OUTSIDE IN TOKYO
Roberto Ando INTERVIEW

ロベルト・アンドー『修道士は沈黙する』インタヴュー

2. 今の経済は、今ある経済の形しかあり得ないんだという見方をしているが、
 この映画では、他のやり方もあるのではないか、ということを示唆しようとしている

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OIT:そのエコノミストたちの価値観と対立する形で、この映画の主人公である修道士の持つ価値観の違い、その2つの価値観の鬩ぎ合いがこの映画のテーマのひとつであると思います。物質主義に対する精神性という意味でキリスト教をテーマにした映画が最近増えてきていると感じるのですが、監督ご自身は、そうした精神性は今見直されようとしていると思いますか?
ロベルト・アンドー:この映画で、この修道士は実は何もしていない。それに対して財務大臣たちが一方的に彼を疑って、色々と働きかけていくわけです。修道士は誤解を受けたことによって、何か彼らの秘密を知ってるんじゃないかと一方的な疑念を募らせていくわけです。それを知ろうとして彼らは動き回る。この映画に対するコメントとして非常に面白かったのは、結局、今の経済というのは、今ある経済の形しかあり得ないんだという見方をしている、というもので、それは、“負債を清算する”という遅々として進まないプロセスがあって、それをやらなければ置いていかれてしまう。例えば、ギリシアはそれを拒否したことで罰せられたわけです。だけれども、この映画では、他のやり方もあるのではないか、ということを示唆したいわけです。そこで、キリスト教の価値観についてですが、この映画に登場するような厳格な形のキリスト教的価値観というのは、今とは違う何らかのやり方があるのではないか、ということを示唆し得ると思う、ごく普通の一般の人々も、自分達が思っている以上に、そうしたことを求めている人が多いのではないでしょうか。

OIT:撮影監督マウリツィオ・カルヴェージの映像がとても美しかったのですが、どのような画にしていこうという話をしたのですか?
ロベルト・アンドー:やはりこのロケーションが示唆するものというのはとても大きいと思うんです。多くのシーンが屋内で撮られているわけですが、屋内であるにも関わらず、全てがガラス張りで、外からも中が見えるし、中からも外が見える、そういう形になっています。そこには彼ら以外には誰もいない、空っぽなスペースなわけで、全てが見える状態にある。ホテルの色彩はグレーと白で構成されていて、屋外もモノトーンの色合いで統一することで、形而上学的なイメージを醸成したかったのです。ここでは、皆がお互いをこっそり見ていて、同時に、自分達もこっそり見られている、そういう風に誰もが覗かれているという空間です。例えば、誰かが廊下を歩いていると、鍵穴を通して誰かが覗き込んでいる、屋内では誰かが覗き/覗かれているという印象、そして屋外では上から見られている、そういう視線を常に意識する形で撮影をしたのです。

OIT:彼らは、覗かれているだけではなく、録音もされていると疑っていたわけですね。
ロベルト・アンドー:その通りです。修道士がホテルに到着した時も録画されていて、それが後で何度も見返されることになる。



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