OUTSIDE IN TOKYO
The Coen Brothers INTERVIEW

『シリアスマン』は、アメリカ中西部のユダヤ人コミュニティーで育ったコーエン兄弟の子供時代の中でも、<1967年>という特定の時代設定の中で、子供の頃の自分達ではなく、自分達の親の世代をモデルに”小市民的な真面目な男”が人生の坂道を転げ落ちていく悲喜劇を描いたブラックコメディ、完全なフィクションである。”自分達”ではなく、”親の世代”をモデルにしているところが、コーエン兄弟らしいヒネリが効いているのと同時に、本作のテーマ設定としては決定的に重要なところである。

主人公のラリー(マイケル・スタールバーグ)は、ミッドウェスト郊外の住宅地にマイホームを構え、大学で物理学を教える大学教授。それほど威厳がある父親ではないが、息子のバルミツバー(13歳で行うユダヤ教の成人式)を2週間後に控え、大学での終身雇用の承認も間近に迫り、まずまず順当な日々を過していた。ところが、ある日を境に、様々な”問題”が表面化してくる。居候をしていた無気力なラリーの兄は一向に立ち直る気配がなく、いつでもバスルームを占領する叔父にラリーの娘は不満を募らせてゆく。息子は友達とマリファナを吸っているが、そのマリファナ代を支払えず、いつ取り立てにあうかビクビクしている。ラリーはというと、大学では成績の悪い学生からワイロを渡され単位を認めるよう迫られ、家では長年連れ添った妻から突然の別れ話を切り出される。今までは当たり前に見えた堅実な日常生活がみるみる内に崩壊して行く。

映画は、この本編の前に、コーエン兄弟得意の”ホラ話”を冒頭に置いている。100年前のポーランドの小さな村で全てイディッシュ語で演じられる寸劇は「あなたに起こることすべてをあるがままに受け入れなさい」という教訓めいた言葉を残して尻切れとんぼにあっけなく終わる。そこで画面に1967年の文字が浮かびあがり、ラリーの悪夢のような物語が始まるという仕掛け。

つまり、米国に移民として入植する以前から連綿と続いていたユダヤ教の伝統は、米国入植後もユダヤ人コミュニティー内で守られていた。しかし、1967年という<変革の時代>にあって、アメリカ合衆国、のみならず世界中の国々で価値観が大きく揺らいだのと同様、ユダヤ人コミュニティーの伝統的な価値観も大きく揺らいだ。それはその時代を子供として過したコーエン兄弟自身よりも、その親の世代にとって、より大きな動揺をもたらした。自分たちは、子供だったのであり、その変化は既にそこに存在しているわけだから何の衝撃を受けようもなく、その中で育っただけだ、と。そして、その<変革の時代>の新たな価値観とは何かと言えば、それは<自由>という言葉に象徴される一連の社会風俗の変化であり、<1967年のミッドウェスト>的にはそれを象徴するのがジェファーソン・エアプレインの「シュールリアリスティック・ピロー」だった。そんな半分大真面目なコーエン兄弟のホラ話が、”真面目な小市民<シリアスマン>”が転落していく悪夢めいたブラック・コメディの背後に透けて見える。

人々の価値観が大きく揺さぶられた60年代を舞台に、兄弟自らのアイデンティティ<ユダヤ性>を自虐的なブラックコメディに昇華した傑作であると言って良いだろう。日常生活におけるカフカ的悪夢とヒッチ的追いつめられる主人公を仰角で捉えるロジャー・ディーキンスのキャメラと色彩設計も秀逸。全ては”ジョーク”だと言いながらも、”本音”がフィクションの中に必ず透けて見えるのが”映画”の怖いところ。めずらしく自伝的要素を作品の舞台設定に取り込んだ『シリアスマン』について語ったコーエン兄弟のオフィシャル・インタヴューを掲載する。
(上原輝樹)

1. 僕らはユダヤ人コミュニティーで育った、
 僕らがまだ子供だった頃の1967年という時代設定がこの映画にとっては重要だった

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──なぜ『シリアスマン』の舞台を、1967年にしたのでしょうか?
イーサン:その時代が僕らにとって重要だったんだ。僕らが子どもの頃のことでこの映画に出てくる子どもと同じ年なんだよ。なぜ1967年ということに関してだけど、厳密に言えば何が決め手となったかはよくわからない。たぶん、ジェファーソン・エアプレインの歌かもしれない。アルバム「シュールリアリスティック・ピロー」が出たのが1967年の春だった。それが影響したかどうかはわらからないけど、参考にはなった。それに、最初、僕らは第三次中東戦争に関連した作品を作ろうとしていて、それが勃発したのはその年の6月だった。結局、それはあきらめたんだけど。

──この作品の舞台を現代にすることを考えたことはなかったのですか?
ジョエル:いや、ないね。僕らはずっと時代物として考えていたから。正直言って、現代を背景にして、このストーリーっていうのはちょっと想像できないと思うよ。僕らが暮らしていた頃とはあまりにもかけ離れているから。ミッドウェストのユダヤ人コミュニティーについての映画をやりたいっていうことは、僕らがそのなかに息づいていなきゃ駄目だってことだからね。
イーサン:1968年とか1969年とか、1年違うと全体がまったく違ってみえただろう。1年遅くても早くても、全然違うんだよ。
ジョエル:時代という要素は、ある意味ではこの映画を概念化することの一助となったわけだ。この映画のオープニングに民話があるようにね。

『シリアスマン』
原題:A Serious Man

2月26日より ヒューマントラスト渋谷ほか全国順次公開

監督・脚本・プロデューサー:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
エグゼクティブ・プロデューサー:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、ロバート・グラフ
撮影監督:ロジャー・ディーキンス、ASC, BSC
編集:ロデリック・ジェインズ
プロダクション・デザイナー:ジェス・ゴンコール
衣装:メアリー・ゾファー
音楽:カーター・バーウェル
キャスティング:エレン・チェノウェス、レイチェル・テナー
出演:ヴァレリー・ルメルシェ、カド・メラッド、サンドリーヌ・キベルラン、フランソワ=グザヴィエ・ドゥメゾン、ミシェル・デュショソイ、ダニエル・プレヴォー、ミシェル・ガラブリュ、アネモネ、フランソワ・ダミアン、ルイーズ・ブルゴワン、マキシム・ゴダール、ヴァンサン・クロード、シャルル・ヴァイヤン、ヴィクトール・カルル、ベンジャマン・アヴェルティ、ジェルマン・プチ・ダミコ、ダミアン・フェルデル、ヴィルジル・ティラール

2009年/アメリカ/106分/カラー/ドルビーデジタル/ビスタ
配給:フェイス・トゥ・フェイス

© 2009 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

『シリアスマン』
オフィシャルサイト
http://www.ddp-movie.jp/
seriousman/index.html
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