OUTSIDE IN TOKYO
FILM REVIEW

『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』


-シルエットや影が革命を見ている もう天国への自由の階段はない-
革命の記録が蘇り、人々の心を掻き立てる
上原輝樹

デヴィッド・バーンとスパイク・リーがタッグを組んだ大傑作音楽映画にして、選挙へ行こう!キャンペーン映画でもある『アメリカン・ユートピア』を試写で見たのは、今年3月末のことだったが、それ以来、音楽映画ばかり見ている。ざっと思い出してみるだけでも、アレサ・フランクリンの『アメイジング・グレイス』(2018)、エレクトロ前夜を描いた『ショック・ドゥ・フューチャー』(2019)、ピーター・バラカン氏が監修した音楽映画祭で見た『ジャズ・ロフト』(2015)、『BILLIE ビリー』(2019)、『Our Latin Thing』(1972)、『サウンド・オブ・レボリューション』(2014)、Netflixで見た『マイルス・デイヴィス クールの誕生』(2019)と『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』(2018)等々という感じだが、夏も終わりに近づいた今、ついにこれで打ち止めか?という決定的作品が登場した。『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』(2021)がそれである。

1969年夏の日曜日に6回に亘って、NYハーレムのマウント・モリス・パークで開催された「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」は、スティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、フィフス・ディメンション、レイ・バレット、モンゴ・サンタマリア、メイヴィス・ステイプルズ、マヘリア・ジャクソン、アビー・リンカーン&マックス・ローチ、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ニーナ・シモンといった錚々たる顔ぶれのミュージシャンたちが圧巻のパフォーマンスを繰り広げ、同時期に130キロ離れた場所で開催された「ウッドストック・フェスティバル」にちなんで、“ブラック・ウッドストック”と呼ばれた。しかし、“ブラック・ウッドストック”は、30万人もの人々を動員した記念碑的フェスティバルであったにも拘らず、その存在はいつしか忘れ去られていた。



フェスティバルを撮影したテレビ業界のプロデューサー、ハル・トゥルチンは、莫大な制作費をカバーするために、ステージを西向きに設置し、自然光ですべてのパーフォーマンスを収録することに成功、テレビ放映用に撮影されたビデオテープには、ルー・リードの「I’m waiting for my man」に登場する大きなストロー・ハットを被った売人風情の男から、家族連れや子ども同士の微笑ましい一団まで、思い思いのファッションに身を包んだハーレムの人々のリアルな姿が、破格のミュージシャンたちの演奏とともに収められている。トゥルチンは撮影後、テレビ局に映像を売り込んだが、黒人ミュージシャンばかりが登場するライブ映像は“お金にならない”と言われ、お蔵入りになり、そのままブロンクスの自宅地下に50年間も眠っていたという。ギル・スコット・ヘロンは、“革命がテレビで放送されることはない”(1971)と歌ったが、まさにその通りのことが起きていたのだ。

事態が動いたのは2016年、この映像素材の存在を友人から聞いた製作者ロバート・フィヴォレントがトゥルチンにアプローチし、共同製作者デイヴィッド・ダイナースタイン(FOXサーチライトの創設メンバーの一人でもある著名な映画プロデューサー)と共に映画製作に着手する。トゥルチンは惜しくも2017年8月に他界し、映像が映画として生まれ変わる場に立ち会うことはできなかったが、類稀なるフェスティバルの映像素材は、これ以上の適任者はいないと思われる者の手に託された。

