OUTSIDE IN TOKYO
GUILLERMO ARRIAGA INTERVIEW

イエジー・スコリモフスキ:オン『アンナと過ごした4日間』

3. 自分のキャリアにノスタルジーの言葉はない、私は現在を生きているから

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ノスタルジアと聞いて何を思い浮かべますか?
郷愁を感じること(笑)。私はそれにあまり影響されない。それほど過去に興味がないから。私は現在を生きている。たった2年前に、自分の全く新しい人生のページを開いたばかりだ。そして森に住み始めた。マリブという、とてもスノッブな場所に何年も暮らしたあとに。ビーチの目の前だ。目の前に180度、海を見渡すことができた。そして逆に180度、山も見渡せた。ある意味、楽園だ。だがとても退屈だった。何年住んだだろう。84年から2007年だから、25年か?もう飽きたんだ。全くカリフォルニアを恋しいと思わない。その前はロンドンに住んでいたが恋しいと思わない。その前はイタリアで2本映画を撮ったが、そこも恋しいと思わない。それは過去のことだから。自分のキャリアにノスタルジーの言葉はない。私は現在を生きているんだ。

何かを創り出すこと、自分から何か引き出すために、外からの情報はあまり必要ないということ?
基本的にそうだ。必要ない。

それはどうしてだと思います?
さあ、分からないな。それが私という人間だから。

絵画では何かにインスパイアされるのですか?
それは別々の方向からやってくる。森の中に住んでいるから緑を使って描く。それは森に住んでいるからだろう。そして冬には違う絵を描く。日本の書に影響を受けた時は違う絵を描いていた。幻想的な気分の時は…。何かを体験したかったんだ。うまく説明できないけれど、スピリチュアルな象徴のようなものだ。内なる炎とか。

自分の中に入っていく行為ですか?
いや、そうでもない。偶然に起きることもある。自分の手であって自分の手でないようなものだ。マラドーナの”神の手”みたいに(笑)。何かにつき動かされている。いい例が、真剣に鳥を描こうとしたわけでもないのに、鳥のように見える絵を描いてしまった。感情や偶然、禅も少し混ざっている。絵は床に置いて描いている。侍のように立って、正しい瞬間に、動きを練習するように。バサッて(笑)。

それは映画作りにも当てはまるのですか?
いや。でもそのことは何度も聞かれてきた。そして私の正直な答えは、いつも同じだ。私は違う脳を使っているように感じる時さえある。ペインティングには集中、平和、喜びがある。描くことには喜びが伴う。映画作りは大変な作業だ。反対の脳をコントロールし、集中しながら人を操作する。全く異なる手法だ。ほとんど違う人間と言っていい。それが答えだ。

初期の作品でも、リアリティと幻想を扱ってきたように見えます。同時にふたつの世界を見せてくれながら、違う方向へ導いていく。自分のこれまでの作品は、現在の映画と比べてどうですか?つまり、振り返ってみて、初期の作品をどう見ますか?
また違う時期だ。初期のポーランド映画ではカメラに心酔していた。カメラは少年の最良のおもちゃだ。長いトラッキング・ショット、大げさなカメラの動きが好きだ。そして映画作りのプロセスを楽しんでいた。それが最初の2、3本の映画だ。それから、自分で名付けるならば、政治的な映画がある。それは自分にとって、とても後味の悪い終わり方をした。共産党政権の下で、反スターリン主義の映画を撮っていたから。やつらは言った、もう終わりだ、ポーランドでもう映画は撮らせないと。そして他へ行かなければいけなかった。すると映画作りは生計を立てる方法となった。仕事として捉えなければならなくなった。それまで喜びだったのが、生計を立てるための闘いに使われた。自分の人生、家族の生活。幼い息子も2人いた。外国で暮らし、言葉もろくに話せない。それはひどいものだった。ひどい闘いだ。そういう時期だ。それから少しずつ自信を取り戻していった。より選択肢も増えた。そして自分でもいいと思える映画も撮れた。『シャウト/さまよえる幻響』(78)はカンヌ映画祭(77年度)で審査員特別賞を受賞した。映画監督としてとても自信がついた。だがそうするうちに、ポーランドで戒厳令が敷かれた。それにはとてもショックを受けた。どうにかそれに反応しなければならないと思った。それですぐに映画を作ることにした。それが『Moonlighting』(82)だ。ジェレミー・アイアンズ主演で。それは感情的な爆発のような、反射的な行動だった。次の『Success is the Best Revenge』(84)はいい映画ではなかった。私はハリウッドに貶められた。そしてロバート・デュヴァルとクラウス・マリア・ブランダウアー出演の『ライトシップ』(85)を撮った。最悪の体験だった。全く最悪だ(笑)。そういう時期だった。そして最終的に、あの“ユーロプリン”を17年前に作り、もういいと思った。休みをとって、考え直さなければと。映画作りへの欲求が湧くまでは。食欲が湧くまでは。だがそれは長いこと戻らなかった。ご存知のように、17年かかったわけだ。

自分が立ち返るイメージはありますか?ついそこへ戻ってしまっているような。最初にあるイメージを作りたい、創造したいという欲求が沸いた時。それは例えば、子供の頃に見た映画とか。自分の人生で際立って残っていて、常に追いかけてしまうイメージってありますか?
いや、特にないな。考えてるけど、ないみたいだ。

では初めての映画体験は?
子供時代は第二次世界大戦の最中でドイツの占領下にあった。私の家族もそうだが、ポーランド人の抵抗者たちが映画館に足を運ぶことはなかった。映画の収益は全て、敵である”Wehrmacht(武装親衛隊)”に渡るわけだから。だから初めて映画を見たのは10才になってからだ。それは戦前のポーランド映画で、とても安っぽく、何かのメロドラマだった。だが一番よく覚えているのは、部屋が暗くなり---真っ暗だ---突然スクリーンに小さな星のようなものが浮かんだ。実際はフィルムの傷に過ぎなかったんだが、なんて美しいんだと思った(笑)!だからその傷が私の最初の映画体験になるね(笑)!

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