。もちろん、プラスの反応もずいぶん返ってきました。この映画の中には、ポエジー、つまり詩がいっぱい溢れている。それから、本当に真実の、一貫性のあるやり方で我々の社会を語っているという、そういうプラスの反応もありました。警官がたくさんいるということに関しては、これは本当だと思います。なぜならば、これはエリアスの視点で見ているからです。エリアスが警官を恐れている。だから彼のヴィジョンの中では警官が至るところにいる。我々は警官が怖くないから、いても気付きません。

僕はよく気づくんですよね(笑)。ところで、あえてエデンという場所を設定したのはなぜでしょう。
聖書では、ご存知のように、エデンと言えばパラダイスですね。でも西のパラダイスといえば、英語でもフランス語でも、どこか下品になってしまう。そこで楽園と言う代わりに、エデンという名前にしました。エデンと呼ぶと、楽園であると同時に、またどこか神秘的なところがあります。

映画の終わり、あの場所にしたのはなぜですか?
それはパリのど真ん中だから、パリの中心だから。そして彼にとっては、エッフェル塔は希望です。パリは光の街で、人権の街で、フランス革命の街で、それを象徴するのがエッフェル塔ですね。またパリは芸術の都でもある。世界中のアーティストが集まってくる。その全てを象徴しているのがエッフェル塔です。またあのシーンは、マジックは特に何の役にも立たない。マジックは彼を助けることはできない。そのことを見せるためでもあります。それでも、パリの、光の都いう評判が、彼を助けることができるかもしれないわけです。

あなたの映画を、『Z』から見てきても、問題提起をする以外に、楽しめる映画を作っていますが、あなたの映画にとってのエンターテイメントとはどのようなものでしょう。
エンターテイメントは重要だと思います。私たちはエンターテイメントのために映画館に行きます。ただし、エンターテイメントと言った時、私はギリシア語のプシカホイアという言葉の方が好きです。このプシカホイアという言葉の中には、プシケ、すなわち、魂が入っていて、後ろのアホイアという部分は、学びという意味です。魂に何かを学ばせること、それがエンターテイメントです。映画は元々ポピュラーな芸術です。また社会を語るものでもある。エンターテイメントということで言えば、ギリシアの古典悲劇はエンターテイメントですし、シェイクスピアだってエンターテイメントです。また日本の偉大な監督、黒沢や小津映画、アメリカでも日本でもソ連でも、偉大な作品は全てエンターテイメントでありながら、社会を語っています。

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