ドラマー、DJ、音楽プロデューサーであり、史上最強のヒップホップ生バンド “ザ・ルーツ”の中心人物、アミール・“クエストラブ”・トンプソンがその人である。クエストラブは、1990年代末からエリカ・バドゥやディアンジェロ、コモンらのアルバム制作に関わり、ジャズ、ヒップホップ、R&Bを融合したネオ・ソウル/オーガニック・ソウルの音楽シーンを牽引、以降活躍の場は留まるところを知らず、グラミー賞授賞式の名物DJ姿を人々の記憶に刻みながら、2021年4月に行われたアカデミー賞授賞式では音楽監督を務めるに至る。とりわけ、BLM(ブラック・ライブズ・マター)運動が広く認知された今、忘れ去られ、隠蔽された映像が、50年間の不条理から映画館のスクリーンに解き放たれるには、なぜこの映像が、それ程の長期間に亘って、地下室の暗がりで眠ることになったのか?その理由を明らかにすることに、この映画の大義があることは誰の目にも明らかだった。



その企ての舵取りを任せるのに、ブラック・ミュージックの新しい潮流の最先端に居ながら、アメリカにおける黒人文化の歴史的背景を熟知したクエストラブほど相応しい人物はいなかっただろう。実際、この作品の監督がクエストラブであることを知る者は、見る前から作品への期待値を最大限に高め、見終わってみれば、この作品が、『私はあなたの二グロではない』(2016/ラウル・ペック)にも匹敵する傑作シネマ・エッセイであると同時に比類なき音楽映画であり、そして何より、1969年当時のハーレムの人々の顔を生き生きと捉えた素晴らしい群像画たり得ているところに新鮮な感動を覚えるに違いない。これが初監督作品となったクエストラブは、現在、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのドキュメンタリー映画に取り組んでいるというから、不均衡な現実世界へのブラック・ミュージックによる反撃は更に続くのである。

類稀なるフェスティバルの様子を捉えた映像素材は、クエストラブならではのDJセンスで編集されており、作品の高揚感を音楽的のみならず、知的にも高めているが、クエストラブは、この映画の半分をコンサートの実況、もう半分をリアルな米国史を語るナラティブで構成することで、前述した“大義”を果たして尚余りある傑作映画にまで引き上げている。フェスティバルのアーカイブ映像には、クエストラブに、そこまでやらなければいけないと思わせる何かが映っていたに違いない。端的に言えば、そこには“革命”が映っていたのである。

1960年代のアメリカといえば、ヴェトナム戦争とドラッグの蔓延による社会的疲弊が頂点に達する中、ジョン・F・ケネディ(1963年)、マルコムX(1965年)、ロバート・ケネディ(1968年)、マーティーン・ルーサー・キング牧師(1968年)といった、人々の支持を集めていたリーダー達が相次いで暗殺される、血と暴力の時代であったことは知られている通りだが、中でもハーレムの人々を苦しめる都市的荒廃に対する対応は焦眉の急を要していた。



本作の中でも言及されているが、このフェスティバルの首謀者であり、ステージではホストも務めているトニー・ローレンスは、この企画をキング牧師暗殺一周忌記念として立案しており、当時、“リベラルな異端児的共和党員”として知られたニューヨーク市長ジョン・リンゼイが立案の段階から全面的に協力していた。つまり、「ブラック・ウッドストック」は、ハーレムに渦巻く怒りを鎮静化する政治的意図もあって実現した公的フェスティバルでもあったということだ。そこが、有名ロック・ミュージシャンが次から次へ出演が決まっていったことから、自然発生的に観客数が増えていき、制御不能と化した「ウッドストック」とは大きく違うところだ。

事実、同時期に「ウッドストック」に出演していたジミ・ヘンドリックスは、「ブラック・ウッドストック」にも出演すべく運営側にアプローチしているが、運営側によって出演を断られている。その理由は、関係者らの証言によると主に2つの説がある。一つは、ヘンドリックスは“過激過ぎる”ので、聴衆を刺激することを運営側が恐れたのではないかというものだが、後述するニーナ・シモンのパフォーマンスの“過激さ”を考えると、この説の信憑性は低いともいわれている。もう一つは、ヘンドリックスの演奏が単純に“ソウル・ミュージック”を標榜するフェスティバルにはそぐわない、つまり、音楽性の違いが、その理由だというものだ。「ジミヘンはなぜブラックウッドストックで演奏しなかったのか?」という記事では、後者の可能性が高いと結論づけているのだが、公的なイベントであったことを考えると前者の可能性も否定しきれないような気もしてくる。



ジミ・ヘンドリックスが願っても叶わなかった“両ウッドストック”への出演を唯一実現したのが、スライ&ザ・ファミリー・ストーンだった。人種間の偏見や、職業や外見の違いを気にするなんて馬鹿馬鹿しい、一人一人違う皆が一緒に生きていくんだ、そういう僕だってただの普通の人間だと歌う、不穏な時代だからこそ必要とされていた明朗なメッセージを伝えるポップ・ソング「Everyday People」は、全米No.1ヒットを記録、スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、“血と暴力の時代”にあってラブ&ピースと人種融合の理想に目覚めた人々を勇気づけた。(もちろん、ドラッグ禍はスライをも蝕んでおり、それについては、クエストラブが着手しているドキュメンタリー映画でも触れられるはずだろう。)

“ブラック・ウッドストック”における彼らのステージは、まさにその当時の彼らの勢いを捉えた高揚感溢れるものだ。ほとんどのミュージシャンが正装でパフォーマンスをする中、ファンキーなストリート・ファッションに身を包み、白人ドラマーが活躍し、黒人女性シンシア・ロビンソンがトランペット・ソロを決める、人種と性別の垣根を越えた混合編成で演奏する彼らのステージは一際異彩を放っている。スライは、黒人ミュージシャンでスタジアム・ライブを行った先駆者だったが、スライからスタジアム興行がどれほど金になるかを聞いて驚いたマイルス・デイヴィスは、自らもスタジアムでライブを行うようになる。『マイルス・デイヴィス クールの誕生』(2019/スタンリー・ネルソン)には、あまりに稼ぎが良いので、“泥棒になった気分だ”と語るマイルスの肉声も残されている。



スライは、人種や性別の違いを超えて“ハイになる”ことを体現してみせたが、人種の融合という点で言えば、プエルトリコにルーツを持ち、ニューヨークで生まれ育った“ニューヨリカン”であるレイ・バレットやキューバ出身のモンゴ・サンタマリア、自国の人種隔離政策(アパルトヘイト)と闘った闘志にして、南アフリカン・ジャズの父と呼ばれたヒュー・マセケラといったそれぞれの音楽シーンで中核的に活動している重要なミュージシャンたちが人種と狭義の音楽ジャンルの壁を超えて次から次へと登場する様には興奮を禁じ得ない。

中でもレイ・バレットは、彼が中心メンバーの一人として活躍していたファニア・オールスターズの伝説的な2つのライブ(1968年のレッド・ガーターと1971年のナイトクラブ・チーター)の丁度、間に行われたライブ出演であり、俺の血には、黒人、白人、プエルトリコ人、インド人の血が入っている!カオスだ!と叫びながら演奏する様が圧巻、そのレイ・バレットのクラブ・チーターでの熱演をたっぷりフィーチャーしているサルサ映画の傑作『Our Latin Thing』(レオン・ギャスト/1972)には、ファニア・オールスターズの演奏と共に、スパニッシュ・ハーレムの路上で演奏するミュージシャンと、いなせに踊りまくる地元の人々の姿が活写されており、本作『サマー・オブ・ラブ』同様、地域に密着し、様々なリズムが融合した音楽のリアルな息吹が見るものを虜にする。

クエストラブの言葉によると、現在のBLM運動においても同じ動向は見られるとのことだが、ハーレムのブラック・コミュニティとヒスパニック系コミュニティは歴史的に連帯関係にあり、公園に配備された“警察の暴力”から人々を守るべく、フェスティバルの警備にあたった「ブラックパンサー」は、このフェスティバルが始まる1年前には、スパニッシュ・ハーレムで活動していたプエルトリコ出身者で構成された組織「ヤングローズ」と同盟関係を結んでいる。映画には、「ヤングローズ」の創設メンバーの一人であると同時に、「ブラックパンサー」のメンバーでもあり、性差別撤廃をラディカルに訴え続けた活動家、編集者、教授として知られるデニース・オリヴァー・ペレスの若き日のアフロヘアのショットも登場するので、是非見逃さないでほしい。

デニース・オリヴァー・ペレスのアフロヘアがまさしくそうであるように、1950年代〜60年代に発展した公民権運動に端を発し、マルコムXやブラックパンサーが標榜した”Black is beautiful”の主張は、アメリカの黒人たち、とりわけ、若い黒人たちの意識を革命的に変革し、そのことはアフリカのルーツを強く意識した色彩豊かなファッションやアフロヘアへと特権的に象徴されていったが、本作『サマー・オブ・ソウル』は、その時代の興奮を余すことなく捉え、本当の“革命”が起きていたことを現在に伝えている。そして、”Black is beautiful”というメッセージは、ニーナ・シモンによって、” To Be Young, Gifted and Black”(若く、才能にめぐまれ、黒人であること)へと変奏され、“ブラック・ウッドストック”のステージで初披露されることになる。



ライブ会場で怪人的トランスフォーメーションを見せることで知られる、2メートル超えのロック・ミュージシャン、ニック・ケイブが、『ニック・ケイヴ 20,000デイズ・オン・アース』(2014/イアン・フォーサイス&ジェーン・ポラード)で自ら語っていることだが、彼が今まで数多のミュージシャンたちと様々のフェスで共演してきた中で、“最もビビった”のがニーナ・シモンだったという。それは、ニーナの晩年のことだった。ドラッグ禍で体調を崩していたニーナは、歩くのもやっという状態であるにも拘らず、周囲にいたスタッフにドラッグと大量のステーキを注文し、楽屋で挨拶をしたケイブに対しては“敬称”をつけて呼ぶように要求、もの凄い表情で睨みを効かされ、すっかり縮み上がってしまったという。そして、ステージに上がれば凜とした佇まいで聴衆を眼下に見据え、歌と演奏を始め、神懸かったパフォーマンスを見せる、あの時ばかりは本当に度肝を抜かれた!とケイブは語っている。

そのニーナ・シモンの若き日のパフォーマンス(といっても、作中で称されている通り、既に“アフリカの女王”の威厳を見せている)がまた圧巻なのである。ニーナ・シモンは、マウント・モリス・パークを満杯にした“ブラック・ウッドストック”の黒い聴衆に繰り返しこう呼びかけた。

「もし必要ならば、“殺す”準備は出来ている?(Are you ready to kill, if necessary?)」

ギル・スコット・ヘロンの言葉通り、テレビでは放送されることのなかった“革命”が、今、50年の時を経て、映画館のスクリーンで息を吹き返そうとしている。








『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』
原題:Summer of Soul (...Or, When the Revolution Could Not Be Televised)

8月27日より公開

監督:アミール・“クエストラブ”・トンプソン
製作:ジョセフ・パテル、ロバート・フィヴォレント、デヴィッド・ダイナースタイン
撮影:ショーン・ピーターズ
編集:ジョシュア・L・ピアソン
出演:スティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、ザ・フィフス・ディメンション、ステイプル・シンガーズ、マヘリア・ジャクソン、ハービー・マン、デヴィッド・ラフィン、グラディス・ナイト・アンド・ザ・ピップス、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン、モンゴ・サンタマリア、ソニー・シャーロック、アビー・リンカーン、マックス・ローチ、ヒュー・マセケラ、ニーナ・シモンほか

(c)2021 20th Century Studios. All rights reserved.

2021年/アメリカ/118分/カラー
配給:ディズニー

『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』
オフィシャルサイト
https://searchlightpictures.jp/
movie/summerofsoul.html