OUTSIDE IN TOKYO
Mia Hansen-Løve INTERVIEW

ミア・ハンセン=ラブ『あの夏の子供たち』インタヴュー

3. 私は既存の音楽を使う主義で、いわゆる映画音楽の作曲家の起用には“断固反対”です!
  全く以て使いたくないのです

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OIT:今更ながら、僕のこの映画の感想を伝えると、これは終わった後から自分の中で成長していくような映画だと思うんですね。それについてはどう思いますか?
M:そうですね。今の、この映画についての感想ですが、作る側としては、今言っていただいたこと、つまり、後々まで常に留まって広がり、成長していくということは、作る側にとって非常にうれしいことです。ただし、気をつけなければいけないのは、(例え)最高の映画だったとしても、必ずしも、覚えている=いい映画とも思えないし、これが意外とむずかしくて、私自身、最高の映画を観て、ところがストーリーを完全に忘れてしまうこともある。また忘れてしまっているけど、その映画に関係すること、そこで受けた実感のない感動、つまり、深層心理が記憶している感情というものが、仮にストーリーを忘れたとしても、自分の中に留まっていて、それが感情なのか、感覚なのか分からない。それに映画だけじゃなく、本でも同じことが言えると思うのですが、例えば、ストーリーは忘れちゃったと、だけど、そこでキーとなる言葉が残っているという意味では、ある意味、いい映画の基準だったり、そうでなかったりという、非常に微妙なところでもあるんだと思います。

OIT:例えば、前半部分がとても細やかに(描かれて)過ぎていき、というか、体験、または共有することができ、そして後半部分に、何かを理解するために、必要な何かのためにゆっくりと時間をかけて沁み込んでいくものだとして。でも、もしかしたらあなたが描こうとしている瞬間というのは、その生と死の間の薄い皮膜のようなものではないかとも思ったんですが。
M:いや、生と死、ということではないのですが、今この最初の部分と後半部分という、それにまつわる感想は全くその通りだと思います。なので、生と死というより、その前後という意味で、対照的に作っていて、前半は動であり、速さであり、動きがあって、そこでいろんなアクションを通じて、結局、後半ではそれが思い出となる。だから前半はその思い出作りです。また非常に活発に動いている前半に対して、後半はいろんなもの、蓄積されてきた時間について改めて考えたりする、深い瞑想というか、そんな考えに浸り、浸透していく部分だと思うんです。なので、私は生と死というより、むしろ、ある男性の肖像画として作ったのです。あと、その女性像、男を取り巻く女性の肖像画という視点からも書いています。そして、あとは非常に実利的な言い方かもしれませんが、やはり現実というか、彼らの家族、また男性と女性の人生にまつわる話だけでなく、同じ肖像という話であれば、ひとつの制作会社の肖像でもあり、あえて別のサブタイトルをつけるとするなら、「ムーン・フィルム(主人公の制作会社)の最期の日」であってもおかしくないわけです(笑)。

OIT:そうですか。では、時間がないので最後に少し飛んでしまいますが、あなたの映画では、音楽の使い方に特徴があると思うんですね。もちろん、オリヴィエの音楽の使い方もおもしろいのですが、また違った意味で、相当な拘りがあるのではないかと思うのですが。
M:私は既存の音楽を使う主義で、いわゆる映画音楽の作曲家の起用には“断固反対”派なんですね。全く以て使いたくないのです。それは頑なに守り続けたい。今の映画音楽、映画に起用されている音楽を聴くと、どうしても、それが今流行の音楽だとしても、どうしてもその活用の仕方というか、音楽の登場の仕方が、どうしてもすごく形式的だったり、すごくマニュアル的だったりして、やっぱり映画はなかなか“音楽の使い方”という壁を突破したことがないなというのが私の率直な考えです。やっぱり人間は聴く意識だけではなく、自分の深層心理的な、無意識にあるそういう感覚を掘り下げていかなければいけない、表現していかなければいけないと思うので、そういう音楽の活用というか、使用はどうしてもマニュアル的なものであってはいけないし、ちゃんと深刻に考えた末のことでなければいけないと思うんですね。それで私は、やっぱり音楽に対してすごく深い情熱がありますし、また、いい音楽だからと言って、使えるわけではなく、本当に丁寧に、真剣に選択していかなければいけないと思っています。そして音楽を使うことで、存在する映像に新しいタッチを加えていくわけですが、かと言って、音楽が一人歩きしてしまっては、非常に弱い映画になってしまうのです。ともかく、それを上手に選択しているつもりです。

OIT:その音楽は自然に聞こえてくるものですか?
M:元々、映像の中に音楽があると私はずっと思っています。なので当然聞こえくるというか、自分の本来の音楽がある。でもさっきも言ったように、それがどんなにいい音楽でも、主張しすぎてしまうと、結局音があっても、無音になってしまうに等しいと思いますね。

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