OUTSIDE IN TOKYO
Shin Seok-ho INTERVIEW

『この世知辛い21世紀において、ホン・サンスだけが成し得た"祝祭的生産性の響宴"についての考察』というレビューを私が書いたのは、『夜の浜辺でひとり』『それから』『クレアのカメラ』という三作品が公開された“祝祭的生産性の饗宴”の年、2017年の翌年、2018年のことだった。30年間に30本以上の多作で知られるホン・サンスをもってしても、一年間に三作品の公開に漕ぎ着けたのはこの時をおいて他になく、それから約7年が経過した今思い返してみても、中々適切なタイミングで書けた文章だったのではないかと思う。

興味深いのは、元々コンパクトな製作体制で映画を撮ってきたホン・サンスが、この“祝祭的生産性の饗宴”の三作品を撮った翌2018年に『草の葉』『川沿いのホテル』という二つの傑作を連続して撮り上げた後、2020年の『逃げた女』以降、脚本、監督に加えて撮影・編集・音楽(音楽に関しては以前にも自分で作ることがあったが)をホン・サンス自らが担う、さらにミニマムな製作体制で映画を撮り始めたことだ。今回、「月刊ホン・サンス」として上映される『水の中で』(2023)、『私たちの一日』(2023)、『旅人の必需品』(2024)、『小川のほとりで』(2024)、『自然は君に何を語るのか』(2025)の5作品もその延長線上にある。

ホン・サンスは経済合理性を突き詰めた映画制作体制を敷いて、自らの生活圏に存在する人物(映画監督や俳優といった映画人、詩人や小説家といった文人、画家や建築家、教師、学生、旅行者、、、)を登場人物として、彼/彼女らの日常生活を繰り返し描く。自らの勝手知ったる人々を題材とし、一人CEOのように制作プロセスの多くを自らが担うことで、ホン・サンスは映画ナラティブの“語り方”において実験を繰り返し、映画を発明し続けている。しばしば彼がジャン=リュック・ゴダールとも比較して語られる所以である。

“全編ピンボケ映画”として、2023年のベルリン国際映画祭で驚きの声で迎えられた『水の中で』も、そんなホン・サンス監督の実験精神が如何なく発揮された作品だ。『水の中で』は、確かにシン・ソクホ氏がインタヴュー中に語ってくれたように、「視覚を排除しようと努力した」作品であるのかもしれない。少なくとも、かつてゴダールが“ソニマージュ(SON+IMAGE)”の実践において、音と映像は完全に対等であるとした時のバランスよりもさらに映像の比重を下げていることは間違いない。もはや、ホン・サンスが歩んでいるのは、“ショット”の彼方ともいうべき領域である。

『水の中で』の次の作品『私たちの一日』も“全編ピンボケ映画”でこそないものの、この作品もまた、映画史を彩った、人々の記憶に残る “名ショット”を想起させるような場面はひとつもない、“ショット”の彼方へと歩を進めていく作品である。それでもなおホン・サンスの映画が見る者を惹きつけるのは、そこには、ホン・サンスが繊細に掬い上げる、人々の日常生活にまつわる森羅万象が詩情豊かに息づいているからだ。“ショット”の彼方にあってもなお、ホン・サンスの映画は成立しているのである。

ここに、ホン・サンス監督がひとりCEOを始めた記念碑的作品『逃げた女』で、野良猫に餌をやらないで欲しいと苦情を言う一場面だけで見る者に強い印象を残した後、続く名作『イントロダクション』(2020)で悩み多き青年主人公役に抜擢され、『水の中で』同様、ことあるごとに海の中に入ってゆくことを余儀なくされる俳優、シン・ソクホ氏のインタヴューをお届けする。

映画における視覚というものを排除しようと努力した実験的な作品
OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):『水の中で』を拝見して、率直に言ってとても驚きました。驚きながら観ていたのですが、次第に作品に引き込まれていき、エンディングも見事で、とても面白い映画だと感じました。ソンモ役で主演を務められたシン・ソクホさんは、初めてこの映画をご覧になったとき、どのような印象を持たれましたか?
シン・ソクホ:そのように好意的に見てくださって本当にありがとうございます。私自身が最初にこの作品を見た時、ホン・サンス監督はこのような実験的な映画を作ろうとしていたんだということを改めて感じて、とても衝撃を受けたのを覚えています。監督もこういった撮り方をするということについて心配もあったのかもしれません、そのせいか常に、現場で編集した映像を私たちに見せてくれたんです。現場で編集したラフを見せていただいた時に、もう何と表現したらいいのか、自分の感情をすぐに上手くは表現できない気持ちでした。この映画は、映画における視覚というものを排除しようと努力した実験的な作品なんだという風に思いました。言うまでもなく映画において視覚というのは非常に大きな要素であると思いますが、それをあえて排除して作ろうとした作品だったのだと思ったんです。

