OUTSIDE IN TOKYO
Guillaume Senez Interview

ギヨーム・セネズ『パパは奮闘中!』インタヴュー

3. 家族の闘い、仕事の闘い、時間の闘い、闘いが一つではなくて幾つもの闘いがある

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OIT:この映画では青いベストでしたね。
ギヨーム・セネズ:この映画の撮影時点ではまだ黄色いベスト運動が起きていませんでした。ですから、ベストの色自体が何かを象徴しているということはなく、あの色を入れたのは審美的な視点によるものです。この作品はルポルタージュやドキュメンタリーではなくてフィクションの映画ですが、私の演出メソッドでは俳優に動きの自由を与えていますので、あまり凝ったカメラワークをあらかじめ決め込んで撮影出来るわけではありません。では、どこに映画らしい美学を持ち込むかというところで、衣装の色やインテリアの美術といったところに美学を求めたのです。

OIT:俳優達は、ロマン・デュリスも子供達も、レティシア・ドッシュも皆、自然でありながら感情を沸き立てる部分があり、素晴らしかったですね。現場では台詞を渡してないということですが、その演出方法について教えていただけますか?
ギヨーム・セネズ:確かに俳優に台詞を渡してはいないのですが、予め書いてはいます。なぜ俳優に渡さないのかというと、台詞に自発的な自然さ、本当にそこで湧き上がっているという感じをシーンに与えたかったからです。この映画では、台詞を言っている途中で詰まったり、言葉同志がぶつかったり、台詞を言っている最中に物が落ちたりしていますが、そうした自然さを大切にしたかったのです。俳優達に事前に台詞を与えないけれども、台詞はそこに予め存在しています。つまり、私は台詞を知っているけれども、俳優達は台詞を知らずに状況だけは説明を受けているという状態で、共に考え、擦り合わせて、最終的には私が予め書いておいた台詞に俳優達が到達するというプロセスを経験することが目的でした。そういう風に話し合い、擦り合わせを行う、そうした集団的作業を経て台詞に一緒に到達していくと、結果としては、予め書いたものを覚えて、そこで機械的に台詞を言うよりも、必ず良い結果に到達できる。作家一人の脳みそよりも、二つ、三つの脳みそで、一緒に考えたものの方が良くなるということですね。

OIT:時間はより必要になるわけですね。
ギヨーム・セネズ:そうです、従来のやり方よりも長くはかかりますけれども、2倍にはならない、1.5倍くらいでしょうか。

OIT:脚本には、アルノー・デプレシャン監督の妹、ラファエル・デプレシャンが関わっていますね。彼女が女性の台詞を担当するというような役割分担があったのでしょうか?
ギヨーム・セネズ:一緒に全てをやりました。脚本の執筆期間が私の長編第一作『Keeper』(2015)の撮影期間にかかっていたので、時として彼女の方がシナリオの作業をする、あるいは彼女が別のことをやっていて私の方がシナリオの作業をするといった高低はありましたけれども、基本的には二人で一緒に書く、そういう方式でした。もちろん女性なので彼女が女性の視点を持ち込んだことは否めないと思いますね。女性の自由についても描いている映画ですから、女性の視点はすごく重要でした。とはいえ、基本的には二人で一緒に書いたものです。

OIT:日本語のタイトルは『パパは奮闘中!』となっていますけれども、原題は『私たちの闘い(Nos Batailles =Our Struggles)』というものですね。この場合の“私たち”というのは、男性も女性も含めた、今の時代に生きる私たちすべて、というような意味でしょうか?
ギヨーム・セネズ:そうですね。まずOur Strugglesのsが最後についていますので、闘いが一つではなくて幾つもの闘いがある。家族の闘い、仕事の闘い、時間の闘い、ということがあります。“私たち”となっているのは、あなた、私、みんな、男、女、作者である私だけじゃない、この映画の登場人物全員でもあるし、観客全員でもある。つまりOur、“私たち”とすることによって観客も巻き込んで、私たち全員という意味を持たしています。



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