OUTSIDE IN TOKYO
CEDRIC KAHN INTERVIEW

セドリック・カーン『よりよき人生』インタヴュー

2. この映画の中で、子供とは自由への道を示してくれる存在だった

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OIT:監督が昨日のQAで仰ったことが三つありました。自由に生きる、愛する人と過ごす、そして宿命と戦うということでした。それはまさに映画が伝えているメッセージだと思いますが、現実はなかなかそうはいきません。
CK:そうですね、ですから映画では、少しでもより良き人生に向かえるように、というふうに描いてます。もう一つ付け加えると、人々が不幸に思ってしまうのは自分の人生をより良くしたいと思っても、それを物質的な側面から求めてしまう、つまりお金が多ければ幸せだと思ってしまうわけですね、ですから私が今回描きたかったのは、お金が唯一の方法ではない、お金があまりなくても幸せにはなれるということを映画で言いたかった。

OIT:映画自体について伺いたいんですが、事前に脚本とか演出プランをかなり固めてから撮影に挑んだのでしょうか?
CK:確かに事前に脚本はしっかり練ってあったんですけど、子供とのシーンはかなり即興が入りました。脚本さえしっかりして自分の言いたいことがちゃんと入っていれば、あとはそこからかなり自由に、フレキシブルにシーンを変えて撮影をしています。

OIT:子供のキャスティングはどのように決まりましたか?
CK:たまたま、偶然です。子役を見つけるっていうのは、かなり偶然によることが多いのです。シナリオを書いて、こういう子供を探さなきゃいけないっていう時は運がついてないとなかなか見つかりません。今回、子役をキャスティングするにあたって、色々な子供たちを見て来たんですけど、私がたまたま知っている学校の先生をしてる友人が、私のクラスに凄く生き生きしていて、いい顔つきをしていて、個性的な子がいるからと奨められて、結局その子になったんです。

OIT:子役の演出には苦労しませんでしたか?
CK:私は彼をとても気に入っていたし、父親でもあり兄のような存在でしたから、私自身は特に苦労はなかったんですけど、役者達はちょっと苦労していたようですね。彼らは脚本にそって台詞をしっかり覚えて来たのに、子供は自由に即興で演技していたので、それに合わせるのが大変な時もあったようです。子役にはそのように自由に演じてもらってこそ(良さが)活かされるものですから、それで良かったと思っています。なぜなら映画の中で、<子供>とは=<自由>、子供が自由への道を示してくれる存在だったわけですから。

OIT:音楽について聞きたいんですが、音楽はどの段階で決めたのでしょうか?
CK:音楽については、撮影を始める前から結構調べていました、パトリック・ワトソンの曲だけは、シーンの内容すら決まっていない段階で、最後はこの曲で終わりたいと決めていました。シナリオの時点では、ナディア(レイラ・ベクティ)が刑務所から出てくるところを主人公のヤン(ギョーム・カネ)と息子スリマン(スリマーヌ・ケタビ)が待っているというシーンをエンディングにしようと思っていたんですけど、実際は、凍った湖の上で遊んでいるシーンであの音楽を使うことになった。だからシーンは決まってなかったんですけど、最後はあの音楽で終わるということだけは決めていたのです。

OIT:脚本段階では、あの湖を最後のシーンで使うことを決めていたわけではなかったということですね?
CK:当初は、刑務所から出てくるところを、親子が待っているっていう話で終わろうと思っていて、凍った湖で遊ぶエンディングは全く頭になかった。ところが、カナダの刑務所がある街に行ったら、たまたまそこで湖を見つけて、これは是非使いたいと思って使ったんです。だから最初から考えていたわけではなくて、湖を見つけて即興的にあのシーンを考えて撮ってしまった。その湖を見つけた時に、ぱっと子供とスノーモービルに乗ってるシーンが思い浮かんだ、それをカナダのスタッフに伝えたら冗談だろって言われたんですけど、結局あのように撮りました。私はそんな感じで撮影する時に自由に考えて動くのが好きなんです、映画の世界では事前にしっかり練ったことをその通りにやるっていうのが一応基本ですけど、私は自由に撮るのが好きですね。この映画では自由に生きるとか登場人物が自由であるっていうことがすごく重要なので、私もそのように自由に撮らせてもらったわけです。


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