OUTSIDE IN TOKYO
JOSHUA SAFDIE INTERVIEW

ジョシュア・サフディ『神様なんかくそくらえ』インタヴュー

2. どういう風に感じるか、ではなくて、どういう風に見えるか、を描きたかった

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OIT:お父さんが教えてくれた映画というのは、どのような映画でしたか?テレビで見ることができるような映画だったのか、あるいは、ニューヨークのキムズ・ビデオに行かないと見つからないようなものもありましたか?
ジョシュア・サフディ:それは場合に依るけど、父親はシネフィルではあったけれども、そんなに極端な人ではなかった、でもテレビで見ることができるようなものではなかったね。クイーンズに住んでいたからキムズは遠かったこともあって(笑)、彼は沢山映画のビデオを買って持っていたから、それを見ていたんだ。

OIT:クイーンズで育って、ニューヨークで映画を撮るというのは、どのような体験なのでしょう?
ジョシュア・サフディ:ニューヨークっていうのは、”島”なんだよね。だから、文化的にも”島国”っぽいところがある。すごく多様性があるけど、とてもコンパクトにすべてが詰まっている、ちょうど東京のようにね。実際は、ニューヨークから逃れられないってところが正直なところで、いつも次は他で撮るよって言うんだけど、結局はニューヨークについての映画を撮っている。もしかしたら、次の作品はロングアイランドで撮るかもしれないんだけど、ロングアイランドもニューヨークの延長みたいなものだから。何か囚われて逃れられないみたいな感じ、刑務所みたいなものかもしれない。

OIT:ニューヨークを舞台にした映画や小説というのは、数えきれないほどありますが、例えば、ウイリアム・バロウズの「ジャンキー」のような小説では、麻薬中毒者=ジャンキーが、ドラッグをやってハルシネーションを起こした時の主観的な視点による描写があったりするわけですが、この映画にはそうした描写はなくて、登場人物との間に距離をおいて観察しているようなスタイルをとっていますね。なぜそのようなアプローチを選択したのでしょう?
ジョシュア・サフディ:僕ら兄弟はふたりとも、この映画ではドラッグを使用した時の主観的な世界は描かない、ということをはじめから決めていたんだ。ドラッグ中毒をロマンティックなものとして見せたくなかったから。『トレインスポッティング』(96)や『レクイエム・フォー・ドリーム』(00)は好きな映画だけど、ああいう風には描くのではなくて、その醜さを見せたかった。その世界がどんな風に見えるかというリアリティを描きたかった。どういう風に感じるか、ではなくて、どういう風に見えるか、ということを。だから、主観的な部分というのは、恋愛の部分に留めたんだ。ドラッグが引き起こす感情というのは、表面的なことだと思うんだけど、愛とか、自分が必要としていることとか、欲望とか、もっと深いところから出てくる感情を描きたかった。そのインスピレーションは、普通の人々から、そして、僕のヒーロー、フレデリック・ワイズマンのような人たちから得たものだよ。

OIT:撮影スタイルについて聞きたいのですが、望遠レンズを使って遠くから対象を捉えていますが、ぼやけたオブジェクトのようなものが手前の端に写ったりしていて、都市の人々をリアルに捉える上でとても効果を上げているように見えました。これは撮影監督のアイディアだったのですか?
ジョシュア・サフディ:それは僕と撮影監督(ショーン・ブライス・ウイリアムズ)、ふたりのアイディアなんだけど、僕らは本能というか、嗅覚がとても似ているところがあって、グレン・オブライエンのTVパーティーとかで一緒に撮影をしたことがあるんだけど、撮ってみるとフッテージが凄く似てたんだ。それで、今回、プロジェクトの始まりの頃に僕が話したのは、この映画は、“望遠レンズを使ったオペラ”にしたいということだった。それがマントラになって、ショーンが、キャメラのレンズと本体の間に白いビニール袋を入れて撮ったり(笑)、そんなクレージーなことを色々やってみたんだよね。“望遠レンズを使ったオペラ”というアイディアに基づいて、色々なフィルターを彼が考えてくれたんだ。



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