OIT:それは面白い見方ですね。視覚を排除したという考え方ですが、私が見た時は、これは色々な評ですでに言われていることですが、印象派の絵画みたいにディテールが飛んでいる作品だということを最初に感じました。ディテールが飛ぶことによって、色が際立って見えてくる、色彩の映画のように見えたんです。色彩は視覚の一部なので、色彩を排除しているという見方は、その段階では私にはできなかったのですが、とても面白い見方だと思います。実験的だというのは、もう誰もが一致する意見だと思いますよね。最初にラッシュを見たのはどのシーンですか?
シン・ソクホ:はい。ホン・サンス監督の作品というのは、あくまでも必ず順撮りなんですね。今回も最初のシーンから撮り始めていますので、最初のシーンをラフな編集で見せて頂きました。最初のシーンを見た時に、これはフォーカスがずれている、焦点が合っていないということを初めて知り、そこから様々な考えが浮かびました。ぼんやりと見えるイメージで撮るということは、ディテールを完全に諦めて演じるという意味では決してないのですが、むしろこんな風にかすんで白く見える点において、自由に演技ができるような気がしました。最初のラッシュを見てからは、そういう気持ちで演じることができました。



OIT:ソクホさんは『イントロダクション』(2021)でも主演されていますが、今伺った部分以外の演出方法については、そんなに変わらなかったわけですか?
シン・ソクホ:はい。そうですね。演出の面では前回の作品と大きな違いはなかったような気がします。これは私が感じていることですが、監督本人もおそらく決まった枠に囚われずに自由に撮りたいと思っている、そんなスタイルの監督さんだと思います。なので、常に今までやったことのないやり方で撮ってみたいという思いが強く、今回の『水の中で』という作品も生まれたのだと思います。もちろんホン・サンス監督の作品の中にはあるパターンが繰り返し登場したりしますが、同じパターンの繰り返しであっても、その中で何か変えてみよう、何か違ったものを撮ってみようと常に努力されていると思いますし、今回の作品でもそれが随所に見られる気がします。おそらく観客の皆さんにもそれが伝わっているのではないかと思います。


監督はどうやら私の「しっかりしろ」という寝言を聞いていたような気がした
OIT:繰り返しという点では、ゴミを拾う女性がいて、最初は本物のゴミを拾う女性が登場し、その次にそれを劇中劇として再現するシーンがありますね。ショットは異なりますが、映画制作の中で実際にあった出会いを再現しようとしている場面で、あの場面はとても面白かったです。あの最初にゴミを拾っている女性はどのような方ですか?
シン・ソクホ:あのシーンの女性はソリョンさんと言いまして、監督の事務所で当時お仕事を手伝ってくださっていた方です。シナリオを書いている時に、この役でお願いしようということになり、出演していただいたそうです。今からお話しすることは映画をご覧になる方にとっては必要のない情報かもしれませんが、ゴミを拾う場面は済州島で監督が実際に似た経験をされたことに着想を得ているそうです。撮影現場を歩き回っていた際に、あのようにゴミを拾っている方を見て、その姿からあのシーンが生まれたと聞きました。

OIT:面白いですね。そうすると、“ゴミ拾い”の場面は三重に繰り返されてたということになりますね。ホン・サンス監督の映画はセリフもとても面白いのですが、ナミさん(キム・スンユン)が夜中に夢の中で「しっかりしろ!」と言われたという、夢や幽霊が出てくる話がありました。「しっかりしろ!」と言う幽霊というのは、これまであまり聞いたことがないと思うのですが、このシーンについて何か思ったことがあれば教えてください。
シン・ソクホ:実は一つエピソードがあるんです。この映画を撮っていた当時、私は(サングク役の)ハ・ソングクさんと宿で同じ部屋を使い、一緒に寝泊まりしていました。その宿で、私が夢を見たんです。夢の中で、私が誰かに向かって「しっかりしろ」と叫んでいました。ただ夢を見ただけではなく、その言葉が寝言として実際に口から出ていたんです。早朝に近い真夜中だったのですが、監督はすでに起きてシナリオを書いていて、どうやら私の「しっかりしろ」という寝言を聞いていたような気がしたので、シナリオにそのセリフが入っていた時に監督に聞いたんです。「監督、僕が見た夢と同じなんですが、もしかして僕の寝言を聞きましたか?」と。すると監督は「聞いた」と言っていました。




OIT:(笑)面白い。本当に自由に撮られているんですね。素晴らしいです。もうひとつ劇中のセリフについてお聞きしたいのですが、映画を何のために撮るのかと聞かれて、ソンモが「映画を撮るのは名誉のためだ」と答える場面があります。これはとても印象的なセリフだと思ったのですが、日本ではあまりこういう言い方はしないと思います。韓国ではこの表現は一般的なのでしょうか、それとも珍しい発言なのでしょうか。
シン・ソクホ:いつもホン・サンス監督の映画で感じるのは、普段私たちが使わない言葉を監督が映画の中でよく使っているということです。シナリオをいただくと、台本を読んでいるというより小説を読んでいるような気持ちになります。その上で、俳優としてどうやってその言葉を口にすればいいかというのが本当に難しい作業だといつも思います。「名誉のために映画を撮る」というセリフについても、韓国でもストレートに「自分は名誉のために映画を撮っている」と言える人は非常に珍しく、いたとしても数えられるほどしかいないのではないかと思います。だからこそ、非常に特別な言葉だと感じます。


