OUTSIDE IN TOKYO
Bruno Dumont Interview

ブリュノ・デュモン『ハデウェイヒ』インタヴュー

2. 狂おしいほどの愛が、時として暴力の入口であったりする

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OIT:その宗教、テロリズムも含めて、現代の私たちのあり方というものを投影しているものですか?
B・D:私は宗教というのは一つの劇場であると思っています。そこで表現されるのは自然を超越したもの、そのことによって私たちの精神状態であったり、私たちの生きる条件であったり、そういったものが見えてくると思います。

OIT:宗教を押し出すことによって、逆に宗教の重要性よりもその人たちの単純なあり方、欲求だったり欲望だったりというところに焦点がいくわけですけど、それは正しい見方ですか?
B・D:その通りです。宗教という劇場を通して人間の愛に対する感情が出てくるわけですね。そういった強い力を持っているものが、今回宗教を全面に出すことで現れてきた。それは宗教を通じて人間的な感情を打ち出して、そのことによって人間らしさ、人間の心とはどういうものか、人間とは本当はこういうことを望んでいるのか、ということを表現したかったのです。この映画の中ではそれにとても私的な部分を与えてメッセージを流しています。この映画の中で何の問題を定義しているかといえば、愛とは何なのか、それを神という劇場の中で語っているわけです。人間というのは、本来満たされることのないまま、人を愛すること、人に愛されること、それはいつまでも満たされることはないのですがそれを求め続けている、そういう愛について語っている映画なのです。

OIT:そこにテロリズムの要素を持ち込もうと考えたのは、宗教の違いだけではなく最初の段階からですか?
B・D:考えていたというより実際に今日よくそういったものを目にするわけです。この映画の中でもそうですが、神を愛するが故にある極限までいくと暴力行為にいきつくということはよくあることです。例えばアフガニスタンであっても中東であってもテロが起きていますけれども、そのきっかけは何だったのかというと、今のように考えられるわけです。宗教を愛する、神を愛する、つまりは狂おしいほどの愛というのは時として暴力の中に入っていく入口であったりする。ただこの愛と暴力というのは全く相反するものですが、そこに共存している、そのパラドックスも表現したかったわけです。人の内面に入っていきそういった感情を映画を通じて表現することによって、最初は純粋な愛だったのにそれが行き着くところまでいくと、どこで暴力に変わっていくのか、そういったところを見せたかったのです。この映画の中でセリーヌという女性は狂おしいほどに神を愛している、しかしながら愛が強ければ強いほど彼女は危ない道へと行ってしまう。最終的にはテロに加担してしまう。まるでテロというのはすぐ隣の家で起こっているような、隣に行けばそういったものがあるかのように簡単にそこに陥ってしまう。この映画の中では、全く対局にあるものだけれども、実はまるで隣にあるかのようにその道に陥ってしまう、そういった問題も摘出していると思っています。ただそれに対する説明というのが全くない。説明できるものではないんです。私はこの善と悪の偶然性というのをこの映画の中で表現したかったのです。宗教というのは善を表すものであるかもしれないが、同時に悪の方向に導くものでもあると思います。それをこの映画を通じて伝えたかったのです。

OIT:僕自身は割と無宗教と言われる状況で育ったのですが、例えばアメリカのアーミッシュの人たちと生活を一緒にしたり、ブラジルのカンドンブレという宗教の人たちと生活をしたこともあって、個人的に気になるテーマではあるんですが、監督自身の宗教的な背景というのはどのようなものでしたか?それが今反映されているわけですか?
B・D:私自身は全く信仰のない人間なんです。ただ自分自身を無信仰であるというふうには考えたくない。私としては宗教に対して、宗教と自分の新しい関係を作り出したいと思っています。私がまずしたことは聖書とシェイクスピアの本を隣り合わせで本棚に並ばせたということです。シェイクスピアの小説と聖書というのは私にとっては一つの小説、私的な小説であると思っているのです。つまり聖書を読み直して歴史を語るのではなく、一つの私的な小説として扱って、そしてその中から意味を見いだすということが必要なのではないかと思います。私はそうしたいと思います。まるで例えばオデッセイの冒険の話を読むように聖書の話を理解する、これはこれからの宗教との新しい関わり方だと思うのです。宗教イコール神を信じるというのは古くさい考えだと私は思います。神を信じるのではなく、私的な小説ということを考えると、聖書の中の神を信じるのではなく、聖書という私的な話の中の登場人物のことを信じる、その信じる気持ちというのが大切になってくるわけです。この映画もまさにそういった信じる気持ちを表したわけです。

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