OUTSIDE IN TOKYO
HATA SAHOKO INTERVIEW

第13回東京フィルメックス:秦早穂子さんインタヴュー

3. ホン・サンスの凄さは、一見、曖昧なような、だらだらした感情を掬いあげていく力

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OIT:確かにそうですね。これはこういう意味でしょうか?っていう質問が多い。
秦早穂子:自分に向いたお答えがないと納得しないっていう。それは、昔、よく女の子がハッピーエンドなの?とか、アンハッピーエンドなのね、と、念おししたのに相通じます。でもフィルメックスは基準の高い映画祭ですよ、それでも、そうした傾向があるとすれば、何か不思議な感じなのです。どこか、自由じゃないのです。しかも、それが得てして、若い人でもないことに。

OIT:そうですね、割と往年の映画ファンの方々ですね。正解を求めるというか。
秦早穂子:正解なんてないのです。人生って、そんなに訳が分かるものじゃないじゃない、何かちゃんとした答えがないと、どうなってるんですかって言われると、その人はちゃんとした自分の人生に答えをもっているのだと、妙に感じ入ってしまいます。そして、何のために映画を見に行くのだろうとも。不安なのかもしれません。一緒に渡れば怖くないみたいな思想っていうのは、私たち日本人は戦争中もずっと持っていて、子供心にも、怖いなと思っていたけれど、未だに消えてないんだなっていうことかしら。こんなに自由になったように見えるのに。着陸点のはっきりした娯楽映画もありますが、そうでない映画もあるのですから。そのどちらにも、いい映画はあるでしょう。

OIT:先日、ホン・サンス監督に取材をさせて頂いた時に、いい映画を観たからといってあなたの人生がハッピーになれるわけではない、と仰っていたんです。
秦早穂子:そうです。そうです。ますますアンハッピーになってしまうかもしれない映画もあるのです。

OIT:僕の映画を観てくれて、そのことに気付くだけでも嬉しいって仰ってました。
秦早穂子:ホン・サンスの映画上映後の質問のなかには、ちょっと、どう監督が答えていいか分からないような場面もありましたね。私はホン・サンスって凄いって思うのは、一見、曖昧なような、だらだらした感情を掬いあげていく力。ああいう映画が韓国から出てくる凄さ。日本でこうした映画が出るかなって考えると、ちょっと出そうもないわ。フィルメックスでホン・サンスを公開することによってファンが増えるのは素晴らしいが、今度は一斉に同じ方向になるっていうことも危険かもしれません。

OIT:ホン・サンスはいい、っていう風に。
秦早穂子:一旦そうなると、一色になってしまう。で、たじろいだりすると、じゃあホン・サンスは嫌いなんですねって言われる、そうじゃないって言っているのね。そういう風に、短兵急に好きなの?嫌いなの?って、いうことじゃないでしょう。

OIT:ホン・サンス監督の場合は、欧米で映画の教育を受けてますけど、それが結構大きいと秦さんは思われますか?
秦早穂子:彼の場合は、ホン・サンスはホン・サンスだと思います。むしろ、欧米の人たちが、彼を取り込みたいのでは。異質だから。ただ、アジアの作家の作品にヨーロッパの資本が入ってくる時は、作家にとっての転換期ではありましょう。向こうのペースに組みこまれないで、主体性を保持するのは中々難しい。特にフランスは歴史的に見ても外国人の才能を積極的に組みこんで、自分たちのこやしにしてきましたから。音楽や美術では可能であっても、映画はそう簡単ではないのではないでしょうか。例えば、一時期のジャ・ジャンクーは危なかった。怜悧な人だから、この次は良くなるだろうと期待していますが、そういう時ってあるのでしょう。熱狂的なシネフィルに支持されることで、彼のステージがひとりせり上がってしまって、彼自体の本質がどこかに行ってしまう、そういう事も絡みあって。重要なところですね、本人はやっぱり気がついていると思うから。

OIT:アピチャッポンの『メコンホテル』はご覧になりましたか?
秦早穂子:あの人のことをみんなが凄いって言った時に、欧米の人、例えば、ティム・バートンとかが驚いたっていうのは分かります。キリスト教圏から見て、こういう思想があるのだという発見。驚き。でも私からすると、日本の若い人たちがいいって言うのは、ああなるほどっていう逆な発見でした。私たちの世代はタイの仏教とはちょっと違うにしても、仏教的土壌の、日常生活のなかに、ごく自然に持っていた感情なのです。生きるもの、すべて生まれ変わるという思想は、信じる信じないは別にしても、身近に持っていました。だから私にとってはそんなにサプライズじゃないけれど、さっきもフランスの人が凄いと言っていて、そうだろうとは思うのです。キリスト教のように地獄で焼かれるか、天国にいかれるか、その恐怖なんてものは、キリスト教徒ではない私には肉体的には分からない。生まれ変わって次は牛かもしれない、食べてすぐ寝たら牛になるよっていうような、日常の教えの中にも、生まれ変わっていくっていう思想があったわけですから。だから、アピチャッポンの映画の中で、ごく自然に今度は水の流れへ、その前は森の深みにという思想があるのは、私には全く自然な感覚で、若い人たちが驚いたと言うのを聞くと、戦後の教育にはそういうのは無かったんだなっていう逆の発見もあったということなんです。
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