ホン・サンス監督は、映画の演出について、何をどう考えればいいのか、その考え方を教えてくださった
OIT:やはりそうなんですね。韓国ではこういう言い方をする人が多いのかとも思いましたが、そうではなく、監督の独特でユニークな言葉選びは敢えて行われたものなのですね。それから、エンディングが素晴らしかったので、是非そのシーンについてもお聞きしたいのです。ずっと海の中に入っていくシーンで、ソクホさんは実際に海に沈むぐらいまで入っていたようですが、映像はボケているためディテールは見えません。その演出もまた非常に上手いと思いました。あれは本当に入っていたのでしょうか。
シン・ソクホ:もちろん、海の中には実際に入っていました。ただ、撮影当時はあのシーンがエンディングになるとは知らなかったんです。監督から「海の中に入ってほしい」と指示がありましたが、最初のテイクではあまり深く入りませんでした。数回のテイクを重ねる中で、中間くらいまで入ったところで監督から「カット」の声がかかったんです。しかし、最後のテイクではその「カット」が聞こえなかったため、これは最後まで沈むまで入るのだと判断し、前に進み続け、体が完全に沈むまで入りました。

OIT:つまり、In Water ってことですよね。
シン・ソクホ:はい、そうです。おっしゃる通りで、全身がもうすっかり海の中に入りました。その状態で、確か1分くらいだったと思います。その後どうなるか分からなかったので、全身を水に浸けたまま1分ほど水中にいました。

OIT:だから、タイトル(英語題)が 「In Water」 なのかもしれませんね。
シン・ソクホ:監督からこのタイトルをつけた理由については特にお話はなかったんですが、もしかしたら、今上原さんがおっしゃったような理由でつけられたのかもしれませんね。




OIT:最後にお聞きしたいのですが、建国大学映画学科でシン・ソクホさんも学ばれていて、そのときの先生がホン・サンス監督だった、ということですか?
シン・ソクホ:そうです。1年生として大学に入学したとき、ちょうどその年にホン・サンス監督も教授として大学に来られました。最初の年は1年生の授業を担当されていたので、私も入学してすぐに授業を受けました。ホン・サンス監督が1年生の授業を担当されたのは、その年の1年間だけだったんです。その後は、監督は4年生の授業だけを担当されていました。時が流れ、私も4年生になったとき、卒業直前にホン・サンス監督の授業を受けることができました。監督が私のことを好意的に見てくださったかどうかは分かりませんが、卒業前に「一緒に映画を撮ろう」と声をかけてくださり、そこからご縁が生まれました。

OIT:素晴らしい縁に恵まれましたね。
シン・ソクホ:はい。私もそう思います。

OIT:ホン・サンス監督の授業はどんな授業なんですか?真面目に、映画史や映画のテクニカルな部分を座学と実践で教えてくれる、そういう感じなのでしょうか?
シン・ソクホ:監督の方からは、技術的なことや映画の歴史について語られることはありませんでした。私が1年生のときに受けていた授業の名前は「基礎演出」という授業で、演出の方法を教えるのではなく、学生たちにどのように考えればいいか、考え方そのものを教えてくださいました。つまり、教室の中で理論を学ぶのではなく、外に出て実際の環境を見て感じ、その感じたことを文字にして書いてみる、というものでした。あるときは芝生の上に座って思ったことを文字にしてみなさいと言われたり、あるときはトイレに何時間かこもって何かを書いてみなさいと言われたり。そうやって、何をどう考えればいいのか、その考え方を教えてくださったんですね。

OIT:素晴らしいですね。今日は本当に貴重なお話を聞けて、とても嬉しかったです。これからもホン・サンス監督の映画にどんどん出演していただきたいですし、他の作品や他の監督の映画でも活躍される姿をぜひ見たいと思っています。楽しみにしています。
シン・ソクホ:短い時間でしたが、私のお話を聞いてくださり、さらに素敵なお話もたくさんしてくださって、本当にありがとうございました。

『水の中で』
英題:In Water

2026年1月10日(土)より、ユーロスペースほかにて全国順次公開

監督・脚本・製作・撮影・音楽・編集:ホン・サンス
録音:キム・ヘジョン
出演:シン・ソクホ、ハ・ソングク、キム・スンユン

2023年/韓国/61分/カラー/16:9/ステレオ
配給:ミモザフィルムズ

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公式サイト:https://mimosafilms.com/gekkan-hongsangsoo/