OUTSIDE IN TOKYO
FILM REVIEW

『まずは踊れ』ジェームズ・マーシュ


『まずは踊れ』ジェームズ・マーシュ

闇の中におまえといっしょにいる他人について作り話をするおまえについての作り話は面白いと他人にいいたい我々の欲望
山本桜子

自分の話であれ他人の話であれ、ある場面におけるある人の行動を語った途端、なんであれ「いい話」だ。語る場が激増したから世界はいい話で溢れているが我々はまだ欲しい。別件、有名人の裏話を享受したい、という覗き見的な欲望がある。気難しそうな有名人ならなおさらギャップが美味しい。作家サミュエル・ベケットの伝記映画とされ〈アイルランド映画祭2024〉で日本初公開されたジェームズ・マーシュ監督『まずは踊れ』(2023)は難解そうな題材を使いつつ我々の欲望に寄り添う。

気難しそうな有名人ベケットの裏話はベケット本人の回想という設定で語られるので、どんなに悲惨な内容でも即いい話だ。回想にあたっては当然、回想する語り手ベケット(ガブリエル・バーン)と回想される登場人物ベケット(ガブリエル・バーン/フェイオン・オシェイ)が存在する。ところが驚異的な映画の技術により、この映画では語り手ベケットは二人も存在する(ともにガブリエル・バーン)。ベケットの伝記映画に興味を持つような文学的な観客は「信用できない語り手」問題に当然親しんでいるはずで、信用できない語り手が二人登場するので信用できなさは二倍になるはずが、目の前のバーン(ズ)がとても生真面目そうで不器用そうで誠実にみえるうえ、彼(ら)が過去を検証しつつ真剣に話し合うのを見て、すっかり魅了され、彼(ら)が語る過去の物語を十分にデモクラティックな手続きを経たものとして信用できるようになる。

冒頭、ノーベル賞のプレゼンターから賞金をひったくったベケットがよじ登るステージの壁の裏には廃墟のような空間が広がっている。語り手バーン(ズ)はおおむねこの空間に現れる。この空間で彼(ら)は過去を検証し、自分(ら)が「一番許してほしい相手」に渡したいから、この賞金を譲るべき人物を決めるために話し合う。スターリン、ヒトラー、ムッソリーニ、チャーチルが煉獄で話し合うアレクサンドル・ソクーロフ監督『独裁者たちのとき』(2022)では記録映像から増殖させたスターリンズ、ヒトラーズ、ムッソリーニズ、チャーチルズが似たような廃墟的な空間にそれぞれ複数体登場するが、その異様さは『まずは踊れ』とは段違いだった。およそ記録映像は同一人物は一名につき一体しか存在しない世界の記録映像だということを我々は経験上知っているから、我々はスターリンズに驚いた。



一方『まずは踊れ』では、バーンズ=べケッツが複数人現れても我々はそれほど驚かず、むしろ安心して、むしろ鷹揚に彼らを見守る。それは、自問自答するようなベケットの文体に我々が慣れているから、ベケットはこのようなべケッツを予告しているからだし、仮にベケットの文体に慣れていなくても、我々はノーベル賞の授賞式から賞金だけひったくって逃げ出す正装の初老の気難しそうな有名作家という設定の整った顔の人物に好意を抱く程度に皆いい人だから、彼の内面や「恥ずかしい」過去を知って同情できる。

「空虚な言葉を重ねるたび、おまえは最後の言葉に近づいていく。いっしょに作り話も。おまえといっしょに闇の中にいる他人についての作り話。闇の中におまえといっしょにいる他人について作り話をするおまえについての作り話。そういうわけで、要するに、徒労の方がましで、おまえはあいかわらず。ただ一人」という宇野邦一訳のベケット『伴侶』のラスト。我々はいい人だから、そのような人物に対しては、あわよくば「おまえはあいかわらず。ただ一人」ではないですよ、と言ってあげたくなる。

『まずは踊れ』はこの、いい人の欲望に的確に寄り添う。映画の終盤「終わり」と題された章では、それまでの白黒の回想シーンから変わって、晩年のベケットと妻シュザンヌ(サンドリーヌ・ボネール)、愛人バーバラ(マキシン・ピーク)がカラーで動き出し、ベケットを労わるように動き、話す。「あなたと共同作業がしたかった」とベケットに言うバーバラ。「すべてはあなたのおかげ」と言い合うベケットとシュザンヌ。彼らを見ながら我々は「おまえはあいかわらず。ただ一人」ではなかったかもよ、と言ってくれるものとして映画に賛同でき、あるいは「闇の中におまえといっしょにいる他人について作り話をするおまえについての作り話」は面白かったよ、というような思いを抱いて席を立つことができる。

闇の中におまえといっしょにいる他人について作り話をするおまえについての作り話は面白い、と他人にいいたい我々の欲望は面白いのか。この欲望がいい話を増殖させる。我々をいい人にしてくれる。これを汲み取り、しっかり寄り添い、映画がある。だからこの欲望は生産的だ。だから面白い、といいたい。が、そんなわけあるか、というべきだろう。我々の欲望を大いに汲み取った、数年前バーンが出演したアリ・アスター監督『ヘレディタリー/継承』(2018)がある。そこでは一少年の家族の中で母、妹、母の死んだ母らはある宗教的な力を宿しており、その力に支配された一家は最終的にある宗教に吸収され、彼女らの中で父=バーンは一切「闘」わないまま妻に殺される。同監督『ミッドサマー』(2019)とか『ボーは恐れている』(2023)と同様、「母怖い」「女怖い」「父弱い」「男弱い」というわかりのよい感情を「宗教は怖い」と笑う現在メジャーな認識に誘導し、その陰に有事の際は犬笛の号令に変化する魔女狩りの目配せを忍ばせてよき市民、いい人たる観客に最大限媚びた作品であり、遠い昔よき市民、いい人の群れに火炙りにされたというこの私の存在しない記憶を最大限呼び起こし、いい人への無駄な憎しみを最大限掻き立てるものであった。『まずは踊れ』ではベケット=バーンは父が残した言葉「闘え」(と三回唱える)を折にふれ呟きつつ周りの女性を恐れているように描かれ、ベケットと彼自身を含む男性の関係は彼女らの力に対抗するように描かれる。『まずは踊れ』のバーン(ズ)は『ヘレディタリー/継承』のバーンより二倍はえらい。バーンが二体いるからより楽しい。映画の中に登場するアイルランドの描かれ方に興味があるのでこの映画を見られて嬉しい。アイルランド映画祭を心待ちにしている。それでもこの欲望は面白くない、と言わねばならない。現在を席巻し現在を作っている欲望にこの上なにかが寄り添うことを喜んでいいわけはない。






『まずは踊れ』
英題:Dance First

監督:ジェームズ・マーシュ
出演:ガブリエル・バーン、フィン・オシェイ、サンドリーヌ・ボネール

Courtesy of Film Constellation

2023年/アメリカ/英語、フランス語/100分/モノクロ、カラー

「アイルランド映画祭2024」
オフィシャルサイト
https://irishfilmfes.jp