OUTSIDE IN TOKYO
JERZY SKOLIMOWSKI INTERVIEW

イエジー・スコリモフスキ『エッセンシャル・キリング』インタヴュー

2. 生命の危険を感じる事故に遭遇した夜、私はすぐに寝て3時間後に目覚めると、
 この物語が頭の中にあった

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OIT:多勢に1人で立ち向かうというのは、どこから来たものですか。それは自分の感じてきたことでもあるんですか?自分はどうそこに共感しているのでしょう。
JS:どう共感するか。それは男が軍のヘリに追いかけられ、犬たちに追い回されているのを見れば分かる。まるで大掛かりな狩りだ。

OIT:でも、その着想は自分の中から出てきたものですよね。自分のどのような部分に呼応したのでしょう。
JS:私の森の中の小屋は偶然、秘密基地の滑走路のそばにある。CIAの飛行機が離着陸していたようだ。中東からの捕虜を連行するかたちで。だから、そこに物語があることは分かっていた。ただ、ためらいがあったのは、それが政治的なテーマだからで、私はそこに触れたくないと思っていた。だがある冬の夜、クルマで家路に着いていて、突然スリップして路上から外れてしまい、死んでもおかしくない事故だった。どこかへ転がり落ちていって。その時、その場所がその空港から1マイルも離れていないことに気がついた。軍のコンボイが空港から別の秘密の場所へ捕虜を搬送していた道路にいるのだと。そんな危険な瞬間に遭遇して、私はとても意識が立っていて、その場所のすぐそばにいることもあって、おそらく、それが私の想像力をとてつもない強さで襲ってきたんだと思う。家に戻り、その夜、私はすぐに寝た。そして3時間後に目覚めて、その時点でもうその物語が頭の中にあった。そしてそれを書き起こした。7ページだった。その7ページの中で、最初から最後まで正確に書き記していったんだ。

OIT:その最初、そして終わり方。その凝縮されたかたちというのは、計画し、それはビジョンのように、思い描いていた通りなんですね。
JS:そう、ほとんどビジョンに襲われたようだった。夢を見たわけでもなく、脳の中で何かが起きた。それだけ強い影響に曝されて。恐怖。そしてその場にいるという気づき。何が起きていたか。もし捕虜を乗せたワゴン車が坂を転がり落ちて、捕虜が逃亡したらどうなるか。その時の考えの連鎖が、結果的にこの映画となったわけだ。

OIT:となると、この映画の主となるインスピレーションの源は恐怖とも言えますか?
JS:そうだね。ショックだね。生命に対する危機が、あまりに予期しないかたちで襲ってくることで。生きるべきか死ぬべきか(笑)みたいな。

OIT:映像的にはどうですか?これはどのように撮影しようと想定していたのですか?
JS:まあ、書かれたほどには正確ではないけれどね。それが実際に映像化される時には。明らかにシーンは書いた時とは異なるけどね。

OIT:何度も聞かれていると思いますが、映画祭で歩く姿を見かけて彼に決めたと聞きましたが、彼がその存在をどう体現してくれると思ったのですか?
JS:まず、カンヌで2年前に会った時に遡る。そして脚本を読んで彼は興奮してくれた。5月だけど、この映画を撮影するのは冬で、まだ8ヶ月あるとは言え、君が真剣なら髪と髭を伸ばし始めてくれ、と僕は言った。それが私の監督としてのがんばりどころの1番目のポイントだ。そして彼は8ヶ月、髪も髭も伸ばし始め、この映画に肉体的な動きが必要になることも想定して、彼は身体を相当に鍛え始めた。彼は十分にトレーニングされた状態で入ってきて、最初の走るシーンから始まった。彼はとてもうまくやってくれた。14日くらい経った頃には彼も疲れ果てていたようだけど、また違う意味でもそれはよかった(笑)。実際、彼は結構うまくこなしてくれたよ。

OIT:彼から何か演出的に提案してくるようなことはありましたか?
JS:彼は脚本を受け入れ、その脚本は細かく書かれていたから。台詞がない上に、全ての動きがきちんと説明されていた。ディテールがたくさん書きこまれていたし、彼はそこにある通りにすればよかっただけさ(笑)。

OIT:それはおもしろいですね。ギャロは自分が監督の時は、結構役者に対して厳しいらしいから。
JS:うん、それについては耳にしたことがあるよ(笑)。何度かそれを試みようとしたのかもしれないけど、私は十分に経験してきているから。私はいわゆる“むずかしい”とされる俳優たちと仕事してきているからね。クラウス・マリア・ブランダワー、ナスターシャ・キンスキー、ニナ・ロロブリジダなどと仕事してきて、その分野ではずいぶん訓練されてきているからな(笑)。

OIT:どう対処すればいいか分かるんですね。ところで、アラブ圏でありながら、特定の国を示唆していないことは分かりましたが、映画の冒頭で、タリバンに参加して戦っていたアメリカ人のことを思い出したのですが。そのイメージは徐々に消えていきましたが、最初に浮かんだのはその人のことだったのです。
JS:それはなかなか正しいね。キャスティングの段階でも、それが私の頭にあったことだから。彼はアラブ人だと解釈することもできる。だがそこに疑念を持ち、アメリカで生まれ育ちながらその数年前に中東へ渡り、イスラム教徒となった男ということでももちろん構わない。それが台詞を使わない主な理由でもあった。彼のアクセント、言葉でしゃべってしまうとあまりに多くの情報を流してしまうから。


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