OUTSIDE IN TOKYO
Yang Yonghi Interview

ヤン・ヨンヒ『愛しきソナ』インタヴュー

4. 昔の東欧とか旧ソ連とか、中国の文革の時代を生き抜いた人の映画を見ると分りますよね。
 水面下では、蓋を開けるとみんな各々がしなやかに強かに生きている

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OIT:叔母との話やそういう出会いによって、彼女自身が大人になりつつある時期に相当な影響がありましたよね?
YY:あると思います。ソナだけじゃなく、甥っ子たちもそうですけど、この“叔母ちゃん”は親戚でもあり、大好きな身内の“叔母ちゃん”でもあるけど、ある意味、情報の塊ですから。それはもう“叔母ちゃん”の着る服から話す事から持ってくるカメラからプレゼントから全部そうだと思います。あと、日本の話を聞きたがったり、アメリカの話を聞きたがったり、毎晩、誰が“叔母ちゃん”の隣で寝るか喧嘩するんですね、チビ達が。夜通し話を聞きたいわけです。インターネットは使えないけど、ネットのことは知っていて、具体的に何のためにどんな時に使うのかとか、地球の裏側の図書館に本があるかないかもすぐ分かるし、買い物も出来るし、変なビデオも見られるし、お見合いもするし、と話すとポカーンとしてますけど、なるほどなって。でもそういうことってこんな叔母がいなくても、結構平壌の若い子たちは、実際に使えなくても知っていますから。情報は何となく韓国や中国から今も物としてすごく入ってくるし、人も入ってきて、すると情報も入ってくるので。みんな知らんぷりしてるだけです。知ってると言うと全て御法度になってしまうので、何も言わないけど小さい声で話してみると、なんだ、結構知ってるじゃないっていうのはよくありました。知らんぷりしてるのも辛いと思いますけどね。その話を共有する人がいないわけだから、黙っているのは苦しいと思います。極端に言えば、家族でさえどこまで信用していいのかってくらいの通報制度の中で生きていますから。そういう意味では子供たちはすごく成熟しています。私たちが持っている物や情報などなくても、逆に私たちが知らないような厳しい環境で生きているので、ソナといると自分がすごく子供に思える。だって(私たちは)自分のやりたいことしか考えていないじゃないですか。撮りたいとか、生きたいとか。でも彼らは自分の欲求を押さえて、いつも状況を見て判断する術が小さい頃から身に付いているんです。

OIT:彼女が映画の時の年齢でも、子供の感覚でも、上から与えられたものだけが正しいものではないんだという意識はあったんですか?
YY:それはもちろん個人個人で違うと思いますけど、正しい、正しくないというより、世の中に色々あるというのは知ってますよね。やっぱり学校で習う、「世界に羨ましいものなど一つもない」とか、そういうタイトルの歌があったり、「世界で一番美しい国、我が祖国」とかそういう歌は歌いますし、腐って病んだ資本主義というのも習います。なのに、腐って病んだ資本主義の国から可愛いキティちゃんのものとか、自分が大好きで実際にありがたく、便利なものがどんどんとお婆ちゃんから送られてくるし、腐った資本主義の国からたまにやってくるお婆ちゃんといると超楽しいってところでは、色々分けているんでしょうね。混乱しないように自分でコントロールするわけですね。混乱すると生きていけないから。とても強い精神力が養われると思います。昔の東欧とか旧ソ連とか、そういう中で中国のまだ社会主義と一応言ってますけど、文革の時代を生き抜いた人の映画を見ると分りますよね。まだ北朝鮮はその辺りで時計が止まっているわけですが、水面下では、蓋を開けるとみんな各々がしなやかに強かに生きている感じです。そういうのはまだまだ見せられないんですけどね。特にドキュメンタリーでは。それでもちょっと想像してもらうきっかけになればいいなと。次のフィクションの作品もそうですが、今後、家族の話だけをやるというわけじゃなくて、ストーリーテラーとして、これを仕事にしようと思った以上は他の人がしない話をしたいので。たまたまこういう状況に自分が置かれて生きてきましたから、自分がゲットした話はたくさん発していきたいと思います。正直、フィクションだと実際に生きている家族の顔は出ないので、もう少し精神的に楽になると思ってたんです。ドキュメンタリーだからこんなにしんどいんだと。10年以上もお酒ばかり飲んで家族の心配をして泣きながら、本当にお酒が強くなったんですけどね。涙もろくなったし、周りの友達は10年間、この酔っぱらいをなぐさめるのに苦労してきたのに(笑)。ところが最近は自己セラピーになったのか、この2本を作ってお酒の量が減りました。でも改めてフィクションのシナリオを書き始めると、やっぱりどんなふうにも作れますからね。役者に指定できるわけですから。もちろん誰が見ても、ヤン・ヨンヒ自身の病んだ経験に基づいているのはばればれなんですけど、どこかでこれは作り話だという条件で作れるので。

OIT:それは楽なことですか?
YY:いえ、もっとしんどいです(笑)。もっと核心をついていないとやっぱり物語にならないというか、映画に出来ないというか。もっといい表現はないか、どうしたらもっとリアルであるか、真実味があるかなど工夫すればするほど、どこまで言っていいんだろうって(悩むので)。徐々にやっていくと思うのですが、近々に作るものは日本の役者だけでやるんですけど、韓国の取材でも、今後は合作でやりたいと言ってきました。韓国の俳優も絶対必要になるし、よろしくお願いしますって言いまくってたんですけどね(笑)。

OIT:在日とかに拘らず?
YY:拘らないです。言葉も、出来る出来ないは大事だと思いますが、在日でも、朝鮮学校を出ただけの人はみんな下手ですから。日本人でも韓国に留学してすごく上手い人もたくさんいるので、友人の韓国人監督が韓国で短編を撮る時、日本人と在日で主役のオーディションをしたんですって。そうしたらやっぱり日本の留学生がすごく多くてペラペラに近い韓国語を話すし、すぐに集まったって言うんです。演技力と言葉が出来る出来ないとかより、後はイメージで決めるので、在日だから表現がもっと出来るだろうとか、あまりその辺は拘らないですね。韓国のネイティブの雰囲気とか、本当にネイティブな発音もそうだし、逆に韓国の人に在日の役は無理だと思うんです。「ありがとうごじゃいます」とか言ってしまうので。そういうのはどうしても引っかかるので。聞き流せないんです。その辺の拘りはあるので。北朝鮮の人の役も、あの北朝鮮訛りはやはり日本人や在日には無理ですし、韓国のネイティブの人に練習してもらってやるしかない。

OIT:なかなか真似できないものですか?
YY:はい。青森弁みたいに。そんな感じでやっていこうと思ってます。まあ、こう言いながらも自分を追い込んでるんですけど(笑)。

OIT:ところで、ソナちゃんに、どうしてもカメラが回っていないところで伝えたいことって出てくるじゃないですか、本当はこうなんだよという欲求が。絶対、彼女にこれだけは教えたいとか。2人だけの時は特に。でもその気持ちが次のフィクション映画に流れ込んでくることはありますか?それとも、もっと自分寄りの物語ですか?
YY:そうですね。次の作品はソナとは別と考えています。ソナに本当に伝えたいことは、今のソナに会うとまた大きくなって、大学生になっているので、また違う話が出来るんでしょうけどね。でも最後に会った時はまだ中学生くらいだったので、カメラを置いて、本当にカメラを切って、今はこうだけどあなたが大人になってバリバリ働いて結婚して家庭を築いてっていう時になればおそらく時代は変わっているから、その時を思い描いて自分を準備しときなさい、みたいなことは言いますね。韓国の人とも、日本人ともどんどん交わりながら生きていく時代が来るだろうから、そういう時に生き残れる人間であってほしい。それは人間性であったり感性であったり語学であったり価値観であったり。

OIT:手紙の英語もちゃんとしてましたね。
YY:がんばってますね。叔母ちゃんと一緒に色んな国に行きたいとか言ってましたけど。

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