OUTSIDE IN TOKYO
Bruno Dumont Interview

ブリュノ・デュモン『ハデウェイヒ』インタヴュー

3. 映画の賞味期限は、まだ始まったばかりです

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OIT:その説明でとても合点がいきました。片や狂信的に宗教に走る人間が増えている気もします。それはどう見られてますか?
B・D:とても危険なことだと思います。それはまるで同盟を組むようにみんなと一緒の方向に行くという形ですから非常に危険だと思います。ただ一方ではスピリチュアルな部分というのはきっと誰もが求めているもので、必要なことでしょう。ただスピリチュアルなものはやはり宗教ではなく、芸術を通して芸術に捧げるべきものだと私は思っています。宗教の中に自分たちが学ばなければならないのは、芸術に対する神秘であったり、スピリチュアルな生活であったり、そういうものを必要とする人にとっては、やはり守っていかなければならないはずのものですが、現代の映画にはそういったものは見つけることはできないのです。以前はそういった映画がたくさんありました。例えば溝口や小津、そういった人たちの映画はそこから何かスピリチュアルなものを学んだり、影響を受けたり、生きる力となるものがあったと思います。聖なるものがあったのです。

OIT:それもふまえて今僕らがいる状況というのは、宗教の精神性も含めて賞味期限が切れている状態だとお考えでしょうか?
B・D:そうですね。ここで一旦終わらせた方がいいと思います。ただその代わりとなるものを見つけていかなければなりません。宗教を止めてしまって、その代わりとなるものがないと人は迷ってしまう。人間は必ず宗教的なものを求めています。それがスピリチュアルであり、それはやはり美の中に見つけるべきことだと思います。感じることのできるそういう場所、自分の感受性をもてる場所が必要になってくるわけです。私はやはり宗教を止めるというより、教会の存在というのがもう限界にきているんじゃないのかな、止めるべきなんじゃないのかなと思っているのです。

OIT:僕ら(江口、上原)は、森の美しい風景の中で対話しているシーンを見て、ストローブ=ユイレの『あの彼らの出会い』(06)を想起するねと話していたのですが、そういった意識は監督の中にありましたか?
B・D:ストローブ=ユイレ監督はとても尊敬しています。彼(女)らのすごくシンプルな撮り方、しかしながらテーマが非常に深い、そういったところにすごく感銘を受けています。

OIT:そこにあなたが先ほどおっしゃっていた聖なるものを担うような美があるということでしょうか?ストローブ=ユイレが描くような対話があなたの映像を作る時に頭の中にはありましたか?
B・D:『あの彼らの出会い』よりも『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』(68)の方に私はインスピレーションを得ました。

OIT:最後のシーンについて教えてもらえますか?彼女が見ている大工の男の人に対するイメージはやはりキリストと重なるわけですけれども、どうしてそのように作ったのか、ここに込められている意味は?
B・D:彼女がその男性を見る時にキリストを重ねているわけではないんです。もし彼女がそこにキリストのイメージを見たのであれば、それは全く映画としては何の意味ももたなくなってしまって、そこに彼女が見ているのは一人の男性であり、人間であり、そのことで初めてこの映画に意味が出てくるわけです。

OIT:最後に表現として映画を選んでいる理由を教えてください。
B・D:まずこの芸術は非常に複雑な芸術であるということ、そしてすごい力を持っている、映画というのは動きがあり時間の流れがあり、そういった強さを持っている。この映画という芸術は感情の流れを表現できる力を持っている。音楽と同じものだと思っています。そして人間の魂を追求していける力を持っている芸術だと思っています。

OIT:映画の賞味期限はまだ大丈夫だと思っていいですか?
B・D:まだ始まったばかりです。

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