OUTSIDE IN TOKYO
Tomas Alfredson Interview

ヴァンパイア映画?_そう聞いた時、またかという印象は否めなかった。いくら話題になるものでも、自分が見たい映画であった試しがなかった。だが生気のない少年の冷たそうな皮膚に、北欧の薄い背景を目にして、仄かに期待が膨らんだ。そんな期待通り、引き算の美学を体現する『ぼくのエリ 200歳の少女』は、同級生に虐められる12歳の少年オスカーが、同じ年頃の少女エリに出会い、淡い恋心を抱くという、誰もが持つ記憶とリンクしている。そんな少女が表れた頃から、猟奇的な殺人が世間を騒がせ始める。オスカーが憧れ始めた少女は、血を食らい、200年生きてきたヴァンパイアだったのだ。だがそんな事実も、会話からわずかに示唆されるだけ。観客は想像しながら、行間を埋めていくことになる。そんな監督は長年コメディーに携わっていた経歴を持つが、ベストセラーを生み出した原作者のヨン・アルヴィデ・リンドクヴィストと気が合い、作家本人を脚本家として、映画化に動き始めた。その後、映画は世界中から注目を集め、ハリウッドのリメイクも決まっているという。そんな中、もう既に新作を準備中だという監督に話を聞くことができた。

1. 僕らは二面的な素養を持つものに惹かれる傾向がある

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):原作者のヨン・アルヴィデ・リンドクヴィストと会った時の最初の反応を覚えていますか?彼は多くの監督たちの中から、なぜあなたを選んだのだと思いますか?そしてあなたもなぜこの物語を選んだのですか?
トーマス・アルフレッドソン (以降TA):彼と初めて会った時のことははっきりと覚えている。僕の記憶では、ヨンはすぐにソウルメイトのように感じられたんだ。それはとても重要なことだ。その後2年も一緒に仕事をすることを考えると。根本的に互いを理解し合うことが。全てにおいて同意しなければならないわけではない。ただ、基本的な理解が必要だということだ。僕はこの小説に対してもそう感じたんだと思う。僕はそれを信用し、読んでいる間、作家を信じていた。それは100%信憑性がある。ドキュメンタリーでないにも関わらず。

OIT:実際にどんなことを話し合ったのでしょう?彼がさらに書いた脚本からどう変更を加えていったのですか?
TA:小説と映画の一番大きな違いは、本では、"Håkan"というキャラクターは小児性愛者を公言している。僕らは、小児性愛者をスクリーンで見せるには、テーマとして重すぎると考えた。それにラブ・ストーリーを引き立てるのに問題になりすぎると。

OIT: 映画の2人の主人公を選ぶ時の身体的な条件はどのようなものでしたか?
TA:あらゆる意味で、互いを映す鏡のような存在でなければいけないと思った。つまり、互いの反対のイメージになることで、同じ硬貨の両面を表すような印象を与える存在だ。

OIT:この物語の両性具有性をどう描こう考えていましたか?
TA:それは、二面的な意味を持つもの全てに対してそのテーマを解釈していくことができるでしょ?僕らは二面的な素養を持つものに惹かれる傾向がある。白と黒という対極性で位置づけることほど退屈なことはない。よい対極性は、薄緑から濃紅だ。映画の中の全てのテーマに、とても曖昧な対極性が与えられている。夜のとても淡い光、ロマンチックな音楽、一番大きな脅威が愛である、エリのキャラクター、“大きな”静けさ、等々。

『ぼくのエリ 200歳の少女』
原題:LAT DEN RATTE KOMMA IN

7月10日(土)銀座テアトルシネマ他全国順次公開

監督:トーマス・アルフレッドソン
原作・脚本:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
製作:ヨン・ノードリング、カール・モリンデル
撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ
編集:ディーノ・ヨンサーテル、ーマス・アルフレッドソン
美術:エヴァ・ノレーン
衣装・ヘアメイク:マリア・ストリード
作曲:ヨハン・セーデルクヴィスト
出演:カーレ・ヘーデブラント、リーナ・レアンデション、ペール・ラグナル

2008年/スウェーデン/カラー/スコープサイズ/SRD/DTS
配給:ショウゲート

©EFTI_Hoyte van Hoytema

『ぼくのエリ 200歳の少女』
オフィシャルサイト
http://www.bokueli.com/
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