OUTSIDE IN TOKYO
KORNEL MUNDRUCZO with KATA WEBER INTERVIEW

コーネル・ムンドルッツォ with カタ・ヴェーベル
『ジュピターズ・ムーン』インタヴュー

2. そもそも人というのは、信じる心を持っていなくては生きられないのではないか?

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OUTSIDE IN TOKYO:神という言葉が出てきましたけれども、キリスト教の神のことでしょうか?
コーネル・ムンドルッツォ:まず私たちはハンガリー人として、ハンガリーという国で育ってきていますから、ハンガリーの文化的背景にキリスト教がありますし、一方では、キリスト教はヨーロッパの文化的背景であるとも言うことも出来ます。ただ先程、神に対する信念、あるいは信じる心の喪失ということをお話しした時の神は、必ずしもキリストである必要はありません。むしろ“神”は取り外して、人というのは信じる心をそもそも持っていなくては生きられないのではないか、そういう考え方に基づいているといことが言えます。今は歴史的に見ても、非常に厳しく、混沌としていて、鬱々としている時代で、その中で人が信じる心を失うのはたやすいことだと思うのです。非理性的な信じる心の喪失を見せたい、という思いから映画のモチーフが出てきたわけです。この映画は、見ようとすれば、そうしたキリスト教的、あるいは宗教的というべきレイヤーが確かに見えて来る映画ですから、キリスト教文化圏の人々から見れば、アリアンのことを“天使”と思うかもしれない、他の人にとってみればスーパーヒーローかもしれないし、エイリアン(異邦人、宇宙人、外国人)と見ることが出来るかもしれない。あるいは凄くファンタスティックな力を持っている人物という風に見て頂いても構わない。とはいえ、ハンガリー人である私たちのルーツであるし、文化であることは間違いないから、キリスト教的要素というものを否定することは出来ませんね。
カタ・ヴェーベル:医師が犠牲をはらうという道のり一つをとっても、犠牲をはらうという行為自体がキリスト教的であると言えます。
OUTSIDE IN TOKYO:主役のシュテルン医師(メラーブ・ニニッゼ)やアリアン青年(ゾンボル・ヤェーゲル)もそうですが、脇役のキャラクターがたくさん出てきて、ゲイをカミングアウトするバーテンダーであるとか、良い顔つきをした初老のウェイターや富裕層の老人たちまで、人物造形がすごく豊かでした、それは脚本の段階でかなり作り込まれていましたか?
カタ・ヴェーベル:すごくポリフォニックな作品で、私たちの社会の大きな画(タブロー)を描きたかったし、その社会のシンボルたるキャラクターを選び、そして造形していきましたから、大きなキャンバスに種々多様な色をなるべくのせたいという気持ちがありましたね。
OUTSIDE IN TOKYO:(ヒエロニムス・ボスの作品画像を見せる)
コーネル・ムンドルッツォ:まさにヒエロニムス・ボスのイメージです、私たちは、ボスの絵画について沢山ディスカッションを重ねました。つまり、細かい要素はものすごく書き込まれてるけれども、遠くから見た時に私たちが感じるのは、一つの印象、ムードだったりする、そういう作品にしたかったのです。ですから、この作品もそうして人物造形を見て頂けるのですが、むしろ感じて頂きたいのは、一つムード、一つのイメージなのです。たくさんのリズムからなるものではなくて、バーンと一つのポリフォニックなサウンドのような。
OUTSIDE IN TOKYO:一つの音というのはオーケストラで構成される音ですか?
コーネル・ムンドルッツォ:リズムを刻むのではなく、バーンというサウンド、バルトークやリガッティのようなサウンドです。必ずしも前には進まず、そこに屹立しているような作品、雰囲気を重視しています。
OUTSIDE IN TOKYO:映画は時系列で進むので、物語は進行していくわけですが、でもこの映画では、アリアンが浮遊することで、観客に俯瞰の画を見せる、そうするとヒエロニムス・ボス的世界が視野に一気に拓けるわけですね。
コーネル・ムンドルッツォ:まさにその通りです、アリアンがこのストーリーに対する見方を作り上げるのです。彼が飛行している足元や背景は常にざわついている、彼が浮遊する時間は物語的にも大きな深呼吸が出来る瞬間です。
OUTSIDE IN TOKYO:その時に視点が反転するというのがすごくダイナミックです。
コーネル・ムンドルッツォ:本当に半年ぐらいかけて、どうやって浮遊のシーンを撮るかということを悩み抜いて作って、大変な作業だったのですが、誇らしい出来栄えになったと思っています。今回はカメラも吊っているんですよ、だから、少年とカメラにどれくらい自由を与えられるかっていうのが肝だった。いかにも吊ってますという態の人物を、地面から固定のカメラで撮るというような真似はしたくなかったので、浮遊感を出すために、別のアングルにもカメラがあって、複雑なフォーメーションで撮っています。やはり、そのシーンの撮影が肝でした。


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