OUTSIDE IN TOKYO
Todd Haynes INTERVIEW

トッド・ヘインズ『ワンダーストラック』インタヴュー

4. 人間は、何か問題があったとしても、自分の目と手を使うことによって解決することが出来る

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Q:この映画を見ていると、とても優しい気分になるのと同時に、子どもたちが街を歩き回って、色々と発見をしているところを見て、自分が生きているのは本当に小さい世界だなっていうことを感じたんでけど、その小さい世界を大切にすることが大事だなと思ったんです。そういう映画っていうのは最近では珍しくて、特にハリウッドでは、破壊や殺人や戦いばかりが描かれることが多いと思います。そういう状況の中で監督が映画を作って、世の中に投げかけたい問い掛けとはどういうものでしょうか?
トッド・ヘインズ:まさにその通りなんだ。僕が惹かれたテーマのひとつというのは、この作品には障害者の子どもたちが出てくるわけだけれども、そういう障害を持ったことによって、より感性が強くなり、やりたいと思うことがあれば、その思いはより強くなり、二人の子どもは旅に出ることになる。その旅は自己発見の旅でもある。それぞれ抱えている自分についてのミステリーを解決していく、自分が誰であるのか、自分の歴史と向き合うという側面がある。歴史ということに関して言うと、自分に関する歴史という話があり、さらに、彼らを誘い、歴史が保たれている場所“博物館”が抱えている歴史がある。都市というものもまた、歴史を保ち続けている場所で、そこに紛れ込んでいく、そうしていくことで、二人は何度も自分を取り巻いている歴史と触れ合って、想い出し、感じとる、そういう物語なんだと思う。僕にとって凄く重要だと思ったのは、ベンとローズの二人が、この年齢にして凄くクリエイティブであることにとても興味を持っていること、それを表現として見せてくれていることなんだ。ベンは、既に“自然史博物館にある棚”のような棚を自分で部屋で作っていて、全ての石ころとか木とか、そういったものの名前まで調べたがるタイプの子どもだ。ローズは、段ボールとか新聞とか切り抜きとかを使って、自分で物作りをしている。二人とも自分の手をよく使っているんだよね。もしかしたら、観客の方に伝えたいことのひとつとして、全ての人間は、何か問題があったとしても、自分の目と手を使うことによって解決することが出来るんだということを感じとってほしいということがあるかもしれない。その究極のものとして手話がある。いかに“手”というものがコミュニケーションに大きな役割を果たしているのか、ということを語っている物語でもある。ベンが最後に手話を学び始めていくというところも、とても美しいと思っているよ。

Q:監督もあの二人のような子どもでしたか?
トッド・ヘインズ:ああ、完全にそういうタイプだったね。もの凄く執拗に手を使って物作りをする子どもだったよ。実は一番最初に見た映画が3歳の時に見た『メアリー・ポピンズ』(64)だったんだけど、僕はあまりのことに、凄くびっくりしたんだ。その経験に対する自分の反応がもの凄いものだったんだよ。僕は、『メアリー・ポピンズ』の全てを再現しようとして、歌を唄い、お母さんにメアリー・ポピンズの格好をしてもらって、メアリー・ポピンズごっこをした、完全に取り憑かれてしまったんだ。子どもって、一回見ただけでも、それを自分の中に溜め込んで、記憶として残しておくことが出来るんだよね。今はデジタルの時代だから何度でも繰り返して見ることが出来るけれども、そんなことが出来なかった時代でも、たった一回見ただけで、自分の中に全てを溜め込むことが出来たんだ。本当に子どもっていうのは、速いスピードで色々なことを吸収するもので、そうした結果が、自分をクリエイティブな人間にしてくれたと思ってる。次にハマったのが7歳の時に見た『ロミオとジュリエット』(68)だけど、お陰で初めて手掛けた映画は、9歳の時の『ロミオとジュリエット』で、全ての役を自分で演じようとして、衣装は自分でタオルで作って、切り返しでロミオとジュリエットの両方を演じた(笑)。演技は上手く行ったんだけど、それを二重露出で繋げようとして、技術的な問題が生じて上手くいかなった(笑)。その後、12歳くらいの時、丁度『ワンダーストラック』の子どもたちと同じ位の年齢に、『奇跡の人』(62)を見て凄くハマったんだ。ヘレン・ケラーっていうのは、凄く子どもたちが惹かれるところのあるキャラクターであり、物語でもあると思うんだけど、人生を生きること、あるいはその意味を、彼女を通して経験する。耳も聴こえない、言葉もわからないという状況の中から、言葉とは何かということを知り、彼女は人道主義的にヒロイックな、皆のお手本となるような人物になっていく、そこに皆が憧れるんじゃないかなと思うんだけど、自分も同じで、映画はヘレン・ケラーの人生の冒頭の部分を描いたものだったけれども、究極的には言語、そして、言語の持つ意味を描いた映画だったと思う。その後、僕が小学校6年生の時に「奇跡の人」の劇を演じることがあったんだけど、残念ながら、ちょっと意地悪なお父さん役だったね(笑)。



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