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KALTRINA KRASNIQI INTERVIEW

エヴァ・ヴィティヤ『パトリシア・ハイスミスに恋して』インタヴュー

3. 取材を始める前は、彼女の若い頃の写真が存在しているのかどうかすら分からなかったのですが、
 実際に取材をすることで、そうした写真と巡り会うことが出来ました

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OIT:ああ、そういうことでしたか。ビル・フリーゼルみたいなギターをアクショテさんが弾いているなと思ったのですが、そうではなくて、実際にビル・フリーゼルが参加していたということなんですね。
エヴァ・ヴィティヤ:そうです、彼が実際に弾いてくれました。

OIT:独特の雰囲気のある面白い音楽になっていましたね。
エヴァ・ヴィティヤ:そうですね、いわゆるクラシカルな映画音楽ではなくて、ハイスミスの人生や出自、彼女がどういう人生を生きたか、ということにマッチする音楽を私も求めていましたので、とても良かったと思っています。

OIT:この映画には、若かりし日のハイスミスさんの美しい写真が沢山登場します。マリジェーン・ミーカーさんも、パトリシア・ハイスミスは人間的にもとても魅力的な人物だったと証言されていますが、そうしたことは今まで、あまりフォーカスされて来なかったように思います。今回の作品で、そうしたハイスミスの人間的な魅力を新たに提示するということは、監督にとって重要な狙いでしたか?
エヴァ・ヴィティヤ:その通りです。私が彼女の日記やノートを読んで得た印象というのが、今まで私が知っていたパトリシア・ハイスミスとは全く別人のようでしたので、そうした面を映画の中で紹介したいという気持ちがありました。若くて綺麗なパトリシア・ハイスミスの人物像、そして、後に老いてからはスイスで生活した時の写真も見つけましたので、若い時代から変化していった彼女の写真も示したいと思っていました。写真について一言付け加えたいのですが、彼女の親戚に会いに行った時のことです。最初は私に対してちょっと懐疑的で、あまりオープンではなかったのですが、話をしていくうちに心を開いてくれて、私に対してオープンになってくれるようになりました。その過程で、そういえば彼女の写真が入った箱があったでしょう、と言って、彼女の子供の頃や若い時の写真が一杯入った箱を持ってきてくれて、それを自由に見ていいですよと言ってくれたのです。私は、その箱の中の写真を二日間かけて全部見ました。そして、その一部を写真に撮らせてもらって、今回、映画の中で使わせて頂いたのです。そのおかげで、彼女の子供の頃の写真や、若い頃の今まで知られていなかった写真を映画の中で使うことが出来て、大きなスクリーンに映し出すことが出来ました。実際のところ、私が取材を始める前は、彼女の若い頃の写真が存在しているのかどうかさえも分からなかったのです。実際に自分の足を動かして取材をすることで、そうした写真と巡り会うことが出来ました。

OIT:ところで、ヴェンダースの『アメリカの友人』(1977)がパトリシア・ハイスミスの小説が原作だったということを、当時は全く知らずに見ていて、今回その事実を知って、今更ながら少し驚いたのですが、エヴァさんがかつて『アメリカの友人』をご覧になった時は、そうしたことはご存知でしたか?
エヴァ・ヴィティヤ:『アメリカの友人』が公開された時、それが彼女の小説を下敷きにしているという情報はもちろん出たわけですけれども、それが良く知られていたかというと、それ程、話題になったとは言えないと思います。なぜかというと、ヴェンダースの『アメリカの友人』は2つの小説(「アメリカの友人」と「贋作」)のコンビネーションから出来ているということもあったと思うのです。「贋作」の場合は、主人公があまり典型的ではない、アメリカのカウボーイハットを被った男だったということもあって、これらの原作がそれほど話題になったとは言えないと思います。

OIT:エヴァさんがお作りになった今回の作品を見て、パトリシア・ハイスミスの知られざる側面に触れることが出来てとても良かったと思っています。ありがとうございました